44歳で「ヘビの刺青」を入れた女性の壮絶な半生。両親の死を経て「今がもっとも楽しい」

 その女性の左肩から左腕には、2匹のヘビが絡みつくように彫られている。都内SM店に勤務しながらショーパフォーマーとしても活躍している、緒月月緒(おづきつきお)さんだ。今年47歳になる彼女は、「18歳から風俗業界に入って、ちょうど来年30周年を迎えるところです」とおどけた。

 緒月さんがヘビを身体に宿したのは44歳のときだ。父と母の死、残る家族との絶縁などを経て、人生の区切りの意味で刺青を彫った。その壮絶な半生を辿る。

◆きょうだいのなかで「私だけがやたら怒られる」

 都内に生まれた緒月さんには、幼いころから疑問があった。

「私は4人きょうだいの一番上なのですが、昔から私にだけ母の対応が違うのが疑問でした。たとえば、同じようなことをしても私だけがやたら怒られるんです。母から暴力を振るわれるのも、決まって私でした。あるいは、家族で外食に出掛けても私だけ留守番をさせられたりもしましたね」

◆「育ての父」は「本当の父」ではなかった

 他のきょうだいとは違う。その疑問が解決したのは、かなり後年になってからだ。

「20歳を超えたころ、自分が父からは生まれない血液型であることを知って、わかりました。育ての父は本当の父ではなかったんです」

 ややこしいのは、育ての父が自分の本当の子どもではない緒月さんのことを可愛がっていた点だ。

「母が私に辛く当たるのは、父から可愛がられていた私に対する嫉妬だったらしいのです。父は粗暴な人で、気持ちをうまく言語化できないところがあり、けれども愛情深い人でもありました。たとえば大切なセキュリティコードなどは、いつも私の誕生日にするほど、可愛がってくれていたんです。私が9歳のときに父と母は離婚をするのですが、それからも毎月交流は続きました」

 母親が離婚すると、すぐにその家には別の男が転がり込んだ。そこで緒月さんは信じられない経験をする。

「最初は身体を触るなどの行為だったものの、徐々にそれがエスカレートし、その男性は年端もいかない私を犯しました。非常に不愉快な体験です」

◆稼ぎの半分を実家に入れていた

 結局、その男性と母親は別れたものの、幼い緒月さんの心に傷を残した。緒月さんは18歳になると同時に、ピンクサロンで働くことになる。

「もともと17歳のとき、そのお店のティッシュ配りをしていました。その縁で、店長から『18歳になったら働けば?』と声をかけていただいて、誕生日の翌日にデビューしました。当時、お金の価値がわからない小娘だったこともあって、稼いだ金の半分を自宅に入れていました。金額で言うと、月に40万円から50万円を入れていたと思います。きょうだいも学費や生活費がかかると聞いていたので、なんとか自分が力にならないといけないと思っていました。何より、働きだしてからは、お金を入れないとご飯を出してもらえないんですよね」

 緒月さんが初めて独立したのは24歳のころ。18歳からサラリーマンの比ではない稼ぎがありながら、自宅に留まったのはなぜか。

「今から振り返ると、私も母に依存していたのでしょうね。母の愛情が欲しくて、それで役に立ちたかった部分があるのだと思います。母は粗暴さという意味では父よりもマイルドですが、不機嫌な雰囲気を悟らせて言うことを聞かせるようなところのある人です。人としての魅力があるのは疑いようがなく、父との結婚前に離婚歴があり、私たちとは別に3人の子どもがいたものの、親権を元旦那に渡して身軽になってしまえる思い切りの良さもあります。一方で、非常に面倒見がよく、愛情に偏りのある人でもありました。その気まぐれな愛情が、私は欲しかったんだと思います」

◆父の様子がおかしいことに気づくが…

 離婚を経てもなお交流のあった育ての父親。だが彼の死は唐突に訪れた。緒月さんが20代半ばのころだ。

「父は長距離ドライバーをしていて、当時はかなり高給取りだったようです。しかし心根が優しいのにコミュニケーションに難があり、人間関係がうまいとは言えない人です。幾度かの転職をする頃には、稼ぎもそこまでなかったのかもしれません。父とは毎月会っていましたが、徐々に変わっていくのがわかりました」

 緒月さんが今でも思い出すのは、こんな一幕だ。

「まだ20歳そこそこのとき、父に『専門学校に行きたいから学費を出してほしい』とせがんだのですが、断られました。父は昔気質の人で、『女は学を修めなくていい。男に養ってもらってなんぼ』という考え方の人だから、その反応は予想の範囲内でした。数年が経ち、当時のことなど忘れて父と二人で食事をしていたときに、ぽつりと『あのときは、学校に行かせてあげられなくてごめんな』と言ったんです。とても人に謝るような性格ではないし、私には父がひどく弱っているように見えました。もっといえば、うつ病ではないかと思いました」

 そのことはすぐに母親に伝えたものの、真剣に検討されることはなかったという。

「私の話を聞いた母は、『あんな暴君みたいな人が、うつ病になるわけがない』と取り付く島もありませんでした。その年の年末、私たち家族は父と過ごし、恒例のカウントダウンをするはずでしたが、何やら父は用事があるような素振りで帰ってしまいました。結局、それが私を見た父の最後の姿でした」

◆変わり果てた姿で見つかった父

 緒月さんの育ての父親は、勤務先の寮を出たきり行方不明になっていた。そして捜索願が出された数カ月後に、彼の実家付近で首を吊っている姿で発見された。

「最後、父の財布には32円しか入っていなかったそうです。発見された場所も父の実家からすぐの場所なのに、実家を訪れた形跡はなかったと聞きました」

 緒月さんは、自身の家族の掛け違いをこんなふうに振り返る。

「母は、父が亡くなる前、『もう何年もしたら、お父さんと再婚してもいいなぁ』と言っていたことがありました。けれども、その気持を伝えることなく父は死んでしまった。父にしても、何か悩んでいることがあってもそれを口にせず、そっと実家近くの場所で死んでしまいました。

 私の両親は、本当の気持ちを伝えるやり方は他にもあったはずなのに、どうしてもそこにたどり着くことができなかった人たちなのだと感じます。不器用な性格といえばわかった気にもなりますが、もっと異質な、人付き合いにおいて重要な要素が欠けていたのではないかと思うんです。家族になるにも、向き不向きがあるんです。私にとっては、こうした2人のすれ違いは、大きな学びでした」

◆「ヘビの刺青」を身体に入れた理由

 現在、緒月さんは「今がもっとも楽しい」と語る。それは自らのセクシャリティに正直に生き、10代から憧れていたという刺青を身体に入れたことも関係するかもしれない。

「私は中学生くらいのときに同級生の女の子と性的な関係になって以来、男性も女性も性的な対象としてみることができます。現在、プライベートでは、とある女性とパートナー関係にあり、来年には同性婚を視野に入れています。母から『お前は巳年生まれだから性格がしつこい』と散々言われ続け、ずっと嫌いだったヘビですが、それならばいっそ身体に刻んでしまえと思うくらいには吹っ切れました。今では、新しい自分で生きていくためのシンボルです」

 緒月さんを理不尽に苦しめ、むらのある愛し方で翻弄した母親は肺炎でこの世を去った。母親の本音は、ついぞわからなかった。

 皮肉にも母からの暴言に着想を得た、ヘビの刺青。愛情の欠片を探して這いずり回るのではなく、お互いを愛でながら前進する2匹のヘビになれますようにーー。緒月さんとパートナーの幸福をそっと託したくなる。

<取材・文/黒島暁生>

【黒島暁生】

ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki