前回:「資産家の家に生まれたお前が、ずっと妬ましかった…」幼稚舎からの親友だった男2人の縁が切れた瞬間
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そういえば。28年の人生の中で、恋愛を申し込まれて断るのは初めてだと気がついた。その瞬間、私ごときが…という後ろめたさと恥ずかしさが一気にこみ上げて、私はしどろもどろになった。
「つまりその、大輝くんとは恋愛じゃなくて、友情をさらにというか…その、友情を極める方向に進みたいと思う…んだけど……どう、でしょう?」
すると。大輝くんが吹き出すように激しく笑いだして、今度は私が固まる。何がそんなにおかしいの?と恐る恐る聞いてみた。
「いやつまり、あなたとは恋愛をしませんって言われたってことでしょ?オレ、今ここでフラれるんだ。この状況でフラれるって…踏んだり蹴ったりってこういうこと?」
「…あ、いや、違うの!そういうつもりじゃ‥!」
「ほんっと、宝ちゃんって面白過ぎるよね」
私はまた的外れで余計なことを言ってしまったのだろうか。大輝くんは屈託なく大笑いしているけれど、きちんと説明しなければと慌てて言葉を探す。
今夜のことは、私に遠い日の苦い記憶を蘇らせた。そしてそれが私の決意の理由でもあることを、できる限りきちんと大輝くんに伝えたい。そう思いもう一度同じ質問をした。
「さっきも聞いたけど…大輝くんはエリックさんのことを…たとえずっと先だったとしても。いつか…許したいと思う?」
私の問いに大輝くんは、いつか、かぁ…と、のんびりした声で答えた。
「他人に利用されるとか裏切られるとかは慣れてるんだけど…今日みたいに、クスリを盛るような男に差し出されるパターンは流石に初体験だからなぁ」
笑いを交ぜた茶化す口調が切ない。
「ただ、オレが一方的な被害者ってわけでもないよね。実際金を貸さない薄情な親友だったのは否めないし、エリックが言ってたでしょ。ずっとオレにムカついてたって。
人生チートルートを手に入れておいて悲劇のヒロインぶるなとか、確かにその通りだよね。それに…エリックの苛立ちが溜まり続けていたことに、オレは気がつけなかったわけだし」
大輝くんはフェアな人だと改めて思う。問題が起こるたびにこうして冷静に分析するのだ。たとえそれが自分の否を認める作業だったとしても。
そのことへの尊敬を素直に伝えると大輝くんは、そんなこと初めて言われたよ、と困ったように笑って続けた。
「それで?それが、オレと恋愛しない、ってことと何の関係があるの?」
「前に愛さんが私に、恋愛の傷は恋愛でしか上書きできない的なことを言ってくれたことがあるんだけど」
伊東さんとのデートを勧められた時に言われたその言葉を借りて、私は続けた。
「友情の傷も友情でしか上書きできないんじゃないかなって」
友情も?と大輝くんは疑問形になったけれど、私にはその実体験がある。その体験を話させて欲しいと告げると、大輝くんは穏やかに頷いてくれた。
「私も…親友っていう関係を壊してしまったことがあるから。高校生のときに」
自分の過ちを話すことは、痛みを思い出すこと。少しひるんでしまったけれど、高校生の宝ちゃんに会ってみたかったな、という大輝くんの優しいトーンに和ませてもらい、言葉を繋いだ。
「もしも大輝くんと高校生の同級生だったとしたら、大輝くんはスクールカースト最上位の人気者でしょ?私なんて、存在にすら気づかれなかったと思うよ」
そんなことないでしょと大輝くんは笑ったけれど、絶対にそうだと思う。高校時代の私は(たぶん今も変わっていない)勉強は好きだったけれど、真面目さだけが唯一の取り柄のようなもので、目立つことは好まなかった。
部活にも入っていなかったし、推し活がソフトバンクの応援という私と同じような趣味の子はいなかったから、友達が多くできるわけはない。でもそんな私にも親友と呼べる存在がいた。小学校からの幼なじみの、香世(かよ)という女の子だ。
香世は私と同じく、にぎやかな子ではなかったけれど、その容姿にはファンが多かった。小さな顔に黒目がちの大きな瞳。色白で華奢な体に艶々の黒髪。高校に入った時、クラスの女子で1、2を争う長身になっていた私には、か弱く可憐な彼女を守らなければという謎の使命感も芽生えていて、いつも一緒にいた。
文具やスマホケースやストラップ、ときどき服も。色違いでお揃いをどんどん増やしていったし、今となれば気恥ずかしい、アオハル特有のセンチメンタリズムで、おばあちゃんになっても親友!という誓いをプリクラに書き込んで、ずっと一緒だと疑わなかった。
そんな穏やかな日々が崩れ始めたのは高2の夏休み。香世が1つ上の先輩に告白されて付き合い始めたことが引き金になった。バスケ部のエースで人気者だったその先輩が香世に一目ぼれしたらしい。
香世にとっても憧れの先輩だったから、香世は夢心地でOKした。私もうれしくて、香世の可愛さなら一目ぼれされても当然だよね!と自分のことのように誇らしくなっていたのだけれど…しばらくして、その先輩の元カノの逆恨みにより、事態は暗転した。
元カノは先輩と同じく3年生で、人気者グループに属する華やかな美人だった。先輩に未練があり復縁を迫っている最中だったらしく、香世が新しい彼女になったことが許せなかったらしい。
元カノは香世を呼び出し、別れろと言った。心配でついて行っていた私は、香世が怯えながらも毅然と、好きなので別れません、と言い返したことを誇らしく思った。
すぐに香世の彼氏もそのことを知り、香世を守る行動に出た。元カノに香世を攻撃するなと怒り、たとえ香世と別れたとしても、元カノとヨリを戻すことはないからと宣言してくれたのだ。
でも…これがまずかったのだろう。香世の彼氏が元カノに宣言した場所は校舎の裏で、人通りはほどんどなかったはずだった。ところが…その後、元カノが手酷くフラれた噂がまわってしまったのだ。
みんなの憧れの存在として君臨していたはずの元カノは、その屈辱に耐えられず。怒りの矛先を香世に向けたのだろう。
「なんとなく・・・イヤな展開になりそうな想像がつくよ」
大輝くんが渋い顔でそう言って、私は力ない笑いを返した。そう、その通りで。
SNSに香世の噂が出回り始めたのだ。清純そうに見えて実は男をとっかえひっかえするビッチだとか、夜な夜なクラブで酒を飲むとか。最初はこんなデマ…と香世も香世の彼氏も気にしていなかった。
ところが。
今度は写真が出回るようになった。香世が夜のクラブで酒を飲んでいるような写真や、半裸のような状態で男とベッドでほほ笑んでいるような写真まで。今思い出しても、怒りで鳥肌が立つ。
「それは…偽物だよね?」
大輝くんの質問に、私は蘇る嫌悪感を抑えながら頷いた。
酒を飲んでいるように見えるものは、暗がりで顔の全てが見えないせいで、香世だと言われたら香世に思える程に似ていた。背格好と雰囲気がそっくりな女性を使ったのだろう。
半裸のベッドの写真は…おそらくSNSなどから香世の写真を顔だけ切り抜き、半裸の女性に巧妙に合成したものだと思われたけれど、恐ろしかったのは…それが一気に本物として広がり、学校中で噂になってしまったのだ。
「本物かどうかなんて、他人は興味がないからね。面白ければ無責任に拡散する。そして無限に広がっていく」
大輝くんのその呟きが真理だと私も思う。偽の写真のはずなのに、その破壊力はすさまじく…晒され、笑われ…人目に怯えるようになった香世は、ついに学校を休みがちになった。
私は一緒に闘おうと言った。匿名アカウントによる拡散とはいえ犯人は明確だと思われたのだから。状況を改善するために先生に相談し、フェイクであることを証明するために、法的手段を使おうと提案した。
香世の彼氏である先輩も香世に寄り添い、自分が元カノに話をつけるとも言ってくれたけれど、香世はことを荒立てることで、今以上の報復されるのが怖いと私たちの提案を拒み、結局…。恋を終わらせ、彼と別れることを選んだ。
今考えて見れば私の提案は幼かった。当時の私たちは子どもで、法的手段に出るには両親にも相談しなければならない。香世の両親は厳格で世間体にこだわる人達だったから…偽物だったとしても…こんな写真を作られる隙を作ったと、まず香世を責めたかもしれない。
香世が学校に来なくなって、先輩と別れると、新しい写真が出回ることはなくなった。でも私は許せなかった。このままでいいとは思えなかったのだ。
私は、元カノを待ち伏せした。2人の取り巻きをつれて登場した元カノは、私を見ると、わざとらしい顔で言ったのだ。
「お友達、学校これなくなっちゃったんだって?かわいそう~」
とりまきがどっと笑う。私は怒りで指先が冷えていく感覚を初めて知った。
「…認めてください。あの写真が合成されたもので、フェイクをばらまいたのがあなたたちだと。そして、香世に謝ってください。自分達のしたことを」
怖かった。でも一気に言いきった私を、3人は笑った。
「フェイクなんだから堂々としてればいいのに、メンタル弱すぎるわぁ~。だいたいビッチはビッチじゃない。人の男に手を出したわけでしょ?」
人に掴みかかりたくなるような感覚もまた、初めてだった。獰猛で激しいその衝動を必死で抑えながら、私はその日の目的を言った。
「拡散された写真はもう仕方ないです。でもせめて、大元の写真を削除してください。どうか、お願いします」
頭を下げた私に、また笑い声が降ってきた。
「今更頭を下げられてもねぇ。もう遅いでしょ。たとえ、私が取り下げたところで、もう世界中に拡散されまくってるわけだし?アンタが言う大元ってやつ?消してあげてもいいけど、意味ないと思うよぉ~」
― やった!…自分が拡散したって認めた!
私はバックの中の携帯で録音していたのだ。もう何もかも手遅れだよ~と笑いながら去っていく3人の気配が遠ざかるのを感じながら、私の心臓は高鳴っていた。
この音声があって大人に相談できれば、香世の写真が偽物だと特定できる。そして香世の名誉が回復される。その興奮で急いで香世の家に向かい、香世に報告した。きっと喜んでもらえる。そう思っていた。でも。
ベッドの上で私の報告を聞いた香世は、私にクッションを投げつけ涙を浮かべた。そして泣かせてしまったことに呆然とする私に言ったのだ。
「私はもう何もしたくないって言ったよね?なんで宝が余計なことするの?また報復されたらどうするの?…拡散した人とか、本物とか偽物とかわかったところで、もう遅いの。みんながあれを私だと信じたことで、あれはもう私だし…私の裸なの…!
はずかしいし、こわいし、もう人目にさらされたくない。これ以上……闘いたくなんてない!」
顔色の悪いその白い頬に、ハラハラと落ちる涙に…私は言葉を失った。
「宝は当事者じゃないから、そんなことできるんだよ。勝手にヒーロー気取りになって余計なことしないで。宝の正義感とか、正論とか、これ以上聞きたくない!強くなれなんて言わないで…!」
それ以来会いにいっても拒まれるようになり、香世は…学校にこないまま、転校してしまった。それから一度も会えていない。私は親友を失った。私が彼女を追いこんでしまったのだから自業自得だろう。
「だからね、愛さんの元ご主人に意見して、愛さんと雄大さんに怒られた時に、香世の言葉がフラッシュバックして。私って全く成長してなかった…って、すごく情けなくなったの。
…衝動で動いて迷惑かけてしまった。もしかしたら今日、今だってそうだよね。…大輝くん、私、ここにいて大丈夫だったかな」
「…オレは宝ちゃんが今日ここにいてくれてよかったよ、本当に。高校時代にうまくいかなかったみたいに失敗することもあるだろうけど、宝ちゃんのその衝動に助けられてる人もいるよ。愛さんだって最終的には救われたんだから。でしょ?」
大輝くんの優しい言葉を鵜呑みにするほど図々しくはないつもりだ。けれどふいに涙がこみ上げそうになったのを、私は自虐的な笑いでごまかした。
「そんな感じだから、私って、アオハル的な思い出ってあんまりないんだよね。それに未だに、華やかな女の子たちの集団が苦手なのは、あの先輩たちを思い出すからなんだと思う」
この話をするのは大輝くんで2人目だ。そしてこれから、その1人目について話すべく言葉を選ぶ。
「香世を失って以来、また誰かを傷つけてしまうことが怖くて。深い友情関係を築く、みたいなことから逃げてきてたんだけど…そんな私の諦めを変えてくれたのが、大学で会った友香だった」
友香は、港区生まれのお嬢様で、私が苦手とする華やかな美女。避けようとしていた私に構わず、宝って呼んでいい?と呼び捨てを提案し、断れないでいるうちに、宝のこと大好きかも!と、ぐいぐい距離をつめてきてくれたのだ。
「私、宝と親友になりたいけど、壁を感じる。でも諦めないから!」
絶対に仲良くなる!と宣言され、そこから1年、2年と経ち。気づいたら私の警戒心は見事に解かれていき。いつのまにか、彼女のためなら、なんでもしよう。そう思える関係になれたのだ。
「友香に香世とのことを話すことができた時…確かに、宝の行動は余計なお世話だったかもねって怒られたんだけど、でも彼女もわかってたと思うよ、とも言われたんだよね」
「…わかってたって?」
あの時…私が香世を助けたいと心から思って行動したことは、彼女も分かっていたと思うよと友香は言った。ただ、分かっていたとしても…許せないことはあると。
「友香曰く、どんなに仲が良いと感じてる相手でも、いつでも全てを分かり合えていると思うのは過信だって。宝は自分を買いかぶり過ぎてるって。
人付き合いなんてエラーが当たり前なんだから、間違えたら謝る、離れたら歩み寄る。許されたり許したりする。大切だと思う相手には特に、その努力を怠ったらだめじゃない?って」
友香ちゃんらしいね、と笑った大輝くんに私も同意しかない。
「そんな感じで、友香は友情の…人付き合いのあり方みたいなものを、私に教え直してくれた先生であり恩人なんだよね。宝のそのバカ正直で猪突猛進なところ、迷惑でウザいって離れちゃう人もいるだろうけど、私は好きだよって言ってくれたり…注意してくれたり。
友香のおかげで私はもう一度やり直せたというか、誰かと関係を築くことへの恐れが少しずつ消えて、逃げずに向き合えるようになったし、本音の言葉も取り戻した。
そして、そんな友香から紹介してもらえた皆さんだから…雄大さんのことも、愛さんのことも、大輝くんのことも。私はどんどん惹かれて、好きになったのだと思う」
本当に友香には感謝してもしきれないな。そう思った時、携帯が鳴った。
≪話し込んでるみたいだから、先に帰る。大輝をよろしくね≫
雄大さんからのLINEだった。私は、雄大さんたち帰るみたいだよと大輝くんに説明したあと、居住まいを正してから言った。
「…だから、今度は私が」
「…オレの傷を消してくれるの?友香ちゃんが宝ちゃんにしたみたいに?」
「友香みたいにうまくはできなくても…そうなれたらいいなって。エリックさんの代わりにはなれなかったとしても、恋愛じゃなくて友情で私にできることがあればいいなって思ってる。だから、ごめん…!」
頭を下げた私に、大輝くんが、それが友情を友情で上書きするってことかぁ、と笑った。
「宝ちゃんはさ、友香ちゃんのおかげでっていうけど、それだけじゃないよね」
「…え?」
「さっきの話を聞いても…宝ちゃんは、香世ちゃんのために本気で動いたのに、それが報われなくても、相手を責めることをしなかった。自分の傷は自分で抱えて、誰のせいにもしない」
「…」
「それはオレが出会ってからもずっとそうだから。自分のことは後回しすぎるんだよなぁ」
そんな宝ちゃんだから、友香ちゃんも…と語尾をにごらせた大輝くんが、OKと言った。
「恋じゃなくていいよ」
「…」
「恋じゃなくていい。友情を深めるってやつでよろしくおねがいします」
ということで、ハグしていい?今日は友情契約のハグかな、と両手を広げた大輝くんの笑顔が今日一番柔らかくなった気がして、心からホッとして。私もぎゅうっと心を込めて、その大きな背中を抱きしめ返した。
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エリックさんに連れさられ、大輝くんとの友情を誓った怒涛の夜からおよそ1週間がたった翌週の土曜日。伊東さんと、2度目のデートをすることになった。
1度目のデートは門前仲町のビストロで、今日のデートは…ドライブ。午前11時に西麻布の交差点で。車で迎えに行くよという約束で、今10時45分。そろそろ家を出ようかと思っているところだ。
「友人が伊豆の方にスパニッシュのレストランというか…オーベルジュを作ったので、今度の土曜日はそこでどうかな」
伊東さんにそう誘われた時、わかりました、と何気なく承諾し、それをみんなに話した時、え!?と驚かれた。
「オーベルジュって宿泊施設があるレストランだけど、宝ちゃん知ってる…よ、ね?」
愛さんの言葉に、はい知っています、と答える。伊東さんに言われてから、オーベルジュとは?で調べたのだ。でも泊まる用意が必要とは言われてはいないので…と私が言葉を続けると、大輝くんが言った。
「…わかんないよね。伊東さんは宝ちゃんのことを好きなんだし?オーベルジュを設定した以上、男女的なことを全くなしとは思ってないでしょ。それにお酒…飲んだら運転できないし。帰ってこれなくない?」
キャラに似合わぬ下世話さに、若干の棘を感じますけど?と突っ込みたくなる大輝くんの言い分を、愛さんが、伊東さんは紳士だから大丈夫だと思うけど、と笑っていたのだけれど。
まさか、その夜。伊東さんの微笑みに射貫かれて。
― 愛さん、大丈夫じゃなかったです!
そう叫びたくなる状況になろうとは。朝、のんきに家を出た時の私には全く想像ができないことだった。
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