社長室 室長 宮坂勝彦さん

●国内はもちろん、海外のお酒好きにもその名が知られている長野・諏訪の銘酒「真澄」を造る宮坂醸造に行ってきた。

 長野県を代表する日本酒のひとつ「真澄」。これを手がける諏訪市の宮坂醸造では、昨年(2023年)、樹齢200年を超える黒松を鑑賞しながら試飲ができるテイスティングルームをオープンしたことで話題になりました。

 そして今年、新たにヴィンテージの「真澄」を愛でることができる特別な展示スペースが完成。「365日あるうちの300日愛されるものをつくりたい」。そんな思いで、酒づくりと向き合う宮坂醸造の社長室 室長 宮坂勝彦さんに蔵をご案内いただいたので、そのこだわりと美味しさの秘密をご紹介していきましょう。

樹齢200年を超える神々しい黒松を鑑賞できる特等席


昨年(2023年)にオープンしたテイスティングルーム

 上諏訪駅から徒歩15分ほどの場所にある蔵元ショップ「セラ真澄」。大きな白い暖簾が目印の同店のコンセプトは「酒のある和やかな食卓」。真澄の日本酒だけでなく、信州を代表する調味料や器、雑貨などを扱っています。

 そんな「セラ真澄」の奥にある「松の間」をリニューアルし、昨年、誕生したテイスティングルームは、絶景を楽しみながら「真澄」の試飲ができる特等席です。大きな窓からは樹齢200年をゆうに超える黒松が望めます。これを眺めることができるだけでも訪れる価値アリ!


「セラ真澄」で人気の銘柄。左から「真澄 スパークリング Origarami」、「山廃純米大吟醸 七號」、「真澄 山廃純米吟醸 真朱 AKA」

 今回、テイスティングしたのは次の3種類。順にご紹介していきましょう。

 まず左は、澱引きを施す前のスパークリング「真澄 スパークリング Origarami」。もろみを絞った状態のお酒は、お米や酵母などの固形物が浮遊しているのが常ですが、Origarami(おりがらみ)は、この「おり」と呼ばれる「浮遊物」を抜かずに瓶内発酵させています。薄く濁った感じがあり、きめ細やかな泡立ちが印象的です。スーッと流れ込むような透明感を感じたあとに変化する、クリーミーな味わいは、一度飲んだらやみつきに。 

 中央は、伝統的な山廃造りで醸した「山廃純米大吟醸 七號」。穏やかな芳香とバランスのとれた味わいで、山菜や乳製品など、個性が強いものと相性抜群。豊な山の幸に恵まれた信州らしさを詰め込んだ一本です。

「真澄 山廃純米吟醸 真朱 AKA」(右)は、乳製品を想わせるほのかな香りと深みのある味わいが特徴的。山廃造りならではのまろやかさが重なり合って、ボリュームと清涼感を感じます。酸味やコクのある料理とも絶妙にマッチするお酒です。

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50年超えのヴィンテージの「真澄」が揃う、圧巻の展示スペース


1971年から現在までの全ヴィンテージが揃います

 試飲のあとは、「セラ真澄」の奥に今年新たに誕生した特別な展示スペースに潜入です! 一般公開はされていませんが、今回特別にご案内いただきました。ドキドキしながら入口の扉を開けると、1971年から現在まで、50年以上の各年の「真澄」がズラリ。日本酒愛好家も驚くこと間違いなしの、圧巻の景色が広がります。

「ここには一番古いものだと1971年の『真澄』が置いてあります。古酒は2021年から販売をスタートしましたが、まだまだ認知されていません。そこで、『真澄』の古酒の存在を知ってほしいと考え、展示スペースをつくりました。1971年以降のすべてのヴィンテージが揃っているので、お客さま一人ひとりにとっての思い入れのある年を『真澄』でお祝いしてもらえたら嬉しいです」(宮坂さん)

 この展示スペースに保管してあるのは一升瓶ですが、「セラ真澄」では720mlのサイズで販売しています。

激動の時代を生き、2度の危機を乗り越えた蔵の歴史


宮坂勝彦さん

 長野県は山が多く、県全体の8割を占めています。諏訪も例外ではなく、山々に囲まれた場所にあり、標高は759m。そして豊かな霧ヶ峰の伏流水に恵まれていた諏訪は、酒づくりの盛んな土地に。甲州街道沿いには、真澄を含めて5つの蔵が軒を連ねています。

 歴史を紐解くと、明治維新後の1920〜30年代、諏訪には比較的早い時期に鉄道が開通し、横浜と繋がりました。今でも中央線は諏訪から八王子を通り、そこから横浜線で横浜まで繋がっていますが、これも当時の名残りなんだとか。

 鉄道が繋がったことで諏訪の地に人や物が集まるようになり、諏訪は繁栄しました。しかし当時、まだ市場競争力のなかった「真澄」の蔵は一度、潰れそうになったこともあったそうです。

 その後、第二次世界大戦に突入すると、2度目の危機を迎えます。戦時中は米の入手が困難になり、蔵も存続の危機に。同時に、統廃合で暖簾を下ろした蔵も多い時代でもあったそう。しかし「真澄」の蔵は「1920〜30年代に、真面目に酒づくりを続けていた」ことが政府から評価され、蔵の統廃合から免がれ、現代に続いています。

 蔵の息子として生まれた宮坂さんですが、かつては『真澄』の蔵のことを、国内にある日本酒の蔵の中のひとつに過ぎないと思っていたそうです。

「こうして蔵の歴史を知ることで、唯一無二の蔵なのだと感じられるようになりました。激動の時代の変化とともに歩んできた酒づくりをいかに次の時代に繋いでいくか。未来へ向けて、日本酒の価値をどう呼び起こしていけるかを日々、考えています」と宮坂さん。