「スキャンダル以降、東京で部屋を借りれなくなって……」東出昌大が”半分山暮らし”をする理由

―[インタビュー連載『エッジな人々』]―

 関東某山の奥、トタン屋根とビニールシートで囲まれた炊事場の前で、東出昌大はカレーうどんを作っていた。狩猟者集団として立ち上げた「青狼會」のTシャツを着た後輩たちは、東出の指示でネギを切り、食器を用意してくれる。東出はなぜ山に籠もったのか、銃を構えるのか。謎に満ちた半自給自足生活、彼の”今”に迫った――。


◆100頭以上撃ってどの子も忘れられない

──小誌連載いつもありがとうございます。今日は僕ら以外にもお客さんがいるんですね。

東出昌大(以下、東出):狩猟を通して知り合った人やご近所さんがきてくれています。今、新しく自分の家を建てていまして。彼らにその手伝いをしてもらっていたんです。

──仲間と協力して暮らしているんですね。

東出:うーん……「仲間と協力」というと、ちょっと暑苦しい。お互い「手が空いてるから手伝うよ」っていう気楽な感じです。カレーうどん、冷めないうちにどうぞ。

──いただきます。この黒めの肉は……?

東出:イノシシとシカですね。自分で仕留めたものや、貰ったクマ肉などは貰って冷凍庫で保管して食べています。

──狩猟免許はいつ取ったのでしょうか?

東出:8年前、28歳の夏です。23歳のときに千松信也さんの『ぼくは猟師になった』を読んで「こんな生き方があるのか」と興味を持ったのですが、役者の仕事優先で難しかったので、5年越しでようやく念願叶った形です。

──最初に撃った獲物は。

東出:今まで100頭以上撃ってきて、どの子も忘れられない。でも最初の衝撃は強烈でした。群馬の師匠・阿部さんと雪で埋もれた山道を歩いているときのことです。阿部さんが「いたぞっ!」と指差した。その方向に大きなシカが一頭。銃を構え、あとはもう引き金を引くだけ……。だけど、いろんな思いが駆け巡り、ためらってしまう。逡巡を振り切り、銃弾を放てば、事は一瞬。まず、発射の反動がヤバい。こんな衝撃があるのかと驚きました。


──それまで銃を撃ったことはなかったんですか?

東出:射撃場で練習はしてましたが、止まった的を固定した銃で撃つのと、足場が悪く的も動く猟場とでは勝手が違う。撃った衝撃で獣から自分の視線が逸れてしまった。慌てて探すと、四肢をばたつかせ、もがき苦しむ大きなシカが、雪煙を上げながらこちらにズリ落ちてきた。雪面は鮮血に染まり、唖然としている僕に阿部さんの「仕留めろ!」という言葉で我に返った。首にナイフを立てるけど、焦ってるから何度突き立てても、うまくいかない。最後は阿部さんの助けを借りて仕留めました。銃を構えてから止めを刺すまで、1分ちょっとの出来事でしたね。

──わずか60秒なのに、情報量が凄まじいです。

東出:うん、あの衝撃と喪失感と興奮は忘れない。人間と同じ哺乳類を殺すことは、すごく度胸がいる。でもその感覚ってまだうまく表現できないんです。肉なんて店で買えるのに、なぜあえて動物を殺すのかと聞かれたこともあります。自力で獣肉を獲ることで、新しい世界が見えるんじゃないか、今までの常識や固定観念みたいなのが崩れるんじゃないかと思って始めた狩猟ですが、まだ明確な答えは出ていない。なぜ狩猟に惹かれるのか。それについては一生考え続けるんでしょうね。みんなでカレーを食べている、あそこの椅子の上で黒い犬がくつろいでるでしょ? あの子が下に敷いてるのが、初獲物の毛皮なんです。

◆役者は数ある仕事のひとつ


──ここに住み始めたのはいつからですか。

東出:3年前かな。それよりも前、東京に住んでるころから、週末猟師みたいな感じでここに通っていて。でも、たまにしか来ないから土地の人と交流はなかった。ところがある日、山中で車がパンクしちゃって。山奥は電波も届かないから、歩いて下山したところで助けてくれたのが、ここの主である義守さんです。そのご縁からこの土地を紹介していただいて移住させてもらいました。

──東京の暮らしにウンザリして、ここに来たんですか。

東出:いや、そもそもあのスキャンダル以来、東京で部屋を借りることさえできなくなった。そりゃそうですよね、記者が集まってきたら近所迷惑ですから。それで、「別に東京なんか別に住みたくねえよ」ってやさぐれているときに移住の話をいただき、まさに渡りに船。当時はいろいろあってお金もなかったですし。

──計画的にこの土地に移住したというよりは、偶然暮らすようになったのですね。

東出:そうですね。住み始めたころはこんなに賑やかじゃなかったんですよ。誰も訪ねてこないし、犬も飼ってなかったので、本当に一人でした。食事もテキトーで、市内のスーパーで1週間分の食事を買い込んで、パスタ、そうめん、ご飯の繰り返しでしたね。移住してから半年ぐらいは、仕事の依頼もまったくなかったので、ずっとここにいました。その後、後輩たちが移住してきたり地元の方々と知り合ったりと徐々に人付き合いが増えていった感じです。当時はまさか自分の山暮らしが注目されて仕事になると思わなかったし、人生は分からないですね。

──今では、山暮らしの日々をYouTubeでも発信されていますね。

東出:はい。でも山の生活を発信するのもちょっと抑えようと思ってるんですよ。僕は半人前以下なんで、中途半端な知識で語ってしまうと、ここに長年住んでるおっちゃんたちに顔向けできない。それにアウトプットが忙しくなっちゃうと、発信を前提に生活することになって、本末転倒じゃないですか。そうなっちゃうのは気持ち悪いから、ちょっとずつ山暮らしの露出は抑えていければと思ってます。

【東出昌大】

1988年、埼玉県生まれ。「第19回メンズノンノ専属モデルオーディション」でグランプリ獲得。’12年『桐島、部活やめるってよ』で俳優デビュー。現在は北関東の山間部で狩猟生活をしながら役者業、文筆業をこなし、週刊SPA!に「誰が為にか書く」で連載。YouTubeチャンネルも配信中。

取材・文/安里和哲  撮影/尾藤能暢

―[インタビュー連載『エッジな人々』]―