「勝負デートに向けてプレゼント♡」29歳女性が、年上の女友達からの贈り物を開けて仰天した理由

前回:「本物かどうかなんて、他人は興味ない」元カノの恨みが加速し、SNSで流出した“ある写真”とは…

西麻布の交差点を、広尾方向に少しだけ越えた外苑西通り沿いに車を停めた伊東さんは、すぐに私の荷物を受け取り、後部座席に置きながら、シワになりたくない服とかあれば吊るせるけど、出しとくものある?と気遣ってくれた。

大丈夫ですと伝えると、流れるように助手席のドアを開けてくれて、最初だけでもエスコートの真似事をさせて、と笑った。

ありがとうございますと乗り込むとドアが優しく締められる。今更ながらドライブといえば2人きりの密室であるという自覚に伴う少しの心拍数の上昇を感じながらも、それを何とか抑え込み、平常を装うことに成功した。

伊東さんのシワになりたくない服があればという気遣いは、レストランでの食事に必要な着替えのことだ。

車で移動するのにキレイな恰好は疲れるし、レストランの周りの自然が美しいらしいから気が向いたら散歩しようという伊東さんの提案で、スニーカー仕様の服装で待ち合わせしたのだけれど。

これから向かうオーベルジュは、権威あるレストランガイドにも掲載されていて、食事の時にはスマートカジュアル以上の恰好をした方が…ということで着替えを持参することになっていた。

愛さんにそのことを相談したら、シワにならない素材のワンピースが素敵なブランドがあるの!と愛さんが旅行先でのドレスアップに愛用しているというイタリアのブランドのワンピースをお勧めしてもらい購入した。

「伊東さんなら、シワを気にする気遣いも準備もしてきてくれると思うけど、せっかくのカジュアルからドレスへの変身、その恰好を先にばらしちゃうのって勿体ないよ」

あどけない宝ちゃんからグッと色っぽく変身してドキドキさせようよ~と笑った愛さんに、デートを楽しむ姿勢を学ばせてもらった気がする。

到着までだいたい2時間半くらいの予定だから、14時には着くと思うと教えてもらい、高速に入る前に広尾のカフェに立ち寄ることになった。運転のお礼にせめてもと、私が買いに行くことを譲ってもらえて、ホッとする。

到着は14時予定。ランチには少し遅いけど、フルコースを食べる予定なのでお腹を膨らませすぎないようにしようと、クロワッサンと小さなショコラパン、カフェオレを1つずつ。

日本には自分の車がないからカーシェアで…と借りてきてくれた車。私は車には詳しくないけれど、久しぶりの右ハンドルだけど運転しやすいと楽しそうな伊東さんは、きっと車も運転も好きなのだろうと微笑ましく思った。

「わざわざ伊豆まで2時間半かけて行くってことが、2度目のデートとしてはどうなんだろうと考えたりもしたんだけど…」



伊東さんは、2度目の場所を散々悩んでくれたらしい。なんと雄大さんにも相談して私の好きなことを聞きだしたらしいけれど、唯一の趣味とも言えるプロ野球はシーズンオフ。

アート鑑賞やコンサート、そして遊園地などを調べてくれたものの、めちゃくちゃ得意分野というわけではないから楽しませられるかわからない…ということで、ならばやはり食、となり。

今回の日本滞在中に訪ねようと思っていたレストランを何軒かピックアップした中で、今回の伊豆のオーベルジュに決定!となったのだそうだ。

「2時間半かけて食べに行く価値のあるレストランだと思うし、自分にしかできないオーガナイズだなと思ったから」

伊東さんに誘われたオーベルジュの名前を愛さんに伝えると、さすが伊東さんと感心していた。元々1日3組のお客様限定…という受け入れ数の少なさの上に、ミシュランのセレクテッドレストランに選ばれたことでさらに予約困難店となり、予約は最低でも半年待ちらしい。

伊東さんの説明によると、シェフは伊東さんのフランスでの修行時代の後輩にあたる清水さんという男性で。

清水さんはフランスの後、ヨーロッパを転々としながら各地の郷土料理を勉強。最終的にスペインの星付きレストランでスーシェフ、つまり2番手のシェフまで上り詰めたものの、惜しまれながら帰国。

その後、地元伊豆の豊かな海の幸、山の幸を使ったスペイン料理を出す店を作りたいと、出資者を得てオーベルジュを作ったそうだ。

「清水本人がアルコールに弱いってことで考案した、料理とノンアルコールのペアリングが面白くてさ。日本ではまだなじみが薄いけど、海外だとお酒を飲まない若者も増えてるし、今やノンアルペアリングって当たり前で…」

話してくれていた途中で、そういえば、ちゃんと説明しなきゃだった…と伊東さんは少しバツが悪そうな顔になった。

「オーベルジュっていうけど、日帰りでレストランだけ利用するっていうお客さんも多いところで。オレの中では泊まりっていう選択肢はなかったんだけど…」

私の表情が変わってしまったのか、あ、やっぱり気まずくさせてたかな?ごめんねと謝られた。

恋人になりたい女の子とのデートで行く、とシェフの清水さんに伝えた時に、オーベルジュに車で…と伝えただけなら誤解されてるかもしれないから、きちんとうちの店の形態を説明した方がいいですよと注意されたらしい。

「オレはその、ノンアルペアリングを目的に行くようなものなんで、帰りの運転も問題ないし。あ、もちろん、宝ちゃんはアルコールを飲みたかったら飲んでくれていいんだからね」

なんか言い訳がましいかな?詰めが甘いし配慮もたりないって時々怒られるんだよなぁと謝ってくれる伊東さんの正直さがとてもかわいらしく見えた。

― 泊まるかも?な問題、クリアです…!

ここにいない、愛さんや大輝くんに心の中で報告して、一気に気が緩んだせいなのか。そこからは不思議なほどに緊張が解け、居心地…という表現が正しいのかわからないけれど、まさに居心地の良いドライブになった。

私は話がうまいわけでもないのに、沈黙を気にせず過ごすこともできないという小心者なので、誰かと2人きりの会話には気を張ってしまうことも多い。

それなのに。伊東さんのリードのおかげなのか、会話が慌ただしくなくてもなぜか焦らずにすんだ。間のとり方がすごくナチュラルというか、まるで私が言葉を選ぶ時間を待ってくれているような。穏やかな空気で過ごすことができている。

― なんか…すごくホッとする。

近況を報告し合うなどに始まり、話も弾んだ(私には話せない近況も多かったけれど)。

大阪のホテルと伊東さんとのコラボディナーが大盛況で、来年の開催も決まったことを聞いたり。インターチェンジに立ち寄った時に、たこ焼きを発見し食べたいと悩む伊東さんをなだめるなどしたり。

そのうちに窓からの景色は徐々に長閑に変化していき、2時間があっという間に過ぎた頃、1月とはいえ全ての葉が散っているわけではなく、針葉樹の緑が残る木々に囲まれた山道へ。

非現実の世界に入り込んだかのような高揚を感じながらしばらく進んでいくと、まるで秘密の場所に誘い込まれたかのように、その建物は現れ、到着したと知らされた。

「うわぁ…」

車を降りるように促されて、思わず息をのんだ。



木々の香りと、きぃんと冷えた空気。どこからか聞こえてくる水音に近くに川があることがわかる。その清涼感はとても気持ちが良いけれど、私は田舎で育ったので、それらの自然の恵みが珍しくて感嘆したわけではなかった。

目の前にそびえ立つのは、台形のような形をしたコンクリート調の建物。

2階建てなのか3階建てなのか、それなりに大きく、コンクリートの無機質な灰色、台形という直線的で人工的な形は(美しい蔦がはっているとはいえ)本来自然とは相いれない色味と形状のはずだ。

それなのに全く違和感なく、山の木々の中にその建物は馴染み、まるで空の雲の分量まで計算されてデザインされたかのように、背景に溶け込んでいるのだ。

「元々は上場企業の社長の別荘だったんだって」

その社長さんが、山を見渡せる高台、この景観を気に入って一帯を全て買い取ったことから私有地となった敷地が広く、プライバシーが完全に守られるので有名人もお忍びで使いやすい立地。

さらにバブル景気の時に造られたこともあり、元々建材の質が素晴らしく高かったということで、オーベルジュにすることが決まっても、活かせるものはなるべく活かすという方針で内装を作り変えていったのだという。

「森林破壊も最低限に。元々が自然と共存するデザインで建てられたっていうから、スクラップビルドが繰り返されてたバブル時代の発想としては珍しいよね」

その自然との共存はオーベルジュになった今も引き継がれていて、コンセプトは大人が何もせずに静かに過ごす場所。宿泊する部屋にはテレビなどの電子機器もなく、小学生以下の子どもは泊まることも、レストランの利用もできないのだという。

圧倒されながら門をくぐると、入口で執事のような男性に迎えられた。中へ入ってすぐに目に飛び込んできたのは、エントランスからのアプローチ、廊下の突き当たりにあった壁一面の大きな窓。

そのガラス窓の向こうには、冬ならではの葉を散らせた木々が。樹齢100年という樹木も多いそうで、重なりあった幾多の枝、それらが日の光による影を室内に落としていて、まるでステンドグラスのデザインのように美しかった。

「伊東さん!お久しぶりです」

荷物を預けていると、コックコートを着た男性が駆け寄ってきた。伊東さんと握手とハグを交わす親しさを見せた彼こそがシェフの清水さんだった。

伊東さんより年齢は年上だけれど、立場的には後輩らしく、伊東さんは彼のことを、悟(さとる)と呼んでいるようだ。

今日は貸し切りなので、館内どこでも自由に使っちゃってください!とうれしそうな清水さんに、伊東さんが貸し切り!?と驚いた。清水さんは、他のお客さんがキャンセルになっただけなので気にしないでくださいと笑った。

予約は最低でも半年待ち…と言っていた愛さんの言葉を思い出し、なんだか恐縮していると、清水さんが食事の前にワサビを見に行きませんか、と伊東さんに提案した。

「この辺りの水ワサビの品質って最高で…!近くの沢でワサビを育てている農家さんがいらっしゃって。うちもそこのを使わせてもらっているから、伊東さんにも是非見てもらいたくて。あとしいたけとか、ジビエも…」

地域の食材の生産者さんたちについて、あれやこれやと語り始めた清水さんに、伊東さんがしっかり食いつき、その熱はどんどん上がっていく。

「…あっ!すみません、お2人のデートなのに、つい止まらなくなっちゃって…!でもワサビの沢はめちゃくちゃ水がきれいで空気も気持ち良いので、良かったら宝さんも是非ご一緒しませんか」

慌てた様子でそう言った清水さんに、勿論行ってみたいですと答えながら、1度目のデートで伊東さんも同じように……食の説明に夢中になりすぎたと謝ってくれたなと思い出して、笑いがこみ上げてきた。

清水さんも伊東さんと同じくらいに食を愛している人なんだな、とか、伊東さんも清水さんと話すのがすごく楽しそうだなとか。2人の盛り上がりを眺めていると、なぜか幸せな気持ちになった。

食事の前にと伊東さんに案内されてワサビが作られている沢に降り、その後、近くの桟橋を伊東さんと2人で歩いたりして、到着から1時間程付近を散策してからオーベルジュに戻った。

「食事、だいぶおそくなっちゃったね。ごめんね」

時計を見ると15時を少し過ぎたところだった。伊東さんは謝ってくれたけれど、ランチとはいえ、ディナーコースの量と同じと言われていたので、今くらいお腹がペコペコになった方がかえってよかったのかもと思う。

食事はいつでも始められますので、と先に戻って準備をしてくれていた清水さんに言われて、伊東さんと私は食事のために着替えることにした。

レストランに日帰りで来る客のために作られたという男女それぞれにあるドレスルームに、バトラー(執事という意味らしい)という役割のスタッフさんが、到着時に預けた荷物を運んできてくれた。

「途中で着替えるデートならではの、変身を楽しんでね」

愛さんの言葉を思い出しながら、私はワンピースを取りだす。今日のために購入した、シワにならない素材が故の光沢と滑らかさを持つシンプルなブラックドレスだ。

マキシ丈で体のラインをひろい過ぎないIラインのシルエット。首は詰まっているけれど、背中はやや大きく(私にしては)開いたデザインで、私にとっては冒険ドレスでもある。

今日一日おろしていた、肩より少し伸びた髪を低い位置でまとめてアップスタイルにしてみる。

リップはブラウンがかった私にしてははっきりとした色に…といってもそう濃い色ではないけれど、宝ちゃんに似合うと愛さんに勧められた色だ。グラスに唇の跡がつくのはいただけないという愛さんの教え通り、落ちにくいものを選んだ。

ピアスはいつもより少し大振りな、パールに垂れ下がる数連のチェーンが流れ星のように見えるものに着け替え、バッグもベルベット素材の小さなクラッチに入れ替える。

― よし。

鏡の中の自分は、さっきまでとは、たぶん…少しは、違って見えるはず。これなら伊東さんも少しは驚いてくれるかも…と、自分なりに満足したところで、愛さんに渡されていたもののことを思い出した。

「私からのプレゼント。というかデートへの応援♡」

着替えて準備万端になってから、最後に開けてねと渡されていたのは、黒いシフォンの包装紙に包まれ、ゴールドとグレイのリボンが掛けられた20cm四方くらいの箱だった。おそる、おそる、開けてみると。

― 愛さん!!



それは下着だった。黒い下着の上下。私の普段仕様のものとはずいぶん違う、なんというか大人の女感満載だ。

愛さん!!ともう一度心が勝手に叫んだ。動揺と共にその下着を静かにつまみ上げると、箱の底にはメッセージカードが。

《宝ちゃんに似合うのはどんなのかなって悩んで悩んで、レースじゃないものを選んだよ。このデザインならセクシー過ぎず、スタイリッシュだし知的な感じもするでしょ?サイズはエステさせてもらった時に確認済み。

もしもの時に使ってね♡ ハプニングから始まる恋もあるからね♡》

― 伊東さんは紳士だから、って言ってませんでしたっけ…!?

と私の届かぬ突っ込みに、言ったけどさぁという、愛さんのからかうような笑顔が目に浮かぶようで、私まで笑えてきて、不思議と落ち着いてきた。……よし、もう、こうなったら。

― ……もしもの時だろうが、ハプニングだろうが、ど、どんとこい!

28歳、私も十分に大人ですからね…!と自分に言い聞かせてから、それらをバッグにしまいこんだ。そしてもう一度身だしなみをチェックした後、3回の深呼吸で覚悟を決めてからドレスルームを出る。

外で待機してくれていたバトラーさんが、本日は他のお客様はいらっしゃいませんので、荷物はそのままで、とドレスルームに鍵をかけてくれた。そしてお連れ様のところまでご案内しますと案内されたのは個室だった。

その部屋も壁一面が窓だった。建物全体がとことん景色を楽しむ作りになっているのだろう。食事をしながら景色を眺められるようにだろうか、窓向きにテーブルと椅子が配置されている。

コンクリートの外観とは全く違う、木のぬくもりの感じられる室内に、傾きかけた日のオレンジが優しい。

テーブルに敷かれたクリーム色のテーブルクロスが、スペイン料理っぽくてかわいいと思うのは私の勝手なイメージかもしれないれど、その可愛さに和んでホッとする。

伊東さんと向かい合うのではなく横並びに着席しながら、お待たせしてしてすみませんと伝えると、伊東さんの表情がフッと緩んでドキッとする。

「宝ちゃん、すごくキレイ。ドレスアップしてくれてすごくうれしい。ありがとう」

いつもかわいいけど、今日みたいな雰囲気の宝ちゃんも本当に素敵、と見つめられたその甘い微笑みに、私は思わずメニューを見るふりで視線を下に落とし。トンデモナイデス、とつぶやくだけで精一杯だった。

「宝ちゃん?照れちゃった?でも本心だからね?」

伊東さんのそれらの問いかけに。私は自分が……照れたわけでも、本心ではないと疑っているわけでもないのだとわかりながらも答えられない。

私は。

伊東さんに、キレイと言ってもらえたことが想像以上にうれしかったから。自分のその喜びの分量のようなものに驚き、もてあまし、戸惑ってしまっていたのだった。



料理はあらかじめ用意されているコースメニューで、飲み物はやはり、ノンアルコールのペアリングにしてもらうことにした。

伊東さんはもう一度、宝ちゃんはアルコール飲んでもいいんだよと言ってくれたけれど、清水さんの説明を聞いて、ますますノンアルコールのペアリングというものに興味を持ったのだ。

清水さんは、今日のメニューの説明に来てくれた時に、伊豆という場所ならではの料理への思いを語ってくれた。

「うちの料理は、全て伊豆の食材です。海、山、川、そして卵とかもですね。だから、ノンアルコールのペアリングで使う飲料やスパイスや植物も、全て伊豆のもので作ってご提供させていただきます」

日本の魚類は淡水魚を含めて約3,300種程だけれどそのうち1,000種もが駿河湾にいて、高低差のある土地柄に加えて、水がキレイなので植物の種類も豊富。だから伊豆は食材の宝庫なんですよと誇らしげに、清水さんは続けた。

「伊豆の豊富な食材で組み合わせていくノンアルコールドリンクって可能性にあふれていると思いませんか?

最初の動機は、僕自身がそもそもアルコールに強くなくて好きでもないってことでしたけど、この土地だからこそ、ノンアルペアリングでがっつり勝負してみたいって思ったんです。

でも実は、ノンアルのペアリングって、日本ではなかなか認めてもらえなくて。

しかも僕は、ノンアルをガストロノミー的なメニューにペアリングしたいんです。それをこのオーベルジュで実現したいって言った時、ほぼ全員に反対されたんです。コスパが悪すぎるし、未来が見えないって。

確かにコスパは悪いです。飲み物を考案して、材料を沢山使って納得のいく味にしていくまでの試作はそれなりに時間がかかるし、伊豆の食材にこだわりたいから、原価は上がるわけです。だから反対されることも理解はできるんですけど。

そんな中、唯一応援してくれたのが伊東さんで。試食にも随分付き合ってくれて、味の組み合わせのアドバイスもくれて、その上いろんなところで宣伝もしてくれて。

格式のある料理雑誌に伊東さんとのコラボということで特集を組んでもらったことをきっかけに、僕が目指す世界観が、徐々に世間に伝わり始めて。今では、ノンアルペアリングを求めて来て下さるお客様の方が多くなりました。

まだまだ夢への道半ばではあるんですけど、僕がその夢への道を歩き続けられているのも伊東さんのおかげで。本当に感謝してもしきれないんです」

だから今日はその感謝を込めて腕によりをかけて一品一品を作ります。だから楽しみにしててくださいねと、とびきりの笑顔を残して清水さんはキッチンに戻って行った。

伊東さんは清水さんの恩人なんですねと感動しながら伝えると、アイツ、いつも大げさなんだよと伊東さんが笑った。

「でもかっこいいです。夢への道半ばだからまだまだ進むって言いきれる清水さんが。そういえば…伊東さんもシャンパーニュでおっしゃってましたよね。自分はまだ夢の途中だと」

伊東さんも清水さんも私より年上。30歳を超えても、口にするのも甘酸っぱいような、夢、という単語を曇りなくまっすぐに口にできる人にはそうそう会えないものだ。その上、夢への努力を続け、迷いなく進み続ける人となればなおさら少ないはずだ。

好きな事は仕事にするものじゃないという人もいる。夢だけでは生きられないという現実も理解できるし、それが責任を果たすことにつながるのならば、大人としては正しい判断だとも思えるのだ。

「宝ちゃんは?何かある?夢とか目標とか。野心でもいいよ。言い方は何でもいいんだけど。いまはやれてなくても、ずっと胸にあって、いつか叶えたいこととかさ」

伊東さんの問いに私は首を横にふる。

「今、答えられるものは、何も…」

ない。と答えようとした瞬間、ふと思った。

― そういえば私が…最後に夢を描いたのはいつだった?それを諦めたのは…なせだった?



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※公開4日後にプレミアム記事になります。

▶1話目はこちら:27歳の総合職女子。武蔵小金井から、港区西麻布に引っ越した理由とは…

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