「女子御三家→早稲田大」の22歳女性が「MARCHでも人権ない」発言で炎上…真意を聞いてみた

 学歴界隈に新星が現れた。

 有名YouTubeチャンネルで発言した「MARCHでも人権ない」とのパワーワードが炎上したゆいにゃ氏(22歳)だ。女子御三家の一角・女子学院の卒業生である彼女は、母校の卒業生の進学先を問われ、このように答えた。

 女子学院から早稲田大学法学部を経て大企業へ就職したゆいにゃ氏は、その若さで2度の退職を経験している。現在の肩書はコンセプトカフェ店員。何事も長続きしない自身の性質を“社不”(社会不適合者)と表現する。思い返すと、筆者との取材予定日にも、待ち合わせ時間直前に「今起きてこっから準備するところです」とのメッセージが送られてきた。

 輝かしい経歴と裏腹に退廃的な方向へ傾き続けるゆいにゃ氏とは、一体どんな人物なのか。その素顔に迫った。

◆MARCHに人権はないのか?

――まず最初に率直に聞きますが、MARCHに人権はないのでしょうか?

ゆいにゃ:実は私、青山学院大学の一般入試、明治大学のセンター利用入試でどちらも落とされていまして……。個人的には人権がないとは思っていないんです(笑)。ただ、母校の雰囲気を伝えるうえで、「そういう空気感」という意味で放った言葉が思わぬ影響力を持ってしまって。どんな人にも基本的人権があるのは当然ですが、炎上とはいえ図らずも自分の代名詞になる言葉に出会えたので、今後は全面に押し出していこうかなとは思っています。

◆「閉じられた人間関係」が窮屈だった

――ご自身を社会不適合者だと自覚し始めたのは、いつぐらいからでしょうか?

ゆいにゃ:その前に! まず先日の非礼をお詫びさせてください……たいへん申し訳ありませんでした。いろいろと手一杯になってしまうことが多々あるんです。自分のよくないところだなと思って反省しています。

 自分が「浮いているな」と思ったのは、中学生以降ですね。中学受験を勝ち抜いて御三家に入学したものの、女子学院という学校と合わない部分もあり、結構悩みました。もちろん、非常にリベラルで革新的な試みに挑戦させてくれる風土もあったのですが、一方で、そうした人たちを快く思わない保守的な同級生もいたりして、そうしたことが辛くて滅入ってしまう経験を多くしました。

 特に私の場合、閉じられた人間関係が窮屈に感じてしまい、外部との交流を求める傾向があるんです。高校時代でいえば、それは外部のバンド活動でした。そうした活動が知られるようになると、「勉強の方は大丈夫なのかしら」「遊んでるんじゃないかしら」というような噂が広まって……。

 確かに私は女子学院のなかで成績がいい方ではなかったし、立ち回りもうまくないため悪目立ちすることもあったと思います。そういう居心地の悪さを感じていましたね。でもだんだん年を重ねるにつれて、別に女子学院が特殊というわけではなくて、むしろ社会においてはもっと粗雑な扱いを受けたりすることを知って、さらに心が病んでいった感じでしょうか。

◆人権がなかったのは「当時の私」


――女子学院は名門校ゆえ、早慶でも羨望の眼差しは注がれないのだと思います。とはいえ、劣等生だったゆいにゃさんが早稲田大学法学部に受かったのは大金星だったのではないでしょうか。

ゆいにゃ:先ほども説明したように、「人権ない」とか言ってるMARCHにすら嫌われていますから、その状態で“ワセ法”に現役合格したのは、同級生からすれば面白くなかったかもしれませんね。実際、ワセ法に現役合格したとき、SNSのアカウントのフォロワーが50人くらい一気に減ったんです(笑)。ワセ法は早稲田大学の学部間ヒエラルキーのなかでも上位ではありますから、妬みたくなる気持ちはわかります。自分が逆の立場なら、私も私のフォローを外すかもしれない(笑)。

 受験勉強を始めたのは高3の夏からで、全国での偏差値は33でした。女子学院のなかに限定すれば偏差値17です。勉強ができないとかいうレベルではないですよね。人権がなかったのは当時の私なんですよね(笑)。

◆「中学受験の勉強」はやり遂げたものの…

――そこからは、少なくとも履歴書上は立派な経歴ですよね。大学も現役で卒業し、大企業へ入社している。

ゆいにゃ:はい。しかし心が折れていくのは自分でもわかっていました。大学3年生のころ、それまでもメンタルが不調なことがあったけれども行かずにいた心療内科を受診しました。そこで、抑うつ傾向を指摘されました。そうした病気とは、今もなお付き合っています。

 結局新卒で入社した会社は2ヶ月で退職し、そのあとに入社したベンチャー企業も1週間でリタイアしました。もともと飽きっぽいところはあるんですよね。やり遂げたといえるものは中学受験の勉強くらいなもので、部活動も習い事も、もちろん就職しても続いた経験がありません。そういうキャラクターを演じているのではなく、「自分は何がしたいんだろう」といつも心のどこかで自問しているんです。

◆「生きづらさを感じている人」の能力を活かせる場所を作りたい


――今現在、ゆいにゃさんのやりたいことは何でしょうか?

ゆいにゃ:ゆくゆくは、教育事業を興したいという思いがあります。私は計画性に乏しい人間で、学習計画を立てるのにとても時間がかかりました。短時間で学習内容を身につけるノウハウは培ってきたので、そういう得手不得手が激しい子であっても、サポートすることで学びやすいようなアプリケーションの開発をすることにも関心があります。将来的に、名前を言ったときに「知ってる」と多くの人に言われるような企業に育てられたらと思います。

 また、採用する人材についても、能力の凸凹がある人たちを極力活用できるようにしたいとは考えています。いま、社会に生きづらさを感じている人は少なくないはずで、その億劫さが挑戦のハードルを高くしている側面があると思うんです。もっと誰もが自分らしく能力を活かせる場所があったら、企業側にとってもプラスになると思うので、自分のように「不適合」な人間ものびのびと突き進める道を示せたらとは思います。

◆「自分だけは自分の味方でいたいな」と思う

――最後に、ゆいにゃさんの目を通して見える社会、そこから描く将来像について教えてください。

ゆいにゃ:たとえば大企業を2ヶ月で退職するとき、現在のようなSNSでの発信をメインに活動すると決めたとき、さまざまなことを自由にやらせてくれた親ですら眉をひそめて私に忠告をしました。あのとき、親に「黙って!」と言ったのを覚えています(笑)。

 確かに、世の中には「◯◯すべき」「◯◯であらねばならない」という不文律が多く、そこから外れた生き方をするのは不安が伴います。「あいつ失敗してるよ」という知人からの嘲笑に耐えないといけない場面もあるでしょう。でもだからこそ、自分だけは自分の味方でいたいなと思っています。同調圧力に身を任せて刹那的な安心が得られたとしても、納得のできない人生を生きるのは結果的に辛いと思うんです。

 とはいえ、22年間押し殺してきた自分の心の声に向き合えるようになったのは私もここ最近で、「これからどうしたいのか」は未だ模索中です。でも1つだけ言えるのは、生きがいを探して生きているほうが生きている実感があるということです。そして不思議と、そういう目で見たら、自分に興味を持ってくれる人、応援してくれる人を何とか楽しませたいなと思えるんです。

 世間的には至極真っ当な忠告をして、「黙って!」と私に言われた親も、今では「あなたがしたいことをしなさい」と応援してくれています。そんなとき、自分がいかに恵まれているか、その幸運に心から感謝します。

=====

 もがき、爪痕を残しながら進む姿はあまりに生々しくて、逆にコミカルにさえ思える瞬間がある。ある種の切迫感がなぜか笑いを誘うように、生きることの根源に立ち返らせてくれるからかもしれない。

 ゆいにゃ氏は決して強くない。挫折のたびに心は折れる。不吉な予言をすれば、これから幾度も折れるだろう。だが折れながら進む方法を知っている。「このままでは終われない」という身体の底から湧き上がる念が、よくいるエリートのひ弱なプライドでは説明がつかないほどの熱を帯びる。

 どんなに転んでもいい。転がりながらでも目的地を目指す。炎上すら足がかりにして自分の存在を証明するうら若き乙女に、そんな不屈を見た。

<取材・文/黒島暁生>

【黒島暁生】

ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki