会社や役所、駅、学校のトイレで清掃員を見かける。小便、大便を体から出すのは人が生きていくうえで極めて大切で、最も基本的なこと。だが、新聞やテレビ、雑誌ではその最前線にいる清掃員を大きく報じることは少ない。
今回は、有名スポーツジムで清掃員として働くシングルマザーに取材を試みた。清掃の現場は「悲惨」「過酷」と評する声もあるが、リストラで無職の人、夫や妻と離婚や死別をした人、60~80代の高齢者や外国人まで様々な働き手がいる。この職場で働きながら、女性が1人で子どもを養うことの意味を考えたい。
◆午後11時から午前3時まで勤務
都内東部の私鉄の某駅から徒歩で3分のスポーツジム。午後10時50分、地下1階の物置のような薄暗い部屋のステンレスの椅子に男女が座る。2人は4~5年前から清掃員としてパート社員の扱いで働く。ジムの閉館となる午後11時から午前3時まで手分けをして全館を掃除する。
今回、取材で話を伺ったのは2人の清掃員のうちの女性のほうで、名は西郷静香(仮名・46歳)。夫と5年前に死別し、4年前から週5日、午前10時から午後5時まで正社員200人ほどのスーパーの総務に正社員として勤務。月給は、35万円。賞与は年2回で1回につき、基本給の平均2か月分。年収は、550万~570万円になる。
この収入だけでは、私立高校に通う長男と私立中学に通学する娘は養えないという。
◆子供2人が私立大に進学
「夫の父が数か月に1度、自らの年金や貯蓄の一部である10万~20万円ほどを孫の養育費として渡してくれます。それでも今後、2人が私立大学に進学することを考えると、収入が足りない。そこで3年前から子のジムで週3日働いています。時給は、1650円。1か月の給与は平均8万5000円で、1年で100万円ほどになります」
午後11時に閉館となり、5分後には館内に会員は1人もいない。ジムの正社員である支配人が全館の見回りを終えた後、2人に軽く挨拶をして帰る。ほとんどの電気が消え、暗く静まり返った館内で2人の清掃がはじまる。
西郷の担当はまず、4階のプールの更衣室だ。7~8月は2~3歳から中学生までのキッズ・スイミングスクールをほぼ毎日開設している。1日の子供の利用は、60~70人。更衣室のロッカー付近やその下のタイルには、大量の水があふれている。子どもたちがプールから出てきて体を拭くことなく、更衣室に入り、着替えるからだという。
◆排泄物まみれで菌だらけのプール
特に女子の場合、水着が上半身と下半身になるだけに男子の倍以上の水となる。西郷は、その水の中に尿が含まれていることを知っている。「おしっこをプールの中で水着のまましたはず。その後、体を洗うことなく、更衣室に入っているみたい」。
支配人から聞いたのだが、ジムの正社員5人ほどと水泳のインストラクターの間ではかん口令がしかれているらしい。会員たちに知られたら、子どもだけでなく、成人を対象としたスイミングスクールも閉鎖を余儀なくされるかもしれないからだ。
「閉館から開館の午前6時までジムの支配人は、『節電』と称して全館の冷房を止めます。換気扇も動かさない。温度が40度近い更衣室で大量の水と尿をモップで吸い取り、それをバケツに突っ込む。水で洗い、またタイルの水と尿の吸い取りをする。時折、除菌効果のあるバスクリーナーを散布する。この繰り返しを30分ほど続けます。苦しさと暑さと、強烈な臭いで泣き出したくなるんです」
追い打ちをかけるのは、2~3歳の子がつけた紙おむつだ。親が子どもを連れて通わせるのだが、おむつをつけ、その上に水着を着せているようだ。更衣室のゴミ箱にあるおむつには水と尿、そしてウンチがついている。西郷は当初、驚いたという。「水着をつけ、プールの中でおしっこやウンチをしていると思う。汚いし、菌だらけのプール。2時間ごとに、殺菌効果の液をプール内に入れているみたいだけど、こんなところによく通うな……」。
◆おう吐物、おむつ、陰毛の清掃で泣けてくる
更衣室の清掃を終えると、3階の男女の風呂場に移る。1日で男女合わせて、150人前後の会員が利用するようだ。男湯、女湯それぞれの室内の中心には浴槽があり、その奥に10人程が利用できるシャワーの個室ルームがある。男湯のシャワールームには、おう吐物が時々ある。「激しい運動をした後で、シャワーを浴びると気持ちが悪くなるのかな。そこまでしてジムに通うの?」。
西郷はおう吐物を見ると、疑問に思う。ここも40度近い温度の中、汗を拭き出しながらシャワーとブラシを使い、洗い流す。
「夏は会員が大量に汗をかき、シャワーを浴びるから下のタイルにぬめりがつきやすいです。男湯は女湯よりも汗の量が多いので、四つん這いになり、手でブラシを持ち、タイルをゴシゴシとこすります。汗と水とおう吐物、バスクリーナーの液が混ざった臭いをかぐと、吐きそうになるんです。何度も『おっえっ~』と声を出しながら洗う。時々、涙が出てきます」
夫が他界した直後にはじめたこの清掃は当初は悲しくて仕方がなかったという。苦しさ、情けなさ、切なさ、孤独の涙だった。男湯のすぐ隣に、男子トイレがある。ここのゴミ箱に毎回、おむつが突っ込んであるのだ。成人であるはずの男たちが使用したものらしい。「70~80代の人がおむつをつけ、その上にウェアを着て運動をする。その時に尿を漏らすみたい」と淡々と語る。
◆「清掃の仕事は、もっと評価されていい」
あまりにも汚らしく、みじめになるから何百回も辞めようと思ったようだ。とはいえ、夫がいない。子どもを守れるのは自分しかいない、と言い聞かせてきた。
今では、大きな声でこう言えるようになった。「ジムは、体の老廃物を出すところでしょう。誰かが、それをキレイにしないと最後はみんながここに来なくなるじゃない? 清掃の仕事は、もっと評価されていいと思うな」
1時間半ほどで終え、次に女湯に向かう。まず、室内を見渡す。毎回、タイルにはカラになったシャンプーやリンス、トリートメントが10~20個転がる。「女らしいよね。わざわざ、家で使っているものを持参するのだろうね。ここに来るのが、楽しみなのかな」。時々、使用済みの生理用品も数個落ちている。会員が、風呂場で捨てて帰るらしい。浴槽の排水溝付近には、無数の陰毛がある。男湯よりもはるかに多い。女性の場合は、シャワールームにおう吐物はめったにない。
西郷が、清掃に取り掛かる。バスクリーナーを室内にいたるところにまき散らし、ブラシでこする。バスクリーナーが充満し、目がしみる。西郷はゴーグルとマスクをして作業を続ける。男湯に比べてスムーズに進む。会員たちの汗や吐いたものが少ないからだ。
◆サウナに大便?
難所は、座って顔や髪を洗うところの排水溝付近だ。ここに、2週間に1回ぐらいのペースで大便がある。毎回、黒々して細長い。男湯ではまず見かけない。「こんなところでするの? 信じられない。たぶん、風呂場のどこかでしてここまで流されてきたのかな。ウンチがある中で、風呂に入るの?」。
当初、西郷はこの行為を不可解に思ったが、3年目になると驚かないという。毎度のこととして受け止め、シャワーで排水溝に淡々と流し込む。「男は吐くまで、女はウンチをするまで運動するのが、ここのジム」。こんなつぶやきをしながら、清掃を続ける。
クライマックスは、サウナだ。閉館しているが、室内は依然、45度を超えている。12畳ぐらいの室内にバスクリーナーを大量にまく。会員が腰かける木の長い椅子にはところどころ、小さな大便がついている。男湯にもサウナはあるが、ほとんど見ない。
西郷は「女の体って不思議よね」と言いながら、濡れた雑巾をつかみ、慣れた手つきで取る。暑さのあまり、汗が飛び散る。
◆サウナ、女湯の清掃を終えたら…
女湯の清掃を終えると、午前3時近い。最後は担当したプールの更衣室と男湯、女湯を見渡して確認をする。コンビを組む男性は全館の機器と階段、廊下、ロビー、駐車場の清掃を終え、ほぼ同時刻にジムを後にする。
西郷は、夫がいなくなった後の1年は泣き崩れる日々だった。今は、2人の子を育てるのに必死だ。家に帰り、風呂に入り、念入りに全身を洗った後、1時間ほど寝て午前6時には起きる。子どもが食べるごはんとお弁当をつくらなければいけない。その後は30分ほど寝て、勤務先のスーパーに向かう。こういう生活で、月に額面で40数万円の収入となる。家賃15万円のマンションに親子3人で暮らしをする。毎月、手元にはお金はさほど残らない。
「ウンチやおしっこ、吐いたものがあろうと、他に仕事がないの。働くしかないのよ、私は……」
<TEXT/村松 剛>
【村松 剛】
1977年、神奈川県生まれ。全国紙の記者を経て、2022年よりフリー