プロボクサーが試合中の事故で死亡…「不慮の事故への補償」はどうなっている? “元プロボクサー”の弁護士に聞く

プロボクサーの穴口一輝選手が、昨年12月の日本バンタム級タイトル戦で生じた右硬膜下血腫がもとで2月に亡くなった。個人事業主であるプロボクサーが業務中の事故により死亡した場合、会社員や公務員と異なり、労災の対象外とはならない。では、補償を受けられる制度は一切ないのだろうか。

ボクサーには健康保険のほか「見舞金制度」

プロボクサーは個人事業主として国民健康保険や国民年金に加入している。したがって、ケガをした場合には国民健康保険の「3割負担」の対象となり、後遺障害が残った場合には「障害年金」、亡くなった場合には遺族に「遺族年金」が支給される。

では、それ以外に、一部の業界でみられる個人事業主の「共済」のような制度はないのだろうか。元プロボクサーの坪井僚哉(りょうすけ)弁護士(法律事務所アルシエン)に聞いた。

坪井僚哉弁護士(法律事務所アルシエン提供)

坪井弁護士:「プロボクサーには『共済』のような制度もありません。しかし、プロボクシングを統括する一般財団法人日本ボクシングコミッション(JBC)が『健康管理見舞金』の制度を設けています。

これは、JBCが認定する公式試合でケガを負い、コミッションドクターの指示で治療を受けた場合に、治療費の自己負担分(30%)について10万円を上限として支払ってくれるものです。

これにより、治療費についてはある程度カバーされますが、死亡保険金のようなものはありません。

なお、アマチュアの場合は、ボクシングジムが団体ごとに加入する公益財団法人『スポーツ安全保険』があります。これにより入院・通院1日ごとに数千円の給付金を受け取れるほか、後遺障害と死亡の場合にはまとまったお金を受け取れます。

私が所属していたジムでも、スパーリングをする人は全員、この保険に必ず加入することになっていました。しかし、その後私はプロボクサーになったので、この保険の補償を受けられなくなりました。

プロボクサーが試合中の事故で死傷した場合の補償については、不十分な面があるといわざるを得ません」

「死ぬより負けることの方が怖い」ボクサーの保険加入の可否と実態

他の業種の場合、多くは民間の保険に加入する選択肢が充実している。死亡に備えた生命保険、ケガに備えて傷害保険や医療保険などの保険がある。

しかし、傷害保険はプロボクサーの加入が認められていない(職業でなく趣味でボクシングをする場合は認められる)。また、医療保険や生命保険は加入が認められてはいるものの、保険会社ごとに保険金の額の設定や支払い条件に制限がある。

プロボクサーの生命保険の加入状況について、保険会社等による公式のデータは見当たらないが、実態はどうだろうか。


プロボクサー時代の坪井僚哉弁護士(本人提供)

坪井弁護士:「私が現役の頃もそうでしたが、生命保険に加入するかどうかは、各自の判断に任されています。

知り合いの元プロボクサーにも何人か確認してみましたが、生命保険には加入していないケースが多いと考えられます。理由は2つあります。

第一に、プロボクサーで、自分が試合中の事故で亡くなったときのことを考えている人は多くないと思います。私が現役のときは、独身だったからというのもありますが『死ぬより負けることの方が怖い』と思っていました。同様に、多くのプロボクサーは死や大ケガを覚悟してリングに上がっていると思います。

ちなみに私は、試合の前には毎回、遺言書を書いていました。大学で法律を勉強しながらプロボクサーをやっていたので、中身は法律的な意味での遺言です。

第二に、多くのプロボクサーはお金がありません。ファイトマネーも決して高くはないので、たいていは副業をしているくらいです。『保険に回すお金がない』という人がほとんどではないでしょうか」

重要なのは業界をあげての「死亡事故の未然防止」の取り組み

このように、プロボクサーが民間の保険による補償・保障を受けるのは、ルール上も実際上も制約があるといわざるを得ない。坪井弁護士は、その代わりに、業界をあげて不慮の事故を防止するための取り組みが行われているという。

坪井弁護士:「ボクシングは、他のキックボクシングなどの格闘技と比べて危険性が高い競技です。なぜなら、打撃の対象となる部位が腰から上の前面のみと狭く、特に頭部に打撃が集中するからです。

だからこそ、プロボクシング業界をあげて、事故を未然に防ぐための対策に確実に力を入れてきています。

たとえば、JBCでは、試合が終わってから次の試合までの間隔を長く空けるようになってきています。また、レフェリーストップがかかるタイミングは以前より目に見えて早くなっています」

穴口選手の試合について、JBCの事故検証委員会は、試合を最後まで継続させたJBCとレフェリーの判断や試合後の措置について、大きな問題はなかったと結論づけた。

坪井弁護士は、この事故検証委員会が出した結論はやむを得ないとする。

坪井弁護士:「私は、去年12月の穴口選手の試合をリアルタイムで観戦していました。

10ラウンドまでもつれる激闘で、年間最高試合に選ばれるほどのいい試合でした。穴口選手は4回ダウンを奪われながらも健闘していて、逆転も十分あり得る展開でした。

私は、自分自身がプロボクサーとして試合を経験しましたし、ボクシングの試合を数多く観戦してきました。その視点からみて、JBCもレフェリーも、穴口選手のセコンドも、試合をストップするかどうかの判断はきわめて難しかったと思います。

決して、誰が悪いという話ではなかったと考えています。

しかし、再発防止策を講じることはきわめて重要だと思います」

JBCは7月10日の「医事講習会」で、事故検証委員会の提案を受け、無理な減量選手の健康管理や試合時のセコンドの増員(現行の3名から4名へ)など、具体的な再発防止策を講じることを表明した。試合中の不慮の事故が起きた場合の補償・保障が十分でないからこそ、業界あげての再発防止策の徹底と、さらなる安全管理の向上が求められる。