ある日、突然訪れる親との別れ。家族に見守られながら穏やかな最期を迎えることもあれば、誰にも知られることなく一人静かに旅立つこともある。
認知症を発症した父親の最期に今年7月、直面したのは、2023年に認知症実話漫画『認知症が見る世界 現役ヘルパーが描く介護現場の真実』を上辞した漫画原作者でルポライターの田口ゆうさん。介護福祉を専門とするライターが目撃した自らの父親の最期とは?(以下、本人が寄稿。筆者の希望により故人の顔はモザイク処理をせずそのまま配信します)
◆ウジがたかり腐敗が進み
著書の原作を書いている真っ最中に実父は認知症を発症した。享年78で、介護拒否の末、自宅アパートで孤独死した。亡くなったのは、2024年7月17日と推定される。詳しくは、検死解剖の結果を待たなければ分からないが、夏場は高齢者が多く死ぬ。
この記事を書いている現在、結果がいつ出るのかは順番待ちで、何の見通しも立っていない。自宅で倒れているところを近隣住民に発見されたのが、2024年8月10日だ。この暑さで死後1か月の遺体にはウジがたかり、腐敗が進み、骨格で何とか父と分かる状態だった。
◆アルコール依存症患者が認知症に
父の様子がおかしいと気づいたのは、昨年の夏だった。何度、電話しても出ない。父は昭和のマスコミ人らしく、昼酒は当たり前。そこから、アルコール依存にもなり、暴れた。筆者は高校生になるまでは、よく殴られたり、蹴られたりしていたので、父にいい思い出はない。
退職すると同時に離婚された父は、よりアルコールにすがるようになっていった。そんな父は電話がつながらないことは多々あったが、その時は1か月近くつながっていなかった。
さすがにおかしいと思い、訪ねると、父はクーラーのない部屋でボーっと佇んでいた。そこからは、周囲の介護関係者に相談しながら、即クーラーを設置し、要介護認定の申請をした。同時に生活保護の受給申請もした。
◆精神病院入院か在宅介護の2択
生活保護の申請をしてから、父のケースワーカーと相談したが、アルコール依存がある認知症の高齢者が介護を受けるには、断酒する必要がある。精神病院に入院し断酒するか、在宅でアルコール依存があってもケアしてくれるヘルパー事業所やデイサービスを見つけるかの2択となる。
当時、同じような問題に直面したことがあった友人で、「「4歳のときビール瓶で頭を殴られた」父のアルコール依存症と戦い続けた男性が選んだ道」(日刊SPA!)で取材もしたことがあるリネットジャパングループの常務執行役員・藤田英明氏に相談をした。
すると「精神病院に入院したら、アルコール漬けが薬漬けになるだけで、寝たきりになる可能性が高い。在宅介護だと、飲酒はやめない」と言われた。父が若ければアルコール依存症の治療を考えただろう。だが、父は当時、77歳だった。好きなように余生を過ごさせたいというのが、筆者が出した結論だった。
◆介護は残される遺族のためのセレモニー
父のアルコール問題で嫌な思いをしていた筆者は、弱った父を虐待しない自信がなかった。
同じく「「家族が壊れる…」認知症の親の介護、当人の“病識の低下”が悲劇の原因だった」(日刊SPA!)で話を聞いたこともあるので、認知症ケアの専門家で『認知症の人の「かたくなな気持ち」が驚くほどすーっと穏やかになる接し方』(すばる舎)の共著者で株式会社くらしあすの坂本孝輔氏に相談した。
彼からは「介護は残される遺族が自己満足して、死を受け入れるためのセレモニーだよ。田口さんがちょっといいことをしたと思う程度のことをお父さんにしてあげたらいい」と言われた。その言葉が救いになった。「ちょっといいことをした」と思える距離感ならば、優しくできそうだ。
そうして、筆者の介護生活は始まった。意外にも穏やかな1年だった。父は酒をやめなかったし、介護事業所が入ることは頑なに拒んだが、「精神病院で廃人になるか」と言ったこともあり、酒量は大幅に減っていた。
◆ふらりと現れた父がくれた5万5000円
筆者を他人と間違うこともあり、「本当にご親切に。ありがとうございます」と深々と頭を下げることもあった。過去の出来事を許せそうなほど、おだやかな日々が過ぎて行った。失禁等があったものの、父は筆者宅にも孫の顔を見に通う程度には、元気だった。
2024年7月15日、自宅に父がふらりと現れた。認知症になってから、父が筆者宅にアポなしで訪ねてくることは何度かあった。その時はいきなり「貯めたんだ」と言い、5万5000円を差し出してきた。
父の退職後に、お金の無心をされることはあっても、お金をもらうことは少なかった。ラッキーストライクを吸いながら、孫の運動会の動画を観て、「見に行きたかった」と言う父の表情は、とても幸せそうだった。最後に「今後の人生、男にだまされないように気をつけなさい」の一言を残し、父は帰宅した。
◆警察からの電話と事情聴取
2024年8月10日夜、知らない番号から何度も着信がある。下四桁は「0110」。あとで警察官から「警察署の電話の下四桁は0110ですので出てください」と言われるまで、知らなかったが、警察署からの電話だった。無視していると、22時に警察官が訪ねてきた。
「お父さんが自宅で亡くなっていました。死後、時間が経っているので、腐敗した状態です。事件性はないと思いますが、事情聴取させてください」と父の死を知らされる。
筆者は7月17日に、父に5万5000円のお礼の電話をしているが、その時には、電話はつながっていない。その後、1日2回ほど安否確認の電話をしているが、この暑さだし、そろそろ様子を見に行こうと思った矢先の出来事だった。
今は戸籍謄本も電子化している。筆者は離婚後、父と分籍しているが、母も姉も同様だった。身元を確認できるものがなかったため、警察の取調室で、DNA鑑定をすることになる。
◆変わり果てた父との対面はできず
孤独死した老人は、最初は事件扱いだ。事情聴取を受けることになる。家族関係を答えた。
「父はアルコール依存症だったので、父の離婚後、父と私・母と私・姉と私・父の妹と私・父の元同僚と私は連絡を取っていたけど、父自身は全員から拒否されていました」とそれぞれの電話番号を教える。
母は一昨年、ガンで闘病の末、他界している。警察官より「そうなんですね。ご両親の離婚後、田口家で全員と連絡が取れるのは、あなただけだったんですね。あなたが田口家を回していたんですね。お母さんに続き、お父さんまで。本当にお疲れさまでした」と言われた時に、初めて涙が出た。両親の離婚後、壊れた家族をつないでいたのは、筆者だったのかもしれない。
夏場は高齢者が死ぬ。「腐敗した遺体でいっぱいだから」という理由で、安置室には入れてもらえなかった。「トラウマになるかもしれないし、やめたほうがいいのでは」と言われたが、どうしても父の最期の姿を見たかった。写真で見た顔には、取りそびれたウジが1匹ついていたが、その骨格は間違いなく父だった。
父の「お金を貯めた」は嘘で、父の部屋の電気は止まっていて、懐中電灯で生活していたようだ。だから、クーラーはついていなかった。食事したあとはなかったが、缶ビールの空き缶の山だけはあったという。父らしい死に様にホッとした。遺品も匂いがひどく引き取れる状態ではなく、部屋にはすぐに特殊清掃業者が入った。
◆介護は「緩慢な死」の受容
母が亡くなった時もそうだったが、父の死に対しても、大きなショックはない。ガンの闘病に付き添うことも、認知症の介護も親の「緩慢な死」の経過に立ち会うことだ。いきなり交通事故死するのと違い、徐々に「親の死」を受け入れていく作業だ。
それなので、検視結果が出て、葬儀がいつできるかも分からない状態でも、友人・知人と「迷惑な親の最後の子孝行」な話として、笑いながらネタにもできている。前出の坂本氏からも「すばらしい最期ですね。5万円届けに来るところなんて、なんとダンディだろう。良い介護ができましたね。胸を張ってください!」とのメッセージをもらう。
「世の中的にはエアコンのない部屋で孤独に腐敗という強烈なエピソードの結末を『介護が不適切だった』と批判する人は少なくないでしょう。でもそんな社会の同調圧力に負けて無理に施設入所に踏み切っていたとしたら、最期まで好きな酒を飲んで、娘と孫と仲良しでいられることはできなかったでしょう」(坂本氏)
悔いはない。父が元気な頃の口癖は「僕はワイドショーのプロデューサーが長かった。お前にも自分のことはいいことも悪いことも、全て書いて欲しい。それが人様を飯のタネに食ってきた人間の責任だ」だった。現在12歳になる息子と父の写真を見ながら、1人、献杯をした。天国では好きなだけ酒を飲んで欲しいものだ。
<取材・文/田口ゆう>
【田口ゆう】
ライター。webサイト「あいである広場」の編集長でもあり、社会的マイノリティ(障がい者、ひきこもり、性的マイノリティ、少数民族など)とその支援者や家族たちの生の声を取材し、お役立ち情報を発信している。著書に『認知症が見る世界 現役ヘルパーが描く介護現場の真実』(原作、吉田美紀子・漫画、バンブーコミックス エッセイセレクション)がある。X(旧ツイッター):@Thepowerofdive1