がん治療に対する社会科学者としての見解
なぜ、がん治療に関して、こうした百家争鳴のような状況が起きているのかというと、がんの治療に関しては、まだまだわかっていないことが多いからだと思う。
実際、がんには特効薬がない。たとえば、A型インフルエンザの患者に治療薬のタミフルを投与すると、発熱期間を1日短縮するということが統計的に明らかになっている。また臨床面でいうと、大部分の患者が、投与後すぐに症状が改善すると医師は言う。
ところが、がんの場合はそうはいかない。
効果がすぐに出ることはないし、同じ治療をしても、患者によって効果を発揮する人としない人が明確に分かれるのだ。
実際、私のところに来た「この治療法が効く」というアドバイスの大部分が「私はこの方法でがんからの生還を果たした」とか、「私の知り合いがこの方法で治癒した」というものだった。サンプル数は1が大部分で、最大でも3だ。
私はこれでも社会科学者のはしくれで、これまで多くの調査の分析をしてきた。大雑把に言うと、少なくとも100くらいのサンプルがないと、本当の効果はわからないことが多いのだ。
たとえば、新薬の治験を行なう際には、被験者を2つのグループに分けて、1つのグループにはなんの効果もない偽薬を与える。そして、もう1つのグループには新薬を与える。そして、両方のグループの症状改善に有意な差があるのかを検証する。
新薬に効果があるという仮説を立て、その仮説が間違いである確率を統計学ではP値というのだが、一般的にはP値が5%を切るようでないと効果は立証できないとされる。そして、このP値は、劇的な効果があるものほど、少ないサンプル数でも下がる特徴がある。がんの場合は、劇的な効果を持つ治療法がないのだから、効果の立証のためには、より多くのサンプルが必要になるのだ。
あくまでもイメージだが、ある治療法が効果を発揮する確率が2分の1だとしよう。悪くなる可能性も2分の1だから、効果はまったくないということになる。それでも世の中の人の半分は、この治療法で治ったと考える。仮に3人の人が、全員快復したとする。そうしたことが偶然起きる可能性は2分の1の3乗、すなわち8分の1だから、12.5%の確率で起きることになる。全体の1割以上のケースで起きるのだから、それを目の前にした国民が「効果がある」との声を上げれば、相当な数になるのだ。
もちろん、そうしたことをわかっていて、きちんとした医学論文を送ってきてくれた医療関係者もいた。
ただ、そうした論文を読んでみると、新しい治療法がもたらす5年後生存率の改善は、数%にとどまっている。劇的な効果はない。がん治療というのは、そういうものなのだ。
これは統計的に立証されたものではないのだが、ある医師に話を聞いたところ、がん治療薬として認められて、保険診療の対象にもなっているオプジーボでも、効果を発揮してがんが消滅する人は、全体の2割程度にとどまるという。8割の人を救うことはできないのだ。
森永卓郎
経済アナリスト
獨協大学経済学部 教授