記録的な円安や物価上昇など、日本が不況にあえぐなか、より良い条件を求めて海外就職や出稼ぎを考えている人も少なくないはずだ。
タイは日系企業が多く進出していることから、現地採用で働いている日本人も多い。とはいえ、“夜の店”のオーナーになった例は珍しい。13年前にバンコクを訪れ、その後は数奇なめぐり合わせでタニヤのカラオケ店を経営することとなった東野樹さん(仮名・35歳)に詳しい話を聞いた。
◆初のタイ旅行で無一文に「お金がないのなら、働いて稼ぐしかない」
東野さんが初めてタイを訪れたのは2011年。当時流行していたバックパッカーに憧れて、リュックひとつでバンコクへ。
「大学の卒業旅行で王宮や寺院などの観光地を1ヶ月かけて回る予定でした。しかし、旅行2日目に財布を落として全財産を失ってしまったんです」
しょっぱなから、まさかのトラブルに見舞われた東野さん。まだ学生だったため、クレジットカードも持っていなかったのでキャッシングもできない。また、家族に連絡して送金をしてもらうことも考えたが旅行期間中に間に合うかわからなかった。
普通であれば、困ったときに向かうのは日本大使館だろう。だが、東野さんが向かったのはタニヤだった。
タニヤとは駐在員御用達のカラオケなどが立ち並ぶ、日本人街として知られるエリアだ。まず、東野さんは、そこにあったアイリッシュパブに足を運んだ。
「アイリッシュパブの店員に『掃除でも皿洗いでもなんでもいいから働かせてください』と頼み込んだんです。お金がないのなら、働いて稼ぐしかないと。しかし、店員に英語を話せるかと聞かれて『話せない』と答えたら断られてしまいました。タニヤの道端で座り込んで途方に暮れていると、タイ人の女性に声をかけられたんです」
その女性は、タニヤで日本人客を相手にするカラオケ店のママだった。
◆タニヤのカラオケ店の客引きとして働く日々…
事情を話すと、ママに「ちょうど、日本語を話せるスタッフが欲しかった」と言われた東野さん。そのまま、カラオケ店の客引きとして働くことになった。
「当時、タニヤには日本人の旅行者や駐在員で溢れており、客引きの女の子同士も取り合いのような状態でした。そんな中、日本語で客引きをする僕は珍しかったのでしょうね。1日に何組ものお客さんを呼び込めて、1ヶ月間働いて1万5000バーツ(当時のレートで約3万9千円)の給料をもらえました」
旅行のつもりが、カラオケの客引きとして働くこととなった東野さん。こうして滞在中の食費を稼ぐことができ、1ヶ月後、無事に帰国することができたという。
その後、東野さんは医療系の財団法人で就職が決まり、寝具部や歯ブラシの歯科機材の販売を行う看護部を担当することとなった。手取りは18万円ほどだった。
「同級生の中ではまだもらえている方ではあったので、生活には満足していましたが、タイで過ごした1ヶ月間が忘れられなかったんですよね。そんなとき、知り合いがバンコクで旅行会社を始めるというので、その立ち上げメンバーとして手伝ってくれないかと誘われました。そこで思い切って仕事を辞めて、バンコクに行くことを決意したんです」
◆月収は約5万円で苦しい生活を強いられる
24歳のとき、わずかな貯金を手に再びバンコクへ渡った東野さん。しかし、いざ働き始めた旅行会社はなかなか軌道に乗らず、給料はほとんどもらえない状態。金欠に陥った東野さんは、バンコクの日本人学校で講師の仕事に就いた。だが、ビザはもらえず、月収はたった1万5000バーツ(当時のレートで約5万円)だったという。
「お金がなくて、コンビニで売っているパンの耳を食べて飢えをしのいでいました。そんな生活が続いていたある日、以前、タニヤのカラオケ店でお世話になったママから連絡がきたんです。ママの誕生日会を開くので来てほしいと言われ、参加費は1人5000バーツとのこと。お金がないので『行けない』と伝えると、ママは『タダでいいからおいで』と言ってくれたんです」
ママの誕生日会に無料で参加し、食事を楽しんだ東野さん。誕生日会が終わって帰ろうとしたとき、驚くべきことにママから5000バーツを請求されたという。
「当然、持ち合わせなんてないので『払えないよ』と言うと、ママは笑いながら『じゃあ、またうちで働けばいいよ』と言うんです。今思えば、また働いてほしいという口実だったのでしょうね」
いかにもタイらしい成り行きではあったが、それが東野さんのタイでの運命を再び変えるきっかけとなった。
◆カラオケ店と旅行会社の二足のわらじ生活
「ママのカラオケで働きながら旅行会社も両立しているうちに、旅行会社も軌道に乗ってきました。しばらくは二足のわらじで働いていたのですが、2017年に日本人のお客さんに『タニヤでカラオケ店の店長をやってみないか』と声をかけられたんです」
こうしてタニヤのカラオケ店の店長となった東野さん。もともとタニヤでは顔が知られていたため、すぐに人気店となったものの、ほどなくしてコロナ禍が訪れた。
2020年のことである。タイではカラオケ店を含む夜の店はすべて休業となった。最初の頃は落ち着くのを待っていた東野さんだが、家賃が払えず、カラオケ店は閉めることとなった。
「もちろん、旅行会社のほうもお客さんがまったく来なくて、しばらくは収入ゼロの状態が続きました。昨年(2023年)12月、旅行者がようやく戻ってきた頃、良い物件があると人づてに聞いて、『誰か日本人でやりたい人がいたら紹介してほしい』と言われたんです。物件の家賃や引き継ぎ条件が良かったので、それなら自分でやってみようかなと思ったんです」
◆月400万円以上を売り上げる人気店に
今年3月、東野さんはタニヤに日本人オーナーとしてカラオケ店をオープンさせた。現在まで約5ヶ月、日本円換算で月400万円以上を売り上げる人気店となっている。
東野さんはタイ人のビジネスパートナーとともに旅行会社とカラオケ店の二つの事業を展開する会社を営んでいるが、最後にタイで働く魅力を聞いてみた。
「タイはまだまだ可能性に溢れる国です。日本人や日本食が多く、親日国なので、1人で移住したとしても、精神的にも働きやすい環境だと思います。また、日本では出会えないような方々と知り合って話せたり、タイに住んでいるだけでもビジネスのチャンスやアドバンテージがあります。ぜひ悩んでいる方は一歩踏み出してみてください」
<取材・文/カワノアユミ>
【カワノアユミ】
東京都出身。20代を歌舞伎町で過ごす、元キャバ嬢ライター。現在は夜の街を取材する傍ら、キャバ嬢たちの恋愛模様を調査する。アジアの日本人キャバクラに潜入就職した著書『底辺キャバ嬢、アジアでナンバー1になる』(イーストプレス)が発売中。X(旧Twitter):@ayumikawano