健康保険証の新規発行が12月2日に停止され「マイナ保険証」への一本化が予定されているのを控え、8月22日に都内で、その問題点を指摘し現状での一本化への反対を訴えるシンポジウムが開催された(主催・東京弁護士会、共催・全国保険医団体連合会)。
シンポジウムでは、マイナ保険証が導入された医療の現場で実際に起きている混乱や、今後への懸念が示された。また、マイナ保険証のメリットとして国がPRしているポイントの検証等も行われた。
マイナ保険証のしくみ
最初に、出口かおり弁護士がマイナ保険証の基本的なしくみについて、自身が実際に利用した体験談もまじえて基調報告を行った。
マイナンバーカードを健康保険証として使う場合、本人認証は、マイナンバーではなく、カード裏面のICチップ部分に保存されている「電子証明書」により行う。つまり、マイナンバーカードは「鍵」の役割をはたす。
医療機関で資格確認を行うときは、まず、マイナンバーカードを「顔認証付きカードリーダー」にかざし、顔認証または4ケタの暗証番号の入力による本人認証を行う。続いて、「医療情報の提供」に関する同意の確認・選択を行う。すると「オンライン資格確認等システム」にアクセスされ(【図表1】参照)、資格確認が行われる。
【図表1】マイナ保険証(マイナンバーカードによる資格確認等)のしくみ(厚生労働省「マイナ保険証利用促進のための取り組み・支援策について」より)
現行の健康保険証は、初診のときと、再診で月初めの受診のときに受付に提示すれば足りる。しかし、マイナ保険証の場合、初診のときも再診のときも、毎回この一連の手順が要求される。
マイナンバーカードを持たない人には「資格確認証」が発行されるが…
そもそもの前提として、マイナンバーカードを健康保険証として使える状態にするには、「電子証明書」機能がついたマイナンバーカードを取得し、健康保険証として使うための申込手続きをしなければならない。
マイナンバーカードの取得は法的に義務付けられておらず、あくまでも任意である。また、マイナンバーカードの裏面に記載されたマイナンバーは健康保険証とは一切関係がない。
しかし、任意とはいえ、現行の健康保険証が廃止されマイナ保険証に一本化された場合、マイナンバーカードを持たない人は、健康保険証の有効期限が到来した後は事実上、保険証を持てないことになる。そこで政府は当面の間、マイナンバーカードを持たない人に「資格確認証」を発行するとしている。
マイナ保険証への一本化が「医療の質の低下」を招く?
全国保険医団体連合会副会長の橋本政宏医師は、現場で診療を行う医師の立場から、マイナ保険証による資格確認のプロセスが、かえって医療の質を向上させる「妨げ」になっていることを指摘した。
橋本医師:「医療の質を向上させるのに最も重要なのは『診療』、つまり病気に関する医師の『診断』と『治療』を充実させることだ。
そして、そのためには、『保険証による資格確認』は速やかに、滞りなく行う必要がある。
しかし、マイナ保険証での認証を行う場合、現状では、初診、再診いずれも支障が生じている」
どのような支障が生じているのか。橋本医師は、資格確認を現行の健康保険証で行う場合と比較して、具体的な手順に沿って説明した。
まず、現行の健康保険証について。
橋本医師:「現行の健康保険証を使う場合は、受付に提示するだけなので、資格確認をスムーズに行うことができる。
初診のときは、資格確認と同時並行で、本人に質問用紙へ症状について記入してもらうとともに、緊急度や重症度に応じて治療優先度を決める『トリアージ』も行う必要がある。トリアージにおいては、受付の事務職員や看護職員が目を光らせている。
トリアージは非常に重要で、ふつうの外来でもたえずやっている。救急の患者でなくても、緊急性と重大性が認められる場合があり、受付事務職員・看護職員の専門性が要求される。
たとえば、強い自覚症状がなく歩いてきた患者が、実は急性心筋梗塞等の重大な病気だったということがよくある。
現行の健康保険証なら、資格確認に時間を取られることなく、並行して質問用紙への記入やトリアージ等をスムーズに行い、診療に移行することができる」
マイナ保険証で現に起きている「深刻なトラブル」
これに対し、マイナ保険証での認証は、資格確認に時間を奪われるなどの支障があり、最悪の場合は人命にかかわるという。
橋本医師:「マイナ保険証を使って受診・受付をする場合、初診も再診も関係なく、毎回本人確認が必要になる。
マイナ保険証での資格確認は、顔認証付きカードリーダーにマイナンバーカードを置き、顔認証または4ケタの暗証番号で本人確認を行い、医療情報の提供の同意・不同意を選択しなければならない。
本来であれば、トラブルがないことが求められる。
しかし、利用率が11.13%(7月時点、厚生労働省調べ。【図表2】参照)と低い今でも、『資格情報なし』『名前や住所で●が表記される(※)』『カードリーダーがエラーを起こす』といったトラブルが頻発している。特に名前や住所の『●』がやっかいだ。そのたびに事務職員が対応しなければならない。カードリーダーがエラーを起こせば受付事務がストップしてしまう。
このトラブルのせいで亡くなった人もいる。カードリーダーでトラブルが起きたためにその日の受付をあきらめて帰宅し、急性心筋梗塞のため死亡した事例が実際に起きている。
また、私の勤務する病院では、新型コロナウイルス感染症の疑いがある人は院内に入れることができないので、駐車場で診察や検査を行っている。
このように、カードリーダーが使えずマイナ保険証での資格確認ができない場面が出てくる。
資格確認をすぐ済ませてスムーズに診療に入れるほうが、診療の質は上がる。マイナ保険証で余計なトラブルが起きれば、診療の質は下がる。
資格確認の目的は、自己負担割合の確認と、加入している健康保険を明らかにするためであり、毎回行う必要はないはずだ」
※住民登録のデータベースと医療保険のデータベースとで異字体を識別するための文字コードが異なるために起きる現象
【図表2】「マイナ保険証」利用率の推移(厚生労働省保険局「オンライン資格確認の導入について(医療機関・薬局、システムベンダ向け)」より)
マイナ保険証の利用率が「1割程度」にとどまる理由
国は『マイナ保険証利用促進キャンペーン』を行い、医療機関に補助金を支給し、薬局の薬剤師等全国1万人を『デジタル推進委員』に任命するなど、マイナ保険証の普及の取り組みを行っている。
しかし前述のとおり、7月時点で利用率は11.13%にとどまっている。 その理由について、橋本医師は以下のように分析する。
橋本政宏医師(8月22日都内/弁護士JP編集部)
橋本医師:「本当に便利なら自然に普及するはずなので、医療現場で求められていないということ。
理由ははっきりしている。現行の健康保険証の方がマイナ保険証よりはるかに便利で使いやすいからだ。これに尽きる。
マイナ保険証はカードの取得の手間がありトラブルも多いほか、カードの紛失や犯罪利用されるといった不安要素も多い。資格確認できなければいったん10割負担にせざるをえない。特に高齢者には不向きな制度だ。
また、転職・転居等により健康保険の保険者が変わった場合、資格情報が切り替わって新しい情報が『オンライン資格確認等システム』に反映されるまでにはタイムラグがある。
切り替えの手続きは人の作業なので、タイムラグはゼロにできない。手続きが終了しておらず、マイナ保険証で受診できないトラブルは絶対に起きる。
このタイムラグのことは、マイナンバーカードの保険証利用について国が作成した案内のなかに、非常に小さな字で書かれている。都合が悪いからだ。
マイナンバーカードでは、いつ新しい情報に切り替わったかは確認しようがない。
これまでのように、手元に新しい健康保険証があるかどうかで判断するほうが、ずっとわかりやすい」
現場で起きている「弱者切り捨て」
橋本医師はさらに、現行の健康保険証の廃止とマイナ保険証への一本化は「弱者切り捨て」につながるとの懸念を示した。
橋本医師:「基本的に、オンライン資格確認を行うカードリーダーは人が立って利用する高さにあるので、重症患者、高齢者、車椅子利用者などは利用しにくい。
医療機関の職員がマイナンバーカードの券面と本人を見比べて確認を行う『目視確認モード』というものもあるが、操作が必要なので受付の混雑を引き起こす一因となっている。
また、高齢者施設での不安がある。ほとんどの高齢者施設では施設側が入居者の健康保険証を預かっている。入居者は複数の疾患を抱えていることが多く、受診の必要があるときにスムーズに受診できるようにするためだ。
しかし、マイナ保険証に一本化された場合、施設がマイナンバーカードと暗証番号を預かるわけにはいかない」
そして、地方での医療機関の廃業が増えていることとの関連も指摘された。
橋本医師:「国は、情報集積のため、なんでもマイナンバーカードに一本化したいと考えているのではないか。
しかし、いろんなものを一本化すると、マイナンバーカードがなければ不便な社会になる。マイナンバーカードを持たざるを得ない環境に追い込まれていく。本当にそれでいいのか。
地方の医療機関の廃業が増えている理由の一つに、オンライン資格確認の義務化など医療DXの“ごり押し”がある。
これから人口が減少していくと受診者も減り、医師は大都市部でしか開業できないことになる。地方の医療が守られるようなしくみが必要ではないか。マイナ保険証への一本化は、ついてこられない人を切り捨てる、弱者切り捨ての制度だ」
本人の了承なく「医療情報」が取得されるリスクも
マイナ保険証での認証においては、医療情報の提供の同意を求められる。このしくみについての危険性も指摘された。
橋本医師:「医療情報の提供の同意に際しては、なぜそれが重要なのかという理由をきちんと説明しなければならない。
たとえば、薬剤の処方に際して現在服用している薬の情報を聞くのは、アナフィラキシーショックや、出そうとする薬との相互作用などがあってはいけないからだ。
医療の質を上げるためという一般的かつあいまいな説明で丸ごと情報を得るのは、同意を得る方法として好ましくない」
橋本医師は、実際上の不都合についても強調した。
橋本医師:「診療の現場では、必要な情報は医師が判断して患者にピンポイントで質問する。場合によっては機微にわたる情報も聞かなければならない。たとえば、若い女性が腹痛を訴えた場合に妊娠しているかどうかを聞くようなことだ。
提供する患者の側も、質問する医師の側も、理由が分かったうえで、信頼関係が構築されて、必要な範囲で医療情報をやりとりするのが本来の姿だ。医療情報をなんとなく全部提供してよいものではない」
さらに、薬剤の情報については、マイナ保険証が役に立たないことも指摘された。
橋本医師:「マイナ保険証で示される薬剤の情報は、レセプト(診療報酬明細書)から抽出したもの。
レセプトは医療機関が月ごとに提出するものなので、過去1か月間くらいの内容は含まれておらず、最新の情報は得られない。『おくすり手帳』のほうが確実だ」
セキュリティリスクが深刻化するおそれも
マイナ保険証の導入により、カルテのオンライン化、電子カルテ化が進み、将来的にカルテのフォーマットが統一されれば医療機関側でカルテ情報を確認できるようになるメリットがあるといわれる。
しかし他方で、マイナンバーカードに情報が一元化されることにより、個人情報漏えい等のセキュリティリスクが増大するという問題も指摘されている。
出口弁護士:「マイナポータルで見られる情報は、一般的には見られたくない、知られたくない情報が多数ではないか。
しかし、4ケタの暗証番号が他人に知られると、他人がそれらの情報を簡単に見ることができてしまう」
他にも参加者から、医療機関が身代金攻撃型のサイバー攻撃(ランサムウェア)を受けるリスクが増大することへの懸念が示された。
橋本医師:「ランサムウェアの被害はこれまでも医療機関で発生している。実際に身代金を払って解決しているところもあり、非常に問題だ。全国一律の電子カルテ共有システムを構築すれば、そのようなリスクは当然高まる。
しかし、国は情報漏えいの責任を医療機関に押し付けている。情報管理は医療機関の自己責任だとしている。
全国統一の電子カルテのしくみができても、医療の質が向上することはない。
現状でも、実は、閉ざされたなかで地域を限定してネットワークを構築し、医療情報をうまく活用しているしくみが存在する。それを国が応援するほうが理にかなっている」
「なりすましの危険」は防げない
マイナ保険証のメリットとして、「なりすましを防止できる」ということが挙げられることもある。しかし橋本医師は、以下のように反論する。
橋本医師:「健康保険証でなりすましが続出してシステムとして問題だということが明らかになったのではない。マイナ保険証に一本化するためのこじつけとして言い出されている。
もしなりすましがあったとしても、全国で数十件あるかどうかというレベルではないか。
また、外国人が保険証を使い回ししているというデマがまことしやかに拡散されている。これは差別の文脈の中でいわれることもあるので、非常に問題だと考えている」
なお、このことについては、SNSでヘイトスピーチの意図があるとみられる恣意的な誤情報が拡散されるなど、情報が錯綜している。
そこで、編集部で信頼できるデータ等の情報を確認したところ、2023年5月19日の参議院の地方創生・デジタル特別委員会で、厚生労働省から、なりすまし受診、健康保険証の偽造などの不正利用の件数は2017年~2022年の5年間で50件だったことが表明されていた。
つまり、平均すると、年10件ということになる。
2023年度(令和5年度)国民健康保険実態調査の結果によると、2023年9月末時点の国民健康保険の加入者は約2638万人だった。被用者保険でも同程度の割合で不正利用が行われたとすると、橋本医師の推測する数値とほぼ一致する。
出口弁護士:「マイナ保険証についても顔認証の他に4ケタの暗証番号による認証もできる。受付のところで必ずしも顔写真の確認をするわけではない。
持ち主が『他人に使わせてもいいや』と考え、他人にマイナ保険証を貸してパスワードを教えてしまえば、本人認証はできてしまう。マイナ保険証でもなりすましの危険は防げないのではないか」
国は『医療DX』を推進しているが、医療の現場では、すでに今回のシンポジウムで指摘されたような問題が発生している。
本記事ですべてを取り上げることはできないが、シンポジウムでは他にも参加者からさまざまな実態や懸念が示された。現役の歯科医師や、親を介護している人からの切実な訴えもあった。
現行の健康保険証の制度は特に支障もなく続いてきたものであり、それゆえ、シンポジウムで指摘された問題の大半は、現行の健康保険証も残すことで解消される。
にもかかわらず、12月2日に現行の健康保険証の新規発行が停止され、マイナ保険証に一本化されることは果たして正当なのか。政府には慎重な対応が求められよう。