山梨県の中央葡萄酒の醸造責任者として、豊かな自然の中で日々ブドウの栽培と醸造に向き合い、「甲州」の名を世界に広める三澤彩奈さん。今回は山梨県内にオープンした、素敵なレストランについてつづります。
私の故郷、山梨県は、富士山や南アルプスなどの山々に囲まれ、総面積の86%を山地が占めています。昔からその地形を生かした果樹栽培が盛んで、特に、モモやブドウのシーズンとなる夏から秋にかけては、多くの観光客が訪れます。全国一のワイナリー数も誇り、多くのワイナリーがテイスティングルームを構えるなど、ワインツーリズムも整っています。他にも、山梨県の地下に眠る複雑な地質構造が、九つもの泉質を生み出していることから、多様な温泉環境に恵まれており、自然という偉大な地域資源を生かした観光が行われています。
最近、山梨をデスティネーションに選ぶ理由に、ガストロノミーが加わったと実感することが増えました。
私がフランスに留学していた時代、地方にこそ魅力的なレストランがたくさんありました。隣国のベルギーでは、ミシュラン三つ星のレストランは首都のブリュッセルには一つもなく、多くの人々が目当てのレストランに行くために地方を訪れていました。
今回は、同じように地方を訪ねる価値のある、唯一無二の山梨県内のレストランを紹介させていただきたいと思います。
今年8月23日に山梨県忍野村に注目のレストラン「nôtori」がオープンしました。シェフは堀内浩平さん、ソムリエとサービスは堀内茂一郎さん。2人は兄弟です。
浩平さんが料理人を志したのは小学生のとき。家族で出かけたレストランで、本格的な四角いピッツァに出会い、感動したのだそうです。家族の愛情に始まった料理人の夢をかなえるべく、東京やフランスで修業を積まれました。
それから数十年、パンデミックまっただ中の2021年、浩平さんの名前が国内に轟(とどろ)きました。国内最大級の料理人のコンペティション「Red U-35」でグランプリを受賞したのです。35歳以下の料理人が競い合う、若手料理人の登竜門とも言える大会です。その年の大会テーマは、「未来のための一皿」。浩平さんは、身近な未来のために、自分だからこそ掘り下げられることを考え、ジャンルを「Yamanashi Gastronomy」として料理を完成させました。
この浩平さんの考え方は、開業に向けた土地探しにおいても通じるものを感じました。浩平さんと兄の茂一郎さんは、2人のお店を作るのであれば、山梨以外は想定していなかったと言います。
2人は、2年間という年月をかけ、山梨のあらゆる地域を巡る中で、ある日、御坂峠から富士吉田市に向かう最中、「帰ってきた」という感覚が湧きあがったと話してくれました。
「nôtori」では、Yamanashi Gastronomyからさらに尖(とが)り、「富士北麓ガストロノミー」を料理ジャンルとしてうたっています。自生するキノコや野草を使い、富士北麓から発し、山梨全体に食材を広げ、使用する食材は9割を山梨県産にこだわりたいと話します。「自分たちのしっくりくる場所で、自分たちにしかできない料理やサービスを提供していく」それが、nôtoriの魂の部分であるように感じられました。
サービスを担う茂一郎さんも、当初は、料理人を目指し、料理を学んでいました。最初に勤務した都内のレストランで、サービスにも携わるようになり、その中で出会ったワインに衝撃を受けたことをきっかけにソムリエの資格を取得。北海道の有名店でソムリエとして働き、その後ニュージーランドに渡ります。
ニュージーランドのレストランで働きながら永住権も取得していた茂一郎さんでしたが、2011年、東日本大震災のニュースをニュージーランドで知りました。その際、日本人として社会に貢献することを考え、帰国を決めたと言います。
茂一郎さんは、地域への恩返しという観点から、日曜祝日に限りお子様向けのメニューを提供したり、祝日の月曜日はビュッフェスタイルなどのオープンデーを設定したりするなど、ご家族での来店を歓迎し、地元の方々が気軽に足を運んでくれる日を作りたいと話してくださいました。
堀内茂一郎ソムリエ〈左〉と浩平シェフ〈右〉
浩平さんと茂一郎さんは、信頼し合い、まるで2人で一つの存在です。2人は、2017年頃から山梨で一緒にお店を出すことを考え始めたと言います。描くのは、「記憶に残るレストラン」と口を揃(そろ)えます。
レストランの名前である「nôtori」は、4月後半~5月中旬頃に、富士山の7〜8合目あたりに現れる鳥の形をした残雪「農鳥」に由来しています。農鳥は、かつては農作業を始める季節の知らせであると言われていました。そのため、地元では、毎年、農鳥の確認された日が例年よりも早いのか遅いのかが、季節の美としてメディアで報道されるほどです。
富士山は、静岡県と山梨県の県境に位置しますが、農鳥は山梨県側からしか見ることができません。浩平さんは、「毎年、農鳥が確認できる頃、nôtoriで体験した土地の味を思い出していただけたら嬉(うれ)しい」と、nôtoriと名付けた由来を語ってくれました。
今、山梨のガストロノミーは盛り上がっています。「八ヶ岳えさき」(北杜市)、「キュイエット」(韮崎市)、「TSUSHIMI」(韮崎市)、「Terroir愛と胃袋」(北杜市)、「Restaurant SAI 燊」(富士河口湖町)など、まさに、ここに行くために山梨を訪れたいという、旅の目的地とされているレストランがあります。
私が山梨のレストランを素敵だなと感じるのは、シェフが常にレストランにいて料理を作り、どのレストランのシェフたちもご自身で野菜や果樹を育てるなど、農業に携わりながら実直にレストラン業を営んでいることです。そのシェフのライフスタイルは、地方ならではと感じています。
浩平さんは、料理人がただ料理を作るだけでない時代に加えて、パンデミックにより、飲食店のあり方も問われていると語ります。その言葉には、料理の技術だけではなく、料理人の考えや哲学、生き方も含めてレストランなのだというメッセージが込められていると感じました。
最後に「尊敬するレストランや人物を教えてください」と投げかけたところ、浩平さんは、「L’évo (レヴォ)」(富山県)の谷口英司シェフ、茂一郎さんは、独立前に勤務していた、「Auberge TOKITO(オーベルジュ・ときと)」(東京都)を有する立飛ホールディングスの村山正道社長の名前を挙げてくれました。
2人はnôtoriの使命として、「土地のものを発信する広告塔のような存在となり、地域に貢献すること」を掲げています。例えば、山梨県内の職人が、富士山の伏流水で育ったクルミの木から作ったお皿。そのお皿で、ヤマグルミを食べてもらいたいと浩平さんは言います。他にも、ユニホームや座布団、カーテン、ソファなど至る所に、地元の織物が使われています。
今の富士山麓の街の現状についても、茂一郎さんは本心を語ってくれました。「サブカルチャーは人気でも、神聖なるものが理解されているわけではない。観光は大事だけれども、外国産のしぼりたてオレンジジュースを出しても意味がなく、文化も大切にしたい」。2人が目標とする方々の名前を聞き、その信念が終始一貫していることも感じたのでした。
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