“現役早大生セクシー女優”のその後。ネットで身バレ、就活を諦めても「あの選択は間違いではなかった」

 お金、好奇心、承認欲求……セクシー女優になる「理由」に比べ、セクシー女優を辞めた「その後」は、あまり大きく語られることはない。

 引退後も知名度を武器にインフルエンサーやタレントとして活躍する者もいるが、それはあくまでもレアケース。セクシー女優としての過去を「なかったもの」とする者も数多くいる。就職、結婚、子育てなど、その後の人生の選択肢を阻む“足枷”になるからだ。

 しかしセクシー女優を辞めても、人生は続く。ふたたび服を着たセクシー女優は、どんな人生を送っているのか。2020年、早稲田大学在学中にデビューして話題を呼んだ「渡辺まお」こと神野藍(24歳)に話を聞いた。(記事は全3回の1回目)

◆ネットで身バレして“現役早大生セクシー女優”として話題に


「今は正社員として働いています。知り合いのツテで就職した会社なんですけど、フルリモートの在宅勤務なのでわりと自由に働いていますね」

 

 六本木の街に夜の気配が漂い始める頃、神野藍は指定した待ち合わせ時間よりも早く到着していた。神野藍、セクシー女優時代の名前は渡辺まお。2022年に引退し、現在は正社員として働くかたわら文筆家としても活動をしている。

「就活のときって、身元調査されるっていうじゃないですか。私の場合、本名で検索するとまっさきに『渡辺まお』の名前が出てくる状態だったので、普通に大手企業に就職するのは難しいなって思って就活は諦めました。そんなとき、知り合いに紹介してもらって、今の会社で運良く働けることになったんです」

 

 神野がセクシー女優としてデビューしたのは2020年5月、世間では新型コロナウイルスが猛威を振るい、「緊急事態宣言」が発出された頃だ。

「デビュー当初は『現役女子大生女優』としてデビューしたんですけど、すぐにネット上で身バレして、“現役早大生”としてメディアにも取り上げられるようになりました」

◆常に“見えない敵”と戦っているような状態

 神野は「もともと身バレはある程度は覚悟していました」と語る。業界には“パブ”という慣例があり、女優ごとに露出できるメディアが設定できるようになっている。すべてのメディアに露出できる女優は「パブ全開」などと呼ばれているが……。

「今ってどんなに『週刊誌の取材NG』とかパブの制限をしたところで 『どうせネットやSNSがあるし、バレるときはバレる』と周りの大人たちが言っていました。私としても“どうせやるんだったら全開でいこう”という思いもありましたね。

 でも『現役早大生』という肩書が話題になり、ネット上では毎日のように嫌なコメントが来るようになって。あの頃は『ここで負けたら向こうの思うツボ、ガマンしないと!』と自分に言い聞かせて、常に“見えない敵”と戦っているような状態でした。いま思うとだいぶ無理していたかな」

◆本当は誰かに助けてもらいたかった


 神野の心労に反して、デビュー作はおおいに売れた。

「セクシー女優って、デビュー作の売上が大事じゃないですか。1本目が売れたら、専属契約期間が延長することもあるし。私の場合も身バレしたことで結果的にデビュー作が売れて、商業的には良かったのかもしれない。メーカーの担当者も事務所のマネージャーも大喜びでしたね。

 そしてそんな彼らを前にして『売れたのは話題性があったから。私の力じゃない』とどこか冷静に考えながらも『使える武器はなんでも使おう』とも思っていましたね」

 とはいえ、セクシー女優にとって身バレは最大のリスクだ。プライベートを暴かれる恐怖、次々と書き込まれる理不尽な誹謗中傷……そんな精神的ストレスに苛まれながらも神野は、誰に相談することもなく“明るく”振る舞っていたという。

「自分はしょせん“使い捨ての商品”。ビジネスとしては事務所も駆け出し中の悩んでいる子より、売れている子やガッツのある子を売り出したいと思うのは当然のことだと考えていました。

 だから私も『見限られなくない』という一心で、『(身バレしたけど)ぜんぜん大丈夫です!』と明るく言い続けていました。結果的にひとりで抱え込んでしまって、本当は『誰かに助けてもらいたい』という気持ちも強く抱いていました」

◆友人たちは「大学生の私」の尊厳を守ってくれた

 “現役早大生セクシー女優”の日常はどうだったのか。神野はこう振り返る。

「プロフィールでは19歳でしたがデビュー当時、すでに大学3年生でした。撮影がある日は朝8時にマネージャーが家まで迎えに来て、車に乗せられてスタジオへ。

 その頃、コロナ禍で授業はすべてリモートだったので、現場の途中で出席確認のボタンだけ押して、家に帰ってからアーカイブを見て、期限までに授業へのコメントを送る……という感じで、3年が終わる時点でほぼほぼ単位は取り終えていました。

 4年の頃、大学に行くのは卒論の演習ぐらい。それでもどうしても現場が入ってしまうこともあって。午前中に現場をこなしてから大学に行く……なんてこともありましたね」

 教室でとなりに座っている友人が、まさか直前まで裸で撮影をしているとは、なかなか想像がつかないことだ。

「ありがたいことにゼミの友人たちは何も触れずにいてくれました。私から話すまでは何も触れない、聞いてこないスタンスでしたね。皆、『大学生の私』の尊厳を守ってくれたように思います。ネットではいろいろ言ってくる人たちもいたけど、こんなに理解がある人たちも世の中にはいるんだなって思いましたね。

 大学を卒業できたのも彼らのおかげ。そういう意味では本当にいい縁や人間関係に恵まれたと思います」

◆セクシー女優になることは「人生の起爆スイッチ」だった


 それにしても身バレを辞さない覚悟で、なぜ神野はセクシー女優になったのか。それについて神野は「自分の人生を終わらせたかった」と明かす。

「もともと性行為は嫌いじゃなかったし、好奇心もあった。でもセクシー女優になることは『人生の起爆スイッチ』のように思えたんです。なにかこれまでの人生を変えたいというか……。

 もし他の選択肢があったらセクシー女優の道を選ばなかったかもしれない。でもあのときは『差し出されたプレゼント』に思えたし、それしかなかった。

 いま思えば、いろんな人と話をするとか、別の方法もたくさんあっただろうけど、当時はどんなふうに人生を変えていいのかわからなかったのも事実ですね」

 大胆な行動は、ある種のショック療法のような響きすらある。もちろん「人生を変えたい」と思ったところで、供給過多な業界において、人気女優になれるとも限らない。

「あの頃は『ちょっとアホだな』って思うこともあるんですけど、自分の“性的資本”をうまくお金に替えられたのはよかったのかな。

 あのときの“正解”を否定する気はないんですよね。セクシー女優になったことでいろんな人に出会えて、人とのつながりや仲のいい友達もできて、『あの選択は間違いではなかったな』って思うんです」

 人生の選択肢に、完全な“正解”はない。その選択肢を正解にしていくのはあくまでも自分——神野の言葉の端々には、そんな人生への決意が表れた気がした。

<取材・文/アケミン、撮影/藤井厚年>

―[神野藍]―

【アケミン】

週刊SPA!をはじめエンタメからビジネスまで執筆。Twitter :@AkeMin_desu