昨今、SNSなどで殺伐としたヘイトスピーチが広がり、深刻な問題となっている。たとえば今夏の甲子園では、優勝校について、前身が民族学校であることや校歌の歌詞が韓国語であることなどをあげつらい攻撃する投稿が多数行われた。また、クルド人に対するデマや暴力行為をあおる内容の投稿が横行し、埼玉県川口市ではクルド人の排斥デモや脅迫文の送り付けなどの事態も起きている。
このような状況のなか、ヘイトスピーチに対する法規制を求める声も高まっている。ヘイトスピーチに対する法規制は許容されるか。また、どのような問題があるのか。
SNS等でのヘイトスピーチに対する“法的ペナルティ”が与えられるケースは?
ヘイトスピーチは一般に「特定の人種・民族・宗教・性的指向等を指標としたマイノリティ集団に対する敵意や憎悪を表す表現」などと定義される。
SNS等でヘイトスピーチが行われた場合、現状、どのような法的ペナルティがあるのか。松村大介弁護士(舟渡国際法律事務所)に聞いた。
松村弁護士:「現行法上、刑事でも民事でも、ヘイトスピーチに対してペナルティが課されるのは、特定の個人や団体を対象としたものに限られます。
刑事では、誹謗中傷した場合には名誉毀損罪(刑法230条)、侮辱罪(同231条)、危害を加えることをほのめかした場合には脅迫罪(同222条)の対象となります。
営業妨害等の場合には業務妨害罪(同233条・234条)が成立することもあります。
民事では不法行為(民法709条・710条)に該当し、損害賠償請求を受ける可能性があります。
たとえば、『京都朝鮮第一初級学校』が、右派系団体『在特会』等の襲撃等により被害を受けた事件で、裁判所は『在特会』側に約1200万円の高額な損害賠償金の支払いを命じました。
裁判所が高額な損害賠償を課したのは、行為態様の悪質さもさることながら、ヘイトスピーチ・差別的表現を重く見てのことです」
在特会等に約1200万円の損害賠償を命じた大阪高裁(LOCO/PIXTA)
この訴訟の二審の大阪高等裁判所の判決(平成26年(2014年)7月8日)は、以下のように断じている(最高裁で判決確定)。
「本件活動は、本件学校(京都朝鮮初級学校)が無許可で本件公園を使用していたことが契機になったとはいえ、本件発言の内容は、本件公園の不法占拠を糾弾するだけでなく、在日朝鮮人を劣悪な存在であるとして嫌悪・蔑視し、日本社会で在日朝鮮人が日本人その他の外国人と共存することを否定するものであって、(中略)主として公益を図る目的であったということはできない」
「原告(学校法人)は、被告ら(在特会等)の行為によって民族教育事業の運営に重大な支障を来しただけでなく、原告は理不尽な憎悪表現にさらされ、その結果、業務が妨害され、社会的評価が低下させられ、人格的利益に多大の打撃を受けており、今後もその被害が拡散、再生産される可能性がある。また、児童・園児には何らの落ち度がないにもかかわらず、その民族的出自の故だけで、侮蔑的、卑俗的な攻撃にさらされたものであって、人種差別という不合理な行為によって被った精神的被害の程度は多大であったと認められる」
なお、本件については刑事訴追もされており、在特会の一部メンバーに侮辱罪・威力業務妨害罪・器物損壊罪の成立が認められている。
裁判所がヘイトスピーチの点を重く見て、厳しい態度で臨んでいることがうかがえる。
「民族」「人種」全体に対するヘイトスピーチへの「法規制」は可能か?
一方、特定の個人や団体を対象にしたものとは異なり、民族や人種全体に対するヘイトスピーチに対しては、法的責任を問うことは困難であるという。
松村弁護士:「残念ながら、現状、法的責任を問う手段はありません。
刑事の場合、ヘイトスピーチ自体を対象とする法律がなければ、刑罰を科すことができません。
また、民事の場合、原則として、具体的な権利・法的利益が侵害されたことが要求されます。
抽象的に民族や人種全体をとらえてヘイトスピーチを行った場合には、個人や団体の具体的な権利・法的利益を侵害したとはいえないのです」
他方で、松村弁護士は、個人・団体を特定しないヘイトスピーチを放置すれば社会に深刻なダメージがもたらされると指摘する。
松村弁護士:「ヘイトスピーチの最大の問題は、単純な誹謗中傷の域を超え、マイノリティの地位自体を貶めることにあります。
特定の民族や人種を全体として差別し迫害する表現を野放しにすることは、危険極まりないことです。必然的にマイノリティの人々に対する差別意識を助長することになります。歴史上、関東大震災のときの朝鮮人虐殺や、ナチスドイツによるユダヤ人の迫害等の実例があります。
しかも、マイノリティの人々は、そもそも有効な反論を行う力を持っていないことが多いのです。いわゆる『対抗言論』には限界があります」
ただし、ヘイトスピーチに対する法規制を行うとなると、複数の難しい問題があるという。
松村弁護士:「ヘイトスピーチに対して、刑罰等の法規制で臨むべきなのか、それとも刑罰は科さずに社会全体として教育的なアプローチを行うべきか、ということが古くから議論されてきました。
また、民事で名誉毀損・業務妨害・脅迫にならないものを、刑罰を用いて規制していいのかという指摘もあります。もっとも、この点については、刑事法は民事法と異なり、個人や団体の具体的な権利・利益にとどまらず社会的法益をも保護するものであり、役割が違うという反論が可能かもしれません。
いずれにせよ、刑罰をもって臨む場合は、憲法で保障されている表現の自由(憲法21条)を不当に侵害してしまわないかという問題があります」
ヘイトスピーチにより正当な「表現の自由」が制約されるリスク
松村弁護士は、ヘイトスピーチの法規制が行われた場合、それを口実として、真に正当な表現行為が制約されてしまう危険性があるという。
松村弁護士:「ヘイトスピーチを正当な表現行為と厳密に区別することは、実はかなり難しいのです。
昨今の『甲子園優勝校』や『クルド人』に対する、誰が見てもあからさまなヘイトスピーチのみを処罰の対象とできるなら、問題はないかもしれません。
問題は、規制のあり方によっては、本来保護されるべき表現行為までもが規制対象とされてしまうおそれがあることです。
それが顕著なのは、特に国際問題や外交問題に関する表現活動です。
たとえば、すぐに思いつくだけでも、『米軍基地問題』や『北朝鮮による拉致問題』、『ロシアによるウクライナ侵攻』、『パレスチナ問題』、『竹島や尖閣諸島の領有権問題』、『中国軍機による領空侵犯』といった問題があります。
もし、それらの問題を訴えるデモに、ヘイトスピーチを行う参加者が一部紛れ込んでいた場合、その者の行為がことさらに取り上げられ、デモ全体が違法とされてしまうおそれがないとはいえません。処罰の対象をヘイトスピーチを行った『扇動者』や『指導者』のみに限るなどの絞りが必要だと考えられます。
また、公権力の側で規制を恣意的に解釈適用し、正当な表現活動に対しヘイトスピーチとのレッテルを貼って取り締まる危険性も考えられます。
不当な規制を受けた場合、権利救済を求めて裁判所に訴える方法があります。しかし、判決が出るまで待っていたのでは遅いことが多いのです。社会問題についての表現行為は、リアルタイムで行うからこそ意味を持ちます」
ヘイトスピーチ規制はどこまで許容されるか?
では、ヘイトスピーチ規制はどこまで許容されるか。
現在、ヘイトスピーチを直接規制する法律はない。しかし、地方レベルでは、大阪市、川崎市、相模原市等が条例を制定し、ヘイトスピーチ規制に乗り出している。
このうち、大阪市のヘイトスピーチ条例については、行政訴訟で争われ、最高裁が条例を「合憲」と判示した(最高裁令和4年(2022年)2月15日判決))。
ただし、最高裁は条例が合憲である理由として以下を挙げている。
・対象が過激で悪質性の高い差別的言動を伴うものに限られる
・制限の態様・程度が事後的な「拡散防止措置」(看板・掲示物等の撤去、インターネット上の表現の削除の要請等)等にとどまる
・拡散防止措置に応じなかった場合の制裁(刑罰等)がない
・表現行為をした者の氏名等の公表が定められているが、氏名等を特定するための法的強制力を伴う手段がない
特に、刑罰等の制裁がないことが挙げられている点が注目される。この判示によれば、条例で刑罰を科している場合には、違憲とされる可能性も考えられるだろう。
条例で刑罰を科す場合の問題点
大阪市と相模原市のヘイトスピーチ条例には刑罰が定められていない。一方、川崎市のヘイトスピーチ条例には刑罰の定めが置かれている。
川崎市役所(Ryuji/PIXTA)
松村弁護士:「まず、処罰の要件については、それなりに限定された表現行為に絞り込む必要があります。
川崎市の条例は『本邦外出身者に対する不当な差別的言動』について、一定の要件の下で処罰の対象としています。
具体的には、禁止の対象とする行為を以下の3つに限定しています。
『(1)その居住する地域から退去させることを煽動(せんどう)し、又は告知するもの』
『(2)生命、身体、自由、名誉又は財産に危害を加えることを扇動し、又は告知するもの』
『(3)人以外のものにたとえるなど、著しく侮辱するもの』
ヘイトスピーチを定義するのには限界があり、これ以上の限定は難しいかもしれません」
それを補う上で重要なのが、「手続き面での保障」だという。
松村弁護士:「ヘイトスピーチと認定された表現行為等に対しては、まず『勧告』が行われ(13条)、それに従わなければ『命令』が発せられます(14条)。
それでも従わなければ『氏名公表』等(15条)と50万円以下の罰金刑罰が科せられます(23条)。団体の場合は個人に加え団体も処罰されます(24条)。
『勧告』『命令』『氏名公表』については、5人以内の学識経験者で組織される『差別防止対策等審査会』の意見を聞かなければなりません。
刑罰を科する前提として『勧告』『命令』の2段階の手続きがおかれ、諮問機関からの意見聴取が要求されていることからすれば、もし訴訟になったとしても、手続き面での保障は担保されていると判断される余地があります。
他方で、刑罰は、懲役等の身柄拘束ではなく罰金にとどまるものの、表現の自由の重要性に照らせば、違憲とされる可能性も否定できません」
ヘイトスピーチを峻別し規制することの難しさ
また、松村弁護士は、運用によっては、正当な表現の自由が侵害されるおそれが完全には排除できないリスクがあると指摘する。
松村弁護士:「特に、最初の『勧告』が重要です。
『勧告』の法的性質は行政指導、くだけた言い方をすれば『単なるお願い』にとどまるものと考えられています。
しかし、いったん『勧告』が行われた場合、従わなければ『警告』、『氏名公表』と『刑罰』と手続きが進むことになります。『勧告』は、実際には強力な制約になり得るのに、訴訟で争う手段がありません。わが国の訴訟制度上、『行政指導』を争うことは原則として認められていないのです。
したがって、最初の『勧告』の手続きがルーズだと、かえって人権侵害の程度が強くなってしまうおそれがあります」
ヘイトスピーチが悲惨な事態を招くことは歴史が証明している。わが国でも、関東大震災の際に、「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」などの悪質なデマを信じた人々によって多くの朝鮮人が虐殺された負の歴史がある。ヘイトスピーチの多くは正当な言論活動を装っており、だからこそ悪質であるともいえる。
ヘイトスピーチは社会自体を壊す危険をはらむものであり、市民社会の責務として断じて許容してはならない。だからこそ、政府や法務省もヘイトスピーチの撲滅を訴えて広報活動に力を入れている。また、ヘイトスピーチに対する法的規制を求める声も根強い。
他方で、法的規制を行おうとする場合には、規制の内容・程度や公権力側による運用の方法によって、本来保護されるべき表現活動の自由の保障が危うくなるリスクがあることも、意識されなければならない。
法的規制を行うことの是非についていずれの立場をとるにしても、健全な社会を構築していくうえで、ヘイトスピーチを峻別し、排斥していくための有効な手立てを考えることはきわめて重要だといえる。