「ここで俺の人生は終わるんだな」 タケノコ採り中にクマ遭遇、至近距離で睨み合った男性が“無傷”で生還できたワケ

近年、全国各地でクマが人を襲う事故が多発している。環境省によれば、昨年(2023年)のクマによる人身被害件数は198件で、統計開始以来もっとも多かったという。

被害に遭った人々は、いかにしてクマに遭遇し、何を思ったのか――。本連載では、近年の事故事例を取り上げ、その実態に迫る。

第3~5回目に紹介するのは、2016年に秋田県鹿角市(かづのし)で山菜採り中の人たちが、わずか20日ほどの間に次々とクマに襲われ、複数の死者も発生した連続襲撃事故。第4回目では、タケノコ採りに訪れた男性の、クマとの“死闘”を追体験する。

※ この記事は、山登りやアウトドアのリスクについて多くの著作があるフリーライター・羽根田治氏による書籍『人を襲うクマ 遭遇事例とその生態』(山と渓谷社、2017年)より一部抜粋・構成。

クマと睨み合いながら頭に思い浮かんだのは…

袴田(参照:第3回)はとっさに手前にあるササを倒して、自分とクマとの間にバリケードをつくったが、手を伸ばせば届く距離である。クマは袴田を睨みつけながら、「フゥーッ、フゥーッ」と威嚇してくる。心臓がばくばくどころの話ではない。体の外に心臓があるような感覚だった。

「あ、ここで俺の人生は終わるんだな」

そう覚悟を決めた。

クマと遭遇したときの対処法として、「背中を見せずにゆっくりあとずさりをしろ」というのはよく言われることだが、膝をついた状態で立っているのがやっとの急斜面で、とてもあとずさりなどできるような場所ではなかった。だが、その反面、幸いしたこともあった。クマも2本足で立ち上がることができず、ずっと四つん這いの状態でいなければならなかったからだ。

クマと対峙したまま、睨み合う時間がしばらく続いた。少しでも距離を開けられないかと思い、一度、うしろを振り向いた瞬間、クマはすかさずガサガサと間隔を詰めてきた。これはヤバいと思って大声を上げると、ちょっとたじろいだのか後退してまた80センチぐらいの間隔にもどった。

「これはもううしろを向いてはいけない。目を逸らすのもダメだ」

と思い、再び膠着状態に入った。

クマと睨み合いながら頭に思い浮かんだのは、家族のこと、孫のこと、会社の仲間のこと、仕事のお客さんのことだった。

「生きて帰らなければ、みんなに会うことはできないぞ」
「でも、こいつに勝てるわけはないよなあ。どう考えたって無理だよなあ」
「やっぱり諦めたほうがいいのかなあ」
「でもなあ……」

そんなことを、ずっと考えていたという。

即席のタケ槍でクマを撃退

膠着状態が続いている間に閃(ひらめ)いたことがあった。

いちばん上に着ていたヤッケの胸ポケットにはタバコとライター、携帯電話、それにカッターナイフを入れてあった。クマの目から目を逸らさないようにして、まずはそーっとタバコを取り出し、ライターで火をつけた。それをクマの目の前にポンと放り投げたのだ。

「だけどヤツは瞬きひとつしませんでした」

こりゃあダメだと思い、続いてカッターナイフを取り出した。藪をこぐときに蔓を切るために持っている、厚手の刃のカッターナイフである。いつもはザックのポケットに入れているのだが、屈んだときに落としてしまうことが続いたので、そのときにかぎってヤッケの胸のポケットに入れてあった。

ポケットから取り出したカッターナイフの刃を半分だけ出して、「さあ、どこをやろうか」と考えた。いちばん至近距離にあったのはクマの鼻先だった。腕などを切りつけても効かないだろうから、鼻を狙うことにした。刃を全部出さなかったのは、万が一折れてしまったときに二度目の攻撃ができなくなってしまうからだ。

カッターナイフを握った右手をそーっと前に出して、一気にサッと切りつけた。充分に手が届く距離だったので、「絶対にやれるよな」という自信はあった。

「ところが、クマの機敏さはボクサー以上。当たる寸前でひょいとかわされました。2、3回切りつけたけど、みごとに全部かわされてしまいました。あんまりやると、間合いを見切られて反撃されるなと思い、諦めてまたにらめっこにもどりました」

もしクマが襲いかかってきたら、左腕に噛みつかせて、カッターナイフで腹でも胸でも切りつけられるところを切りつけようと考えていた。ただ、運がよくてもタダですむはずはない。たとえ死を免れることができたとしても、重傷を負うのは間違いないだろうと思っていた。

次に思いついたのは、「ササの槍で攻撃してみてはどうか」ということだった。ササといっても、根元のほうの太さは直径1.5センチぐらいあるので、先を研げばタケ槍になる。ササは周囲に掃いて捨てるほどあった。

睨み合ったまま静かにササを1本つかみ、カッターナイフで根元からスパッと斜めに切った。そのササを手前に持ってきて、さっ、さっと先端を研いで尖らせた。タケ槍を右手に持ち変えると、先ほどと同じようにそーっとクマの近くまで差し出していって、目を狙って一気にどんと突き刺した。

「手応えはありました。たぶん右目の下の頬のあたりに刺さったと思います」

いきなり一撃を食らって驚いたクマは、ガサガサとあとずさりしていった。だが、すぐに「フゥーッ、 フゥーッ」と威嚇しながら、再びもとの位置までもどってきた。それを見て、思わず声に出してこう言った。

「いっや、おめーもしつこいな」

退散しないクマに、いったんは「ダメか」と落胆したが、「いや、もう1回」と気を取り直した。 再度、気持ちを集中させると、握りしめたタケ槍を顔めがけて思い切り突き刺した。2回目は、1回目よりも手応えは鈍かった。しかし、運よく目のすぐ下の柔らかいところに刺さったようだった。

クマは再びガサガサとあとずさりしていき、「またもどってくるのかな」と身構える袴田にくるっとお尻を向けたかと思うと、一目散にその場から逃走しはじめた。

「よっしゃ、やった!」

袴田は心の中で快哉の声を上げながら、逃げていくクマのうしろ姿を見えなくなるまで見送ったのち、急いで斜面を這い上がっていった。

「また追いかけてくるかもしれないので、タケ槍は持ったままでした。うしろを確認しながら必死に逃げたので、滑稽な格好だったと思いますよ。もしビデオに撮っていれば、あとで見て笑えたんじゃないかなあ」

ササ藪から抜け出たときに、ようやく「助かった」と思った。