◆前編のあらすじ
大手スポーツメーカー勤務の福園麻貴(27)は、仕事上のミスを先輩の三浦にフォローしてもらい好意を抱く。しかし、自宅では元カレの雄星との同居が続いており、次の恋には進みにくい状況。次第に、歯がゆさをおぼえるが…。
▶前回:職場恋愛に消極的な27歳女。実は“あるコト”の発覚を恐れていて…
恋の足かせ【後編】
「三浦さん、このあいだはフォローありがとうございました」
麻貴は、グラスを手に持って三浦のもとに歩み寄り、ビールジョッキにちょこんと合わせた。
先日、麻貴がリーダーを務めていた商品開発チームのプレゼンが無事終了した。
その打ち上げを、週末の今日、職場近くの居酒屋で行っているのだ。
座敷席には、プロジェクトチームのメンバーと、サポートしてくれた社員を合わせた10名程度が並んでいる。
「三浦さんがデータを復元してくれたおかげで、本当に助かりました」
「いや、福園。いい内容だったよ。データも具体的でわかりやすかったし」
三浦の話に耳を傾けながら、麻貴はさりげなく隣の席に腰をおろした。
「親子の例え話を織り交ぜるのも、ストーリー性があってよかったなぁ。起承転結もしっかりしてたし…」
少し酔いが回っているのか、三浦はいつにも増して饒舌で、次から次へと褒め言葉をくれる。
麻貴は真剣に向き合いつつも、個人的な情報を得ようと終始アンテナを張っていた。
「あ、三浦さん。次もビールでいいですか?」
ジョッキの飲みものが残り少なくなっているのに気づいた。
「じゃあ、日本酒もらおうかな」
「日本酒、お好きなんですか?」
「うん。最近ハマりだしてね」
「そうですか…」
ようやくつかんだ有益な情報をインプットする。
― よし。ちょっと突っ込んだ質問してみるか!
「やっぱり、日本酒の美味しいお店とか詳しいんですか?彼女さんとかと行かれるんですよねぇ…」
反応を伺いつつ尋ねると、「彼女?いないいない!」と三浦が目の前で手を横に振った。
「30歳を超えると飲み会とかも少なくなるし、出会いの機会も減るよなぁ…」
― 彼女いないんだ!
麻貴は心のなかでガッツポーズを決める。
「ですよねぇ。私も出会いがなくって…」
それとなく自分にも恋人がいないことをアピールする。
宴がひとしきり盛り上がり、落ち着き始めたころ、締めの挨拶をするように促された。
リーダーを務めた麻貴は、感謝の思いとともに今後の抱負を述べる。
周囲の温かい拍手に包まれたとき、ふと窓の外の景色が目に入る。
夕方から降り始めた雨が、まだ続いているようだった。
打ち上げ終了後、麻貴は同僚たちと別れ、少し歩いた先にある深夜まで営業しているファーストフード店に入った。
15分ほど経ったところで、スマートフォンが鳴った。
「麻貴?新宿に着いたけど、どのへんに行けばいい?」
麻貴は、青山の自宅マンションにいた元カレ・雄星に、車で迎えに来てもらえるよう頼んでいたのだ。
雨の週末だからタクシーがつかまりにくいだろうと判断し、早めにLINEを送っておいた。
同僚たちには「友だちの家に寄る」と伝えて、さりげなく離れた。
店を出ると、麻貴のすぐ目の前の道路に、白のレクサスが停まっている。
だいぶ小降りとなった雨のなかを、麻貴は小走りで駆け寄った。
― あれ?…傷がついてる?
街灯に照らされ、フロントバンパーの脇の擦れたような傷が浮きあがって見えた。
「雄星、ごめんねぇ。ありがとう!」
助手席に乗り込み、すぐに礼を述べる。
「バンパーに傷があったけど、どうしたの?どっかにぶつけた?」
「え、ああ…。気づいたら、ああなってて。どこかで擦られたのかも…」
「ふ~ん、そうなんだ。困っちゃうね」
雄星の返事はどこか歯切れが悪くもあったが、気に留めることもなかった。
車は、青山方面に向けて走り出す。
四ツ谷を抜けて、外苑東通りに入ったところで、麻貴はバッグからスマートフォンを取り出した。
― 三浦さんにLINEしとこ~。
これから徐々に距離を縮めていきたいところ。
そのための有益な情報を、いくつか得ることができた。
LINEを開こうとしたところで、新着メッセージの通知に気づいた。
― え、嘘!?三浦さんからだ!
まさかのタイミングに、麻貴はにわかに色めき立った。
運転席の雄星に悟られないよう、さっと目を伏せる。
しかし、LINEの内容は麻貴が期待しているものとは大きく異なっていた。
『三浦:今日はお疲れ。引き続き気を抜かず頑張れよ!』
すぐに目についたのは労いの言葉だったが…。
『三浦:彼氏がいたんだな。帰り道、気をつけてな』
三浦を含めた同僚数名は、雨を避けるためにすぐ近くのバーに入ったようだった。
小降りになったタイミングで店を出たところ、車に乗り込む麻貴の姿を見かけたのだという。
― しまったぁ…。もっと周りを注意して見ておくんだった…。
自分の軽率な行動を悔やみ、顔をしかめた。
ふと、ハンドルを握る雄星に目を向ける。
先ほど感謝の思いを告げたばかりにもかかわらず、つい恨めしく眺めてしまうのだった。
◆
翌日、土曜日の朝。
麻貴は目が覚めてからゆっくりとベッドを出ると、スマートフォンを手に取り、三浦とのLINEのやり取りを見返した。
― 昨日は最後にやらかしちゃったなぁ…。
雄星の車に乗り込む姿を目撃され、誤解を解くのに苦戦した。
正直に状況を伝えようかとも思ったが、より大きな誤解を招きかねない。
それに、だらしない性格に関して指摘を受けていただけに、その印象を際立たせるようなことはしたくなかった。
『彼氏じゃありません!友だちです!』
この文言で押し切るしか、手段はなかった。
― 三浦さん、納得してくれたかな。やっぱり、雄星のことは早くなんとかしないと…。
今日、雄星は仕事で出ているため、麻貴は部屋にひとりきりだ。
静かな空間に寂しさをおぼえるが、これこそが次の恋に備える理想の状況と言える。
ただ、後手に回り過ぎて、何から進めていいのか適切な対応が思いつかない。
そこで、インターホンが鳴った。
― 誰だろう…。
昨夜からの運気の巡りの悪さを引きずっている気がして、嫌な予感しかしなかった。
ドアを開けると、作業着姿の中年の男が立っていた。マンションの管理人だ。
「地下駐車場に停めてある車の件でお伺いしたんですが…」
用件を伝えられても、麻貴はすぐにはピンとこなかった。
「実は、車を傷つけられたという住人の方がいらっしゃって…」
そこまで聞いて、話の意図を理解した。
― 昨日見た車の傷ね…!!
街灯に照らされたフロントバンパーの擦り傷が脳裏に浮かんだ。
管理人曰く、駐車場に設置された防犯カメラを確認したところ、事故当時の映像が残っていたそう。
雄星の運転する車が、近くに駐車してあった乗用車と接触する様子が映っていたのだとか…。
「本当に申し訳ありません!戻ってきたら、必ず謝罪に伺わせますので。被害に遭った方にお伝え頂けますでしょうか…」
麻貴は何度も頭を下げ、事を荒立てない方向で話を進めてもらえるようにお願いした。
― 雄星のやつ、何やってんのよ。バレないとでも思ったのかしら…。
麻貴は、ようやくそこで決意を固めた。
― 雄星には、早くこの部屋から出て行ってもらおう。
まずは現状を整理して打つ手を考え、自分のできることから着手することにした。
◆
1週間後。
奥の部屋から、雄星がスーツケースを持って出てきた。
「これで全部かな」
辺りを見回す。部屋の中には、もう雄星の荷物は残っていない。
車の接触事故が発覚してすぐに、麻貴は雄星の引っ越し先の選定に取りかかった。
職場からの距離、駐車場の有無などを条件に物件を探し、即入居可能な5~6件をリストアップ。
雄星が難色を示しても、容赦はしなかった。不動産屋に連絡を入れ、内見にも付き添って、半ば強引に決めさせた。
「ちょっと、引っ越し先を決めるの早すぎない?準備が大変だったよ」
「なに言ってるの。あんな事故起こしておいて」
「いやいや。本当に言うつもりだったんだよ。ただ、頃合いを見ていただけで…」
「どうだか…。ルーズすぎるよ」
先方には深く謝罪し、修理代を全額支払うかたちでおさめてもらった。
「さあ、行こうかな…」
雄星がスーツケースを持って玄関に向かう。
「俺がいなくなると、だいぶ寂しくなるんじゃない?」
「全然」
「変な男につかまるなよ」
「あなたに言われたくないから」
「心配だなぁ。お前は俺に似てルーズだから」
別れてから2ヶ月もズルズルと同居を続けていただけに、そこは麻貴も強くは否定できなかった。
雄星はドアを開けると、「じゃあ」といつもしているように手を振って出て行った。
しんと静まり返った部屋で、麻貴はひとつ息を吐く。
「さてと…」
ようやく、次の恋と向き合える環境が整った。
― さっそく三浦さんを食事に誘ってみようかな。
スマートフォンを手に取り、LINEを開く。
― そういえば日本酒が好きだって言ってたよね。どっかいいお店あるかな…。
入手していた情報から店を検索する。
― 前もってお店を予約しちゃってもいいかもね!
足かせが外れた麻貴は、恋愛においてルーズさは命取りだと痛感していた。
うまく進めたいなら、見越して行動するくらいがちょうどいい。
― もう、後手には回らない。
麻貴は、固く決心した。
▶前回:職場恋愛に消極的な27歳女。実は“あるコト”の発覚を恐れていて…
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