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 ある朝、目を覚ましてふとんの中で突然、「そうだ、シンガポール行こう」。そう思いました。

 生きてたら誰しもそういう瞬間ってありますよね。理由なんてありません。旅と恋って衝動的なものじゃないですか。有名な紀行小説『深夜特急』の沢木耕太郎だって、ある日、突然ユーラシア大陸を横断し始めたじゃないですか。

「なぜユーラシアなのか、なぜバスなのか。確かなことは自分でもわからなかった。ただ、地球の大きさをこの足で知覚したかったのだ――」(新潮社サイトより)

 そう、旅に理由なんて必要ない。『男はつらいよ』の寅さんのように、アテもない旅にふらりと出かけるのがカッコいい大人です。逆に言えば、計画的で理由ありきの旅は打算的でつまらない人間がするもの。沢木耕太郎さんに暗にそう言われている気がしてなりません。

 しかし残念ながら、筆者には明確な目的があったのです。冒頭、まるで急に思い立ってシンガポール行きを決意したような書き方をしましたが、あれはウソです。むしろ何日も前から楽しみにしていたことを白状します。しかも厳密に言えば、行き先はシンガポールでもなく、埼玉県にある西武秩父駅でした。本当にすいません。

 なぜ西武秩父駅に向かったのかといえば、西武鉄道がシンガポール政府観光局とコラボして運行する特別列車「52席の至福×シンガポールトレイン」に乗って、特別なシンガポール料理を食べるため。旅する理由しかありません。そして筆者が打算的でつまらない人間だったとしても、この列車旅がつまらないわけがないのです。

「52席の至福×シンガポールトレイン」の極上メシを堪能する


52型(4000系4両1編成をリメイク)。4両編成で、定員は列車名の通り52名

 西武鉄道では2016年から、西武新宿駅もしくは池袋駅〜西武秩父駅の区間を2時間半〜3時間で結ぶ「西武 旅するレストラン 52席の至福」という観光電車を運行しています。

 世界中の有名レストランのシェフが監修したスペシャルメニューを季節替わりで提供、列車の中で優雅に食事を楽しめる、贅沢極まりない全席レストラン車両です。


2号車と4号車が客席。内装・外装デザインは建築家・隈研吾氏、車内メロディーは作曲家・向谷実氏がそれぞれ担当

 これまでフレンチやイタリアン、中国料理の名店の錚々たるシェフが監修してきたこの「52席の至福」ですが、この8月21日に、西武鉄道とシンガポール政府観光局が初コラボ。「52席の至福×シンガポールトレイン」という特別列車を走らせました。これに乗るべく、わざわざ秩父までやって来たというわけです。

 この日は、シンガポール政府観光局とのコラボということで、シンガポール料理のスペシャルコースが用意されました。

 今回、料理を監修したのは水道橋で約20年前に創業したシンガポール料理の草分け的レストラン『シンガポール海南鶏飯』。ベタな表現ですが、「絶対おいしいヤツ!」という期待しかありません。


前菜「シンガポール前菜盛り合わせ」

 まずは前菜として、「シンガポール前菜盛り合わせ」のプレートが恭しく提供されました。「シンガポールサテー」、「ロティプラタwithカレーソース」、「シュリンプカクテル プラナカンソース」、「アチャー」の4種が盛り付けられています。


車窓からは秩父周辺の美しい光景が望める

 おなじみ肉の串焼き・サテーも、中国系とマレー系の文化が融合したプラナカンソースでいただくシュリンプカクテルも、すべてが本格的で非常に美味。食堂車という概念がほぼ消えた日本にあって、車窓を流れる美しい風景を眺めながらいただく異国の味わいは、まさに至福です。


スープ「肉骨茶 自家製油條添え」。添えられているのはダークソーヤソース

 前菜の次はスープが運ばれてきました。「肉骨茶」(バクテー)です。かつて東南アジアの港湾地帯で肉体労働をしていた中国人が滋養強壮のために考案したとされる料理。豚のスペアリブをニンニクや胡椒、ハーブなどと一緒にコトコト煮込んだスープです。


飯能駅で、手を振ってくれる駅員さんたち

 ズッとひと口すすると、シンプルながら体の隅々まで染み入るような滋味深い旨さ。添えられた揚げパン「油條」ともピタリと合います。

 列車は途中の飯能駅で進行方向を変えるのですが、その際、駅員さんたちが手を振って歓迎してくれます。なんとも嬉しいおもてなしです。


ご飯「シンガポールチキンライス」[食楽web]

 メインはおなじみ「シンガポールチキンライス」。蒸した鶏肉とチキンスープで炊いたご飯の組み合わせは、いつ食べても間違いないですね。さすが『シンガポール海南鶏飯』が監修しているだけあって、鶏肉はやわらかく、ご飯の炊き加減も完璧です。

 ソースは「チリソース」、「ジンジャーソース」、「ダークソーヤソース」の3種類。これをちょこちょこ鶏肉やご飯にのせて、味変しながら楽しみます。いやー、ウマい!


デザート「ボボチャチャ」

 最後の〆は甘い「ボボチャチャ」。いわゆる甘いココナッツミルクに、タピオカやタロイモ、サツマイモなどが入ったやさしい味わいの冷たいデザートです。スパイシーなシンガポール料理をさっぱり流してくれる、最高に美味しい一皿でした。


西武新宿駅に到着

 おいしい料理の余韻に浸ってのんびりしているうちに、「52席の至福」は東京・西武新宿駅に到着。幸福な列車旅はここで幕を閉じました。たった3時間とはいえ、素晴らしく濃密で優雅な時間を過ごせました。

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西武鉄道とシンガポールの関係は?

 ところで、そもそもなぜ西武鉄道とシンガポール政府観光局がコラボするに至ったのか。気になりますよね。

 今回、同乗していたシンガポール政府観光局の北アジア局長・セリーン・タン氏によれば、「日本人が海外旅行をする際に重視するのは食。今回の『52席の至福』をはじめとした西武鉄道との協業を通じてシンガポール料理の魅力発信を行うことで、日本人のシンガポールへの観光誘致を目指したい」とのこと。

 一方の西武鉄道では、より多くの訪日シンガポール人旅行客を獲得したい考え。実は日本を訪れるシンガポール人旅行客数は、東南アジア6カ国の中で、タイ、フィリピンに次ぐ第3位ながら、一人あたりの消費額は東南アジアで最高。しかもリピーター率が高いという特徴もあるため、同鉄道では、西武線沿線の魅力をシンガポール人旅行客に継続的に発信していくそう。


『nol』のシェフ・野田達也氏

 なお、この「52席の至福」では、2025年1月〜3月にかけて、東京・日本橋の星付きフレンチレストラン『nol』のシェフ・野田達也氏が監修する創作シンガポール料理を提供する予定。

 このために野田氏は実際にシンガポールを旅し、多様な文化や料理に触れてきたとのことで、その体験を、創作料理に落とし込むそうです。これまた楽しみですね!

●DATA
「52席の至福」
・ブランチコース
池袋もしくは西武新宿⇒西武秩父(約2時間半〜3時間)
旅行代金:税込1万5000円(乗車チケット・西武線1日フリーきっぷ・コース料理・お土産など)

・ディナーコース
西武秩父⇒池袋もしくは西武新宿(約2時間半)
旅行代金:税込1万8000円(乗車チケット・西武線1日フリーきっぷ・コース料理・お土産など)

・詳細・予約は公式サイトよりご確認を
https://www.seiburailway.jp/railways/seibu52-shifuku/

(取材・文◎田代智久)