家賃月5万4,000円の公営住宅で妻と2人の子と暮らす49歳の山崎哲郎さん(仮名)。数年前まで建材メーカーの技能職として充実した日々を送っていた彼は、現在の生活を「本当につまらん暮らしです」と吐き捨てます。リストラによって人生が激変した家族の事例から、日本の貧困家庭の実態をみていきましょう。ルポライター増田明利氏の著書『お金がありません 17人のリアル貧困生活』(彩図社)より紹介します。

技能職をリストラ→40代で調理師見習いになった49歳男性

<登場人物>

山崎哲郎(49歳・仮名)

出身地:東京都町田市/現住所:東京都板橋区/最終学歴:高校卒

職業:給食サービス会社調理師/雇用形態:正社員/収入:年収約380万円

住居形態:公営住宅/家賃:5万4,000円

家族構成:妻、長女、長男/支持政党:特になし

最近の大きな出費:セラミックファンヒーター購入(約6,800円)

世間全体が年末年始休みモードにある1月2日。年末年始4日間の特別出勤を終えて帰宅したのは夕方5時近くになってから。両手には朝方に妻に頼まれた食品やトイレットペーパーなどを抱えている。ところが家のなかは空っぽ。妻も息子も娘も出払っていて、寒さがひとしお身に沁みる。

現在の仕事は給食サービス会社の調理師。いつもは別の保険会社の社員食堂&カフェテリアで働いているのだが、暮れの30日から臨時応援で大学病院に出勤していたのだ。

「本来の配置先会社は28日が仕事納め、なので社食も昼でおしまいです。だけど病院はお盆休みも正月も関係ないし、人手が足りないのでヘルプで入ってくれと頼まれまして。年末年始だからといって特に予定もありませんからね。賃金は割増しで特別手当も出すからというので首を縦に振ったんです」

会社から要請された出勤日は12月30日から1月2日までの4日間。30、31日は11時から20時まで。元旦と2日は6時から15時までの勤務ということだった。

「やることは入院している患者さんたちの病院食の調理、配膳、洗い物など。年末年始は一時帰宅する患者さんが多いけど、定員の8割はベッドが埋まっているそうです。だから作業量はほぼ普通の勤務状態だということでした」

現在は調理師として働いているが、元々の仕事は建材メーカーの技能職。

(広告の後にも続きます)

建材メーカーの技能職から調理師に転職したワケ

「工場で住宅関連品の製造を担当していたんです。玄関ドア、窓枠、網戸、屋根材、天井パネル、床用タイル。こういったものの設計や金型の作成、生産ラインの運転を担当していました」

工場勤務だが作業班の管理職に昇進できた。しかし2016年初めにリストラがあって退職、約4ヵ月後に今の会社に採用された。

「まったくの畑違いだけど仕事を選べる身分じゃないですから。当時で43歳だったので正規雇用で働けるところを優先させたんです。厄年過ぎて非正規じゃまずい」

調理補助員で入社し見習いからスタート、調理師免許を取得できてからは主任、副調理長と肩書も付いた。

「だけど給料は安いです。もう6年目になるけど手当込みの月給が30万円に届かない。期末手当込みの年収だって380万円台ですからね。はっきり言っちゃうと年収は以前より120万円以上も減っています」

こんな状況なので生活は縮小に次ぐ縮小だ。前の会社にいたときは千葉、埼玉エリアで勤め先まで1時間強ぐらいの距離なら中古マンションぐらい買えるかもと期待していたが、こんなに収入が減ってしまっては家を買うどころではない。夢のマイホームは諦め、ずっと都営住宅で暮らしていくしかないと思っている。

「健康にも無頓着になってしまいましたね。わたしは高脂血症と高血圧で内科・循環器科の医院に通っていたけど、血液検査と28日分の内服薬で4,900円ぐらい払うんです。そんなに悪くなっていないようなので9ヵ月前から通院するのを止めちゃったんです」

脂っこい食事は避ける、塩分もひかえる、食べ過ぎない。これで誤魔化していた。

「タバコも止めましてね。これも健康のことよりお金のことを考えてです」

その甲斐あってか、先々月に別の内科クリニックで検査してもらったところ、検査数値はギリギリで正常の範囲だったということだ。

「趣味といえるものはなく、たまに息抜きでスーパー銭湯に行くぐらい。女房も不機嫌なときがあって、くだらないことで喧嘩しそうになる。本当につまらん暮らしです。金銭面が良くないと生活全般が悪い方向へ行く。これが現実だと思う」