週1回、意中の彼にお弁当を作る25歳女。料理に隠された“後ろめたい秘密”とは

恋は、突然やってくるもの。

一歩踏み出せば、あとは流れに身を任せるだけ。

しかし、最初の一歩がうまくいかず、ジレンマを抱える場合も…。

前進を妨げる要因と向き合い、乗り越えたとき、恋の扉は開かれる。

これは、あるラブストーリーの始まりの物語。

▶前回:意中の先輩に“絶対見られたくない現場”を目撃されてしまい…。27歳女が悔やんだワケ

頼もしい味方【前編】



「次の競技はチーム対抗リレーだよ!近くで見よう!」

競技場にいる長濱萌絵は、同僚たちに声をかけ、トラックがよく見える位置に移動した。

9月の連休前。

青空のもと、萌絵の勤める大手食品メーカーの社内運動会が催されている。

都内にある室内競技場を貸し切り、1,000人以上が参加。コロナ禍を経ていまだ希薄な社内の人間関係を修復し、交流を深めるのが目的となっている。

萌絵のいる日本橋支社からは、若手中心に8名が参加し、ほかの社員も応援に駆けつけていた。

「リレーって、板垣くんが出るんだよね。しかもアンカーで」

参加者たちは6つのチームに分けられ、バトンを繋ぐ。萌絵と同期で入社4年目の板垣が、最終走者を任されていた。

「板垣くん、そんなスポーツができるようには見えなかったなぁ」

板垣は色白でヒョロッと背が高く、普段は眼鏡をかけており、運動とは無縁のタイプのように感じられた。

「あいつ、高校時代に短距離でインターハイに出てるらしいぞ」

同僚の男性社員からの情報に、「スゴッ!」と萌絵は目を丸くする。

号砲が鳴り、第一走者が一斉にスタート。

1周400メートルのトラックを、100メートルずつ6人が走る。

選手が駆け抜けていくと、所属する支社の応援団からワッと歓声があがり、板垣の出番を待つ萌絵も高揚感をおぼえた。

そして、板垣にバトンが渡った。順位は4位。先頭との距離は10メートルほどある。

「頑張れ!!板垣くんー!!行けー!!」

背中を押そうとばかりに声援を送るうちに、板垣の走る姿に釘付けになった。

素人目に見ても、フォームが美しい。脚の運びが滑らかで、まるで空気の抵抗を感じていないかのようにスイスイ進んでいく。

必死な形相で走るほかの者たちを次々と抜き去り、先頭に立つと、圧倒的なスピードを見せつけてゴールテープを切った。

目の前の大逆転劇に、チームの勝敗に関わらず大歓声が沸き上がる。

萌絵は放心状態で見守りながらも、熱い感情が芽生えるのを感じた。



「出場した皆さんお疲れさま!カンパーイ!」

運動会終了後、同じ支社のメンバーで近くの居酒屋に移動し、打ち上げをおこなった。

「板垣くん、お疲れさま~」

萌絵は、ちゃっかり板垣の隣の席をキープ。

リレー時の板垣の姿が鮮やかに記憶に残り、普段の様子とのギャップに完全にやられていたのだ。

今の年齢になってこのような感覚を味わうことに、新鮮さを感じてもいた。

「いやぁ、それにしても板垣すごかったよな」

さっそく、板垣への賞賛の声があがり始める。

「マジ速かった!見てて震えたわ」

「間違いなく今日のMVPだな!」

次々と送られる労いや賛辞の言葉を、板垣はたいしたことではないというように飄々と受け流す。

そこで、ある同僚から別の意見があがった。

「いや、MVPならもうひとりいるよ。長濱だろう!」

萌絵は急に自分の名前を告げられ、肩をビクッと震わせた。

「え?私?なんで…」

呆気に取られていると、「わかる!」と賛同の声があがる。

「あのお弁当だろう?美味しかったわぁ」

「そう!俺もあれ食べて士気が上がった」

ほかの同僚たちが、うんうんと頷く仕草を見せる。

昼休憩の際に、萌絵は家から持ってきた弁当を振る舞った。

おにぎりに唐揚げ、玉子焼きにピーマンの肉詰めなどメニューは定番のものだったが、その味が好評だったようだ。

「萌絵さん、こんなに可愛らしくて、料理も上手なんて。ズルすぎます!」

後輩の女性社員も羨望の眼差しを向けて訴えた。

萌絵は小柄で童顔なことから「小動物のようだ」ともてはやされ、後輩に限らず女性社員たちから慕われていた。

「みんな運動して汗かいてると思ったから、味付けはちょっと濃い目にしたの。口に合って良かった」

ちょっとしたアレンジやそれとなく弁当を差し入れる気づかいも、あざと可愛いと評価された。

「長濱。お前、彼氏いるのか?あんな美味い料理食べられて羨ましいぞ」

「課長!その質問は今の時代アウトです!」

和やかなやり取りが続くなか、萌絵の隣に座る板垣がボソッと呟いた。

「また食べたいな…」

その声を、萌絵は聞き逃さなかった。

「え、本当に?よかったら、今度お弁当作ろうか?」

「ええっ!いいの?大変じゃない?」

「週1くらいだったら別に。自分のお弁当を作るついでにでも…」

板垣が嬉しそうに微笑み、目を細めた。

穏やかな視線だったが、萌絵の胸を鋭く射抜いていった。

翌日。

萌絵は食材を買い込み、自宅のキッチンで料理をしていた。

エプロンを着用し、ヘアクリップで髪を後ろにまとめ、腕まくりをして気合十分。

― 板垣くんのために美味しいお弁当を作らなきゃ…!

だが、気合に反して調理器具を扱う手はおぼつかない…。

時折、目の前に置いたタブレットのレシピを食い入るように眺めては、手もとに視線を移し、またタブレットを覗き込む。

実は、萌絵は料理が苦手だった。それどころか、ほとんど料理などしたことがない。

実家で暮らしていたころは、母親や家政婦にすべて任せきりだった。

ひとり暮らしを始めてからは家事代行を雇い、掃除や洗濯に加えて料理の作り置きを依頼。もしくは、フードデリバリーを利用するか、外食で済ませていた。

運動会で振る舞った弁当も、家事代行のオプションで依頼して作ってもらったものだった。

さすがに板垣に渡す弁当を家事代行に任せきりにするわけにはいかないと、今は練習に取り組んでいるのだが、一向に捗らない…。



― ああ…。こんなことならもっと前から料理しておくんだったな…。

萌絵は、これまで料理を避けてきたことを後悔した。

必要性に駆られなかったというのを言い訳にしているが、理由は単に面倒くさかっただけ。

だが、今は違う。

明確な目標を見出しているだけに、やる気も湧いてくる。

何品か作ろうと思って買い込んだ食材のなかから、肉じゃが用のものを取り出し、調理にかかっていた。

皮をむいたじゃがいもを手もとに置き、タブレットを凝視する。

― レシピ通りに作ればなんとかなると思ってたんだけど…。

じゃがいもに包丁を入れようにも、『ひと口大』の大きさがわからない。

スマートフォンを使って検索しつつ進めるが、今度は加える水の量である『1カップ』が何mlだったかあやふやになりつまずいてしまう。

調味料においても『適量』『少々』の違いに戸惑い、また中断。

いちいち調べものをしながらの調理となるため、1品仕上げるのに、何時間もかかってしまった。

調理器具だけでなく、タブレットやスマートフォンを駆使しながらの疲労度は半端ではない。

そして、苦労して作りあげた肉じゃがも、煮崩れしていて美味しそうには見えない。

ひと口食べてみても…。

― まあ、不味くはなはいけど…。

家事代行が作ったものと比べると、格段の差がある。

さらに、目の前に積み重ねられたたくさんの洗いものを見て、萌絵は呆然とする。

― こりゃダメだ…。

不本意ではあるが、弁当作りを断念するのだった。

水曜日の昼休み。萌絵は板垣を伴い、職場近くにある公園を訪れた。

こうして昼時に2人で公園を訪れるのは、3度目になる。

夏を前に強くなり始めた日射しを避けようと、木陰にあるベンチに腰をおろした。

「はい。今日のお弁当」

萌絵は、ランチバッグのなかから二段式の弁当箱を取り出し、板垣に手渡した。

「おおっ、今日は肉団子?」

蓋を開け、彩りよく並んだおかずを目にした板垣が表情を明るくした。

「うん。鶏ひき肉で作った肉団子を大葉で巻いたの。鶏肉だからヘルシーだし、大葉には食材を傷みにくくする作用があるから」

萌絵は、家事代行スタッフの残していたメモに書いてあった通りに伝える。

自分が作ったわけではないだけに、胸がチクリと痛むが、3週目となると罪悪感も若干薄れつつあった。

「うんまっ!!」

板垣が箸で肉団子をつまみ、口に放り込むと、満面の笑みを浮かべて美味しさを表現した。

「ホント?よかったぁ」

「うん、めちゃめちゃうまい!俺、最近毎週のこの時間が楽しみで仕方ないよ」

板垣は絶賛しながらも、箸を止めずに食べ進めていく。

萌絵は、傍らでその姿を眺めながら、板垣との距離がどんどんと近づいているのを感じる。

ただ、手放しでは喜べなかった。

― 褒めてくれるのは嬉しいけど、私が作ってるんじゃないんだよなぁ…。

板垣の舌を唸らせているのは、家事代行スタッフの女性なのだ。

胃袋どころか心までも掴まれかけている様子を見るほどに、複雑な感情が湧き上がる。

― むしろ私との距離は離れているんじゃぁ…。

ごはんを頬張る板垣を眺めつつ、萌絵はもどかしさをおぼえた。



▶前回:意中の先輩に“絶対見られたくない現場”を目撃されてしまい…。27歳女が悔やんだワケ

▶1話目はこちら:職場恋愛に消極的な27歳女。実は“あるコト”の発覚を恐れていて…

▶NEXT:9月23日 月曜更新予定

【後編】頼りにしていた料理代行スタッフが、突然の休暇。女は動揺を隠せず…