人間は欲望に負けると不幸になる…これは昔から現代まで不変の事実です。お金に執着したばかりに思いもよらぬ悲劇を迎えるという話は後を絶ちません。本記事では、落語家・立川流真打ちの立川談慶氏による著書『落語を知ったら、悩みが消えた』(三笠書房)から一部抜粋し、有名な落語の一席とともに「うまい儲け話の怖さ」について考えてみましょう。
損得勘定で動く人ほど最後に損をする
借金だらけで自殺しようとしている男が、痩せこけた老人に声をかけられた。老人は自らを死神だと名乗り、「医者になれ。医者は儲かるぞ」と男を諭す。死神によれば、「どんな重病人であっても、死神が病人の足元に座っていれば、まだ寿命ではないから呪文を唱えれば助かる。逆に死神が枕元に座っている場合は、その病人は寿命だから助からない」とのこと。
家に戻った男が医者の看板を掲げると、さっそく、ある日本橋の大店から主人を診てほしいと依頼がきた。インチキ医者となって店に行くと、主人の足元に死神がいた。これ幸いと呪文を唱えると、死神は退散して病人はたちどころに元気になっていく。そして、男は多額の報酬をもらった。
この一件が評判となり、男は名医として数々の患者を治し、報酬で贅沢に暮らす。やがて愛人三昧となり、女房や子どもと離縁してしまうが、その愛人の一人に騙されて全財産を奪われてしまう。どうも人生には波というものがあるようで、それからというもの、訪問する病人はみな、枕元に死神がいて治すことができない。しまいにヤブ医者と言われるようになって、またまた困窮してしまう。
そんな折、大きな商家から声がかかり、行ってみるとまた枕元に死神がいた。「無理です、寿命です」と言うのだが、たったひと月でも延命できたら大金を出すと言われる。カネに目がくらんだ男は、深夜に死神がうとうとしたのを見計らって、店の男手四人を集めて布団の隅を持たせ、ぐるりと布団を逆転させて死神を病人の足元にする。そして、すぐさま呪文を唱え、死神を退散させることに成功した。男は再び大金を確保し、居酒屋で大酒を飲んで帰路につく。
その帰り道、男はあの死神に声をかけられた。「バカな真似をしやがったな。後からついてこい」と洞窟の中へ誘われる。そこには、大量の火のついた蠟燭の数々。この蠟燭一つ一つが人の寿命だと、死神は言う。そして「あんなことをするから、お前は死ぬはずだったさっきの男と、自分の寿命を入れ替えてしまった」と、一本の蠟燭を指差しながら言い放って去っていった。たしかに、男の蠟燭はとても短く、今にも火が消えそうだった。
驚いた男は助けてくれと懇願するのだが、そこに一本の長い燃えさしの蠟燭を発見する。うまくいけば命が助かる。一縷の望みを託し、自分の消えかけた蠟燭から火をともそうとする。しかし、緊張で手が震えてなかなかうまくできない。
やがて――「あぁ、消えた……」
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人生をお金なんかに振り回されるな
米津玄師さんが歌にするほど、広く知れ渡った演目であります。多くの落語家が、それぞれのオチなどを工夫していますので、ぜひ聴き比べてみてください(ちなみに私は、一旦消えた後、この男が死神の仲間入りをする「二段オチ」としています)。
この落語が訴えているテーマは、「誰もがお金は欲しいもの。人間はお金に執着しているものとわきまえなさい」ということでしょうか。
だからこそ大切なのは、必要以上に振り回されないことです。そんな欲望に振り回されてばかりいると、この落語の主人公みたいになってしまうのでしょう。
ここでふと思うのが、昨今各種SNSで話題になっている「著名人による詐欺広告」です。被害額が甚大との報道もなされていました。無論、騙すほうが100%悪いに決まっていますが、でもどこかで「私は大丈夫だ」「もしかしたら儲かるかも」のような欲望の萌芽はあったのかもしれません。
得てして犯罪グループは、そういう匂いを嗅ぎつけることに慣れているものです。
だからこそ、古くから現代まで「ラクをして、うまく儲かる話などはないよ」という事実は不変であると踏まえて、このばかばかしい『死神』をエッセンスとして受け止めていくべきなのです。