1963年、江商と協和発酵が合弁で立ち上げた「日本リカー株式会社」。社名は、輸入洋酒の卸販売における“日本一”を祈願したネーミングである。74年にブルゴーニュの銘醸「ルイ・ジャド」と代理店契約を締結し、99年には卸問屋からワインインポーターに完全にシフト。2000年ルイ・ジャド、16年「EPIグループ」*の資本参加は、日本リカーにとって大きな強みになった。創立60年という節目を迎えた今、同社は日本有数のファインワインの輸入元として確たる存在感を示している。
*シャンパーニュの「パイパー・エドシック」や「シャルル・エドシック」、トスカーナの「ビオンディ・サンティ」などを擁するホールディング会社
2024年7月、「日本リカー株式会社」が長年の取引先や関係者、プレスを招聘し、60周年記念の祝賀会を催した。日本リカー社外取締役であり、「ルイ・ジャド」の会長ピエール=アンリ・ガジェ氏と「EPIグループ」のダミアン・ラフォリ社長も、晴れの日を共に祝うために来日した。
ガジェ氏は「創立60年、代理店契約から50年、ルイ・ジャドに入社して40年、パートナーシップ締結から25年」と区切りの良い数字を連発し、関係者一同に謝意を示した。
ラフォリ氏は「今日は日本リカーのパートナーとして参列しているが、ルイ・ジャドのパートナーシップは日本リカーにとって心強いものである。フランスの優れたワインのルーツを日本に伝導することを使命に、同社はワインや食を通して人生の楽しみ方をフランスとシェアしている」と述べた。
会の中盤、JALワインアドバイザーを務めるワインテイスター兼ソムリエの大越基裕氏をゲストスピーカーに迎え、「ワインの銘醸地におけるリーディング企業としてのこれからのワイン造り」をテーマにトークセッションが行われた。
ルイ・ジャドはブルゴーニュの真のテロワールを表現することを旨としており、約20年以上前からオーガニック(一部はビオディナミ)を強化してきた。
230へクタールの自社畑を所有するガジェ氏は「数十年前は10年に2回くらいグレートヴィンテージがあるかどうかだったが、近年は温暖化でブドウは熟度に恵まれている。ブルゴーニュのレジョナルから特級畑に至るまで、全体像をしっかりと表現するためにオーガニックを取り入れているが、それによりブドウの収量は下がり、逆に畑での作業は増えるので、コストは上がる。特に日本は円安の影響で20~25パーセントほど追加の価格になっている。ワインの世界にはいろいろな考え方があり、高価なワインを飲むことに誇りを持つ人たちもいるが、われわれは高品質のワインを消費者に楽しんでもらえる価格で提供していきたい。今後もワインのスタイルは変えないし、変わらない」と力説した。
「パイパー・エドシック」「シャルル・エドシック」「レア・シャンパーニュ」は、シャンパーニュで初めてとなる「B Corp(B Corporation/Bコーポレーション)認証」*を取得したメゾンであり、気候変動やSDGsでは先駆者的な立場にある。
ラフォリ氏は「家族経営の生産者として、現在のシャンパーニュ造りをどのようにして続けていくか。今の意志決定が50年後も同じように保ち続けられるかが大事なことである。欧州もインフレに直面しているので原材料価格が上昇しているが、これは短期的なことである。長期的な視点で言えば、サステイナブルなワイン造りを目指しているので、畑に費やす時間や労力、さまざまな取り組みが価格に影響していることは事実である。加えて、その作業だとブドウの収量は下がるので、ブドウ価格の高騰がワインの価格に反映してしまう。われわれの社会的責任として、取引先にはサステイナブルへの取り組みを丁寧に説明し理解を求めていくことが重要であり、透明性のある情報を開示し、教育や知識の伝導を含めて、愛を持って消費者に語っていく必要がある」との思いを述べた。
*米国ペンシルベニア州の非営利団体「B Lab(ビーラボ)」が始めた国際認証制度。利益重視ではなく、環境や社会に配慮した公益性の高い会社に与えられる認証
大越氏は「お二人は最高品質のワインやシャンパーニュを提供してくれている。ゆえに、彼らが今、どれだけのことをしているか。どのような思いでワインやシャンパーニュを造っているかをきちんと理解した上で、われわれのすべきことは、それぞれの顧客のニーズに合わせた提案であり、今までのようにテロワール感だけで見ていくのではなく、ブルゴーニュやシャンパーニュの本当の良さを伝えていくことが必要だと思う」とまとめた。
会場となった「メゾン ポール・ボキューズ」の先崎真次支配人は、あいさつで、ボキューズシェフの「親しい友人や仲間とテーブルを囲むこと。それこそが最高の幸せである」という名フレーズを紹介していたが、60年という時の流れので中で、さまざまな形で、日本リカーと交流してきた友人、仲間との会食はまさに“最高の幸せ”、人生を楽しむフランス流の“joie de Vivre”の世界だった。
text & photographs by Fumiko AOKI