元レースクイーンが社会人歴ゼロから就職。「入社4日で辞めたくなったけど」課長に昇進するまで

モータースポーツの会場を盛り上げる「花形」と言われてきたレースクイーン。

各チームが参戦するレースに帯同し、ドライバーやライダーのサポートを行うほか、企業やマシンをアピールするなど、モータースポーツに欠かせない存在。しかし、レースクイーンの活動を第一線で続けられる期間は比較的短く、引退後の人生を考えなくてはならない職業とも言えるだろう。

そんななか、27歳でレースクイーンを辞めてから一般企業に就職し、現在は“スーパー広報”と呼ばれるまでに。見事な転身を果たしたのが、三陽工業株式会社の広報課で課長を務める加賀 史穂理さん(32歳)だ。

社会人経験ゼロから同社の広報部門を立ち上げ、YouTubeの動画やイラスト制作、ネットニュースでも大きな話題を呼んだ「おじさんTikTok」を主導するなど、その敏腕ぶりを発揮している。

レースクイーンを始めたきっかけや、キャリアチェンジ後に広報パーソンとして成果を出せるようになった理由について加賀さんに話を聞いた。

◆渋谷で事務所にスカウトされて芸能の世界へ

加賀さんは東京の大学へ通うために18歳で上京。大学1年生のときに、イベントコンパニオンの事務所にスカウトされたのが、後にレースクイーンになるきっかけとなった。

「4月に大学生活が始まって、5月頃に渋谷をたまたま歩いていたら、事務所の方にスカウトされたんです。当時は、都会に対しての怖さというよりも、とにかく楽しそうという気持ちが強くて、特に警戒とかはせずに事務所に入りましたね。はじめは、フリーペーパーのモデルや東京ゲームショウ、東京モーターショーといったイベントでのコンパニオンなどの現場を経験しました」(加賀さん、以下同)

レースクイーンの仕事に関わるようになったのは、2010年にオーディションを受けたときだった。

「レースクイーンの案件を持っている事務所だったので、仕事の幅を広げるためにオーディションを受けてみたんです。書類選考や面接を受けたのですが、幸いにも合格することができ、バイクショップ『RS-ITOH』が運営するレーシングチームのレースクイーンとして活動を始めました。

そこから、チームが参戦する大会には自分もレースクイーンで参加するようになり、全日本ロードレースや鈴鹿8時間耐久ロードレースといった有名な大会にも仕事で行くようになったんです」

◆“レースクイーン”という肩書きを武器にフリーで活動

大学在学中はアルバイト感覚でレースクイーンをやっていた加賀さんだが、卒業してからは正社員として事務所のモデルをマネジメントするマネージャーの仕事を務めるようになる。

しかし、結果としては1年で辞めることになったという。

「正社員の初任給は16万円くらいでしたが、ある種プレイングマネージャーとして働いていたので、モデルのマネジメント以外にも自らモデルの仕事をやる場合もありますし、モデルの人員が足りない現場には埋め合わせのために自分が駆り出されたりと、融通が効かないこともあって。それだったら自分で独立してやった方がいいと思い、フリーランスになったんです」

“レースクイーン”という肩書きがあるかないかで、もらえるギャラ(報酬)も大きく異なると加賀さんは話す。

例えば、イベントのコンパニオンは相場で1〜1.2万円なのに対して、レースクイーンの経験があればモデル枠として参加でき、ギャラも3〜5万円にアップするそうだ。

「当日の勤務体系についても、コンパニオンだと一日中企業ブースで呼び込みやティッシュ配りを行いますが、モデルとしてイベントに呼ばれるとステージ上でパフォーマンスしたり企業の製品を説明したりすることができ、しかも短時間の仕事でギャラもいいんですよ。

バイクレースの大会に帯同することはもちろん、レーシングチームの主催イベントや撮影会、モデル活動などいろんな仕事をこなしながら生計を立てていましたね」

◆レースクイーン時代の思い出「自分の名前を覚えてもらえるのが嬉しかった」

加賀さんは19歳から27歳までレースクイーンを続け、月収で50万〜60万円稼ぐこともあったとか。

働いたら働いたぶんだけ稼げる。有名になればなるほど、ギャラも上がっていく。

芸能界を目指していたわけではなく、会社に縛られずに自分の実力一本でやっていけるレースクイーンの仕事に、加賀さんはやりがいを見出していたわけである。

「立ち仕事や体型維持の大変さはありましたが、レースクイーンを始めたのをきっかけにファンが増えて、自分の名前を覚えてもらえるようになったのは嬉しかったですね。私はゲームやアニメが好きだったので、コスプレキャラを演じながら、ファンと交流していたんですよ(笑)。

あとはフリーで動いていたので、スケジュールも自分自身でコントロールしやすく、レースクイーン時代の最後の頃は、自分でやりたい仕事を選べるようになったのも良かったなと思っています」

◆将来の不安から一般企業へ就職。最初の業務は…

こうしたなか、レースクイーンの先輩たちが20代後半に入ると、ネイルサロンやモデル事務所の経営者になったり、結婚して家庭に入ったりしていくのを見て、「将来に対する不安を漠然と抱えるようになった」と加賀さんは言う。

「レースクイーンはいつまでもできる仕事ではなく、アルバイトも社会人経験もなかった自分にとって、『この先どうなるんだろう?』という気持ちがあって。心機一転するためにも、レースシングチームの車両だった『Kawasaki』の本社がある兵庫に引っ越しを決めました。

関西では何の仕事のアテもなかったので、いろんな求人を探していくなかで三陽工業を知りまして。家から近かったこともあり、まずは応募してみることにしたんです」

当初は営業として採用されたそうだが、上司が和やかな雰囲気を作ろうと、TV番組『アメトーーク!』(テレビ朝日系)の人気企画「絵心ない芸人」に関する話題を挙げ、加賀さんにキリンのイラストを描かせたという。

そうすると、思いのほか“絵が上手い”ことがわかり、入社初日の業務はタウンワークに載せる三陽工業の求人募集に使うイラスト制作を行うことになったそうだ。翌日からはパソコンとペンタブを用意して、本格的にイラストを作ることに。

「製造派遣事業を強化していく上で、『ホームページのデザインも刷新したい』ということだったため、コンテンツに載せるブログやSNSを始めたのに加え、社員のイラストや写真素材などを私の方で用意し、サイトを構築してもらう外注先とのやりとりも行いました。どの業務も未経験だったので、本当にイチから情報収集しながら取り組んでいましたね」

◆社会人の“ツラみ”を経験「入社4日目で辞めたくなった」

だが、「働き始めたときは“違和感”だらけだった」と加賀さんは吐露する。

「ずっとレースクイーンの仕事をしていたのもあって、どうしても固定給を時給計算してしまう自分がいました。そのほか、クライアントとのメールや電話対応など、本当に何もかもが初めてで、社会人の何が正解かもわからない状況でした。

実は入社4日目で『会社を辞めたい』と言っていたんですね。自分のスキルがそこまでないのに、40時間分の“みなし残業”が月給に含まれているのが納得できなくて。そんな自分に対して、みなし残業ではなく残業した分だけを給与に反映されるように柔軟な対応をしてもらったりと、会社側に融通を効かせてもらえたのは本当に感謝しています」

こうした苦労を乗り越え、加賀さんは社内のイラストやホームページ制作、ブログやSNSの運用など、三陽工業の広報業務を担っていく。

会社のパンフレット制作や備品のデザインまで任されるようになると、リソース不足を補うためにアシスタントを雇い、広報部署のまとめ役としても社内からの期待を背負うようになっていった。現在は広報チームに新入社員が2名加わり、パートで働くスタッフも含めて4名のメンバーを束ねている。

こうしたなか、加賀さんの守備範囲は広く、広報業務の基本となるプレスリリース作成やメディアリレーション以外にも、YouTubeの動画編集やデザイン、イラスト制作、SNS運用など「やれることは全部やる」というスタンスを持っている。

まさに“スーパー広報”として、日々忙しく立ち回っているわけだ。

「SNSには力を入れており、特に2018年から始めたYouTube『かがっちャンネル 三陽工業公式TV』はチャンネル登録者数が1.3万を超えています。スポンサー先のバイクレースの動画や自分がバイクに乗って走る動画などを投稿することで、徐々に再生数が取れてきて、チャンネル登録者数が増えてきました。

そして、2020年くらいからショート動画も投稿するようになり、いくつかバズった動画が拡散されて、フォロワー獲得や認知度向上につながりましたね」

◆SNSの次は音声媒体にもチャレンジしたい

記者は2年以上前、「おじさんTikTok」を取材しているが、その後も毎日更新を続けており、加賀さんは運用担当として関わっている。

何でもできてしまうからこそ、デザインや動画編集、打ち合わせなどのスケジュールを1ヶ月単位で組み、時間を捻出できるように工夫しているという。

今後の展望について伺うと、「広報の部署をさらに確立させていきたい」と加賀さんは意気込む。

「今頑張っているのは、三陽工業に在籍する1900名の社員を一人ずつイラストに描いていく取り組みです。幸いにも『似てる!』と言ってもらえることが多く、全社員のイラストを完成させるのを最終目標に置いています。

またSNSに関しても、今のトレンドが廃れたときのことを考えて、新しい媒体を取り入れていきたいと思っています。次に来るのは音声媒体だと予測しているので、どこかのタイミングで三陽工業の音声コンテンツにも挑戦したいですね」

レースクイーンからスーパー広報へと、華麗なる転身を遂げた加賀さん。三陽工業の躍進を支える、加賀さんのこれからの活躍ぶりに期待したい。

<取材・文/古田島大介>

【古田島大介】

1986年生まれ。立教大卒。ビジネス、旅行、イベント、カルチャーなど興味関心の湧く分野を中心に執筆活動を行う。社会のA面B面、メジャーからアンダーまで足を運び、現場で知ることを大切にしている