現在の職場よりもよいオファーがあり転職を決めたとします。しかし、いざ退職届を出してみると、上司や人事部門から引き留められることも。相談程度ならば特に気にする必要はありませんが、脅迫まがいの引き留めをされた場合どう対応すればよいのでしょうか。今回は、東京エグゼクティブ・サーチ(TESCO)の代表取締役社長・福留拓人氏が、Aさんの事例とともに「高圧的な引き留め」への対処法を事例と共に解説します。

損害賠償をちらつかせられて転職を引き留められたAさん

最近、弊社のコンサルタントから私に次のような相談がありました。簡単にまとめると以下のような内容です。

あるプラントの設計エンジニアに競合他社から声が掛かり、サーチを実施したところ非常に優秀な人物でした。本人も声を掛けてくれた会社でぜひチャレンジしたいということで、オファーレターにサインをして、最終交渉に入りました。しかし、石油プラントなどの大きな施設の設計者はとても希少な存在です。慌てた現職側が慰留に打って出ました。

ここまではよくある話です。対象となる人物を仮にAさんとしますが、今回のAさんの場合は事情が少し特殊で、2つのポイントがありました。

1つは現職側が「今アフリカの某国で行われているプロジェクトはAさんがキーパーソンになっていて、ここで抜けられるとプロジェクトが立ちゆかなくなる。そうなると企業間の問題にとどまらず国家間の問題になる」と言い出したのです。

もう1つは、「再来年の4月にこのプラントのプロジェクトが完結するまでは転職を思いとどまってもらいたい」と要望してきたことです。

いうまでもなく、Aさんはこの要望を拒みました。この要望は企業からという体裁をとっていましたが、実は直属の上司から出たものでした。慰留を受け入れないなら、会社が受ける損害について損害賠償を請求するとまで言われたというのです。なぜなら、このプロジェクトはAさんが在籍している前提でアフリカの某国政府と契約したからだと言います。

ここまで高圧的で脅迫のようなことを言われ、さすがのAさんも動揺しました。そして、私ども東京エグゼクティブ・サーチの担当コンサルタントのところに駆け込んできたという経緯でした。さて、読者のみなさまはどうお考えになるでしょうか。この場合、Aさんは本当に過失を負わなければならないのでしょうか。ちなみに、Aさんは大手企業でいうところのチームリーダーと課長の間くらいの職位です。

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Aさんは日本の労働三法で保護される立場にある

では、正解を申し上げましょう。Aさんはまったく責任を負うことはありません。なぜなら日本国憲法では、職業選択の自由が認められているからです。その原則は商法や会社法に優先します。

さらに民法の使用者責任の項目に照らして考えると、「Aさんがいたから契約した」というのは契約に立ち会っていないAさんにとってまったく関係ないことです。これはあくまで会社がセールストークとして書いたことで、Aさんがその契約全体の責任を負わなくてはならないなどということはありません。

もしもAさんが当該企業の社長であるとか、委任契約に基づく経営の全体責任を負うといった立場であれば、この話の細部をもう少し見なくてはなりません。現在の職位はチームリーダーと課長の間に該当するということで、組合に加盟しているレベルとも見られます。労働三法によって保護される立場であり、このような巨大な経営リスクを負うような該当者ではありません。

むしろ、この会社はAさんが何らかの理由でダメになったらすべてのプロジェクトが破綻するというようなことを表明したことになり、リスク管理がおかしくなっているといえます。Aさんを欠いたとしても誰かが代わりとなり、プロジェクトを滞りなく進められるようにしておくことは会社として当然です。ですから、Aさんは自分の自由意思で現職企業との労働協約を解除し、他社に転職することができます。