小説、エッセイ、短歌に絵本。さまざまなジャンルで活躍の場を広げるくどうれいんさんが、自身初となる日記本『日記の練習』を9月19日に刊行。くどうさんは10代後半から日記を書いているそうだが、「毎日欠かさず書こうと思ったことは一度もない」という。NHK出版「本がひらく」のnoteでの約1年にわたる連載をまとめた本書は、日記の短文(日記の練習)と、それをもとにしたエッセイ(日記の本番)で構成される。長く書き上げた日も、一文も書けなかった日も。「あらゆる試行錯誤の道筋がぜんぶ1冊になっちゃった感じですね」という本書に込めた想いを聞いてみた。
「日記は、その日に書き終わらなくていいもの」
「基本的には朝、前の日を思い出すように日記を書くようにしていて。一晩寝かせてからのほうが、感情の生々しさも少し落ち着くんですよね。中学生から続けていますが、一度も手書きで書いたことがないんです。毎日欠かさずということもなく、書きたいときに、パソコンやスマホなどに思いのままに、というスタイルです」
そして面白いことに、くどうさんは日記を"加筆・修正"する。「あとからこの日はこうだったとするために書き加えたり、めちゃくちゃ書いてすごい削って一文だけにしたり、とにかく調整をするんです。私のなかでは、日記は必ずしもその日に書き終わらなくていいし、たとえ書き終わったと思っても、あとから手を入れていいもの。だから日記という一般的にはプライベートなものを、世に見せる『作品』として出すとき、特別に手を加えたという感覚はなかったんです。むしろずっと続けていたことが作品になるなんてありがたいなと思ったくらいです」
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「書けなかった日々のことを、書けた」
何十行にもわたり日々のあれこれが語られる日が続いたと思えば、とある日はたった一行、これだけ。
―5月16日 佐藤様が「砂糖様」と変換されて(またまた〜)と思った。
「書き続けていると『これは日記に適切なサイズすぎる!』という出来事に気づくんですよね。説明するのも野暮だなというユーモラスな出来事。エッセイとも、小説とも違う。それが一行だけのこともあるから、読者の人は、何の日だろうと理解できないこともあるかもしれません。でも、一言だけだって自分がわかればいいんだという気持ちでいました。説明的に、事細かに書いてなくてもいいんじゃないかと」
そして、本書を読み進めていくと、日付のみが羅列される日々も現れる。
「ノリノリで書けているかと思っていたのに、急に書けなくなる期間が訪れました。書きたいことはたくさんあるのに、どんどん次の忙しさがやってくる。これまでなら寝る間を惜しんでも書いていたのに、その体力がないぞ、という辛さにぶち当たったりもして悔しかった。この1年は、会社員を辞め、いよいよ作家として生きていくのだという自覚を持ちながらも、まだどこか走り出した頃の気持ちも残っていて。どういうポジションで、どんな覚悟を持てばいいのかわからなくなって悩んだ年でもあったなと。もちろん、私の生活のすべてを記しているわけではありませんが、試行錯誤の道筋が全部本になってしまったといいますか。この日記があったことで、書けない日々のことを残せたのはよかったです」