「駅にゴミ箱がないからゴミを放置」…ただの“迷惑行為”か、正当な「抗議活動」か?

近年、駅や公共施設からゴミ箱の撤去が進んでいる。

撤去の背景にはテロ対策やコロナ禍における感染対策、家庭ゴミの持ち込み問題などがある。しかし、売店で飲食物などゴミの出る商品を販売している駅や施設でもゴミ箱がない場合も多く、利用者からの不満の声は大きい。

SNSでは、「ゴミ箱を置かない事業者への『抗議』として、あえてゴミを放置している」と発信しているユーザーも多くいる。だが、不法投棄として処罰の対象になるおそれはないのだろうか。

撤去の契機は列車テロ事件や新型コロナウイルスの流行

首都圏では、大半の鉄道事業者が駅からゴミ箱を撤去している。最近では9月1日に、つくばエクスプレス「つくば駅」から撤去された。比較的ゴミ箱を残していたJR東日本も、ゴミ箱を無くす対応を進めているようだ。

京王電鉄と東急電鉄は、2004年にスペインで起こった「マドリード列車爆破テロ事件」を契機に、テロ対策として撤去を始めた。その他の多くの事業者は、新型コロナウイルスが流行した2020年〜2022年の間に撤去を行った。

撤去の理由は各社によって異なるが、テロ対策・感染対策と家庭ゴミの持ち込み問題を複合している場合が多い。また、注射針などの医療系ゴミが清掃業者に危険を及ぼす問題や、タバコの吸い殻による火事のリスクも理由とされている。

Xには「抗議のためのゴミ放置」との主張が投稿されるが…

多くの駅には売店があり、おにぎりやサンドウィッチ、お菓子やジュースなどの飲食物を売っている。これらは、包装紙や容器などがゴミとして残る。

しかし、駅にゴミ箱がない場合、駅内で購入した飲食物から出たゴミを自宅に持ち帰ったり、駅外の施設のゴミ箱に捨てることを余儀なくされる。

実情としては、駅内のベンチやトイレなどにゴミを放置したり、自販機横のリサイクルボックスにゴミを投入したりする人が多い印象だ。


霞ヶ関駅・出入口の内側に放置されていたゴミ(9月25日都内/弁護士JP編集部)

さらに、Xでは「ゴミ箱を撤去した鉄道会社への抗議として、リサイクルボックスにゴミを投入している」「駅で購入したものから出たゴミは駅の中に放置すべきだ」などと主張する投稿が、たびたび見受けられる。

これらの投稿からは、「本来ならゴミ箱を設置すべき施設に設置されてない状況のほうが不正であるから、その状況を変えるため、ゴミを放置することで『抗議』するのは正しい」という考えが存在することが読み取れる。

このような考え方は、自らの良心にもとづいて「従うことができない」と判断した、特定の法律や命令に非暴力的手段で公然と違反することを是とする「市民的不服従」の思想に通じるものだ。

一方で、いくら駅にゴミ箱がないからといって、ゴミを放置し他の利用者を不快にしたり、駅員に迷惑をかける可能性があることは否めない。法律家はこの問題についてどう考えるのか。市民社会や個人の自由と法律の関係についても造詣が深い、杉山大介弁護士に聞いた。

不法投棄の罰則は「5年以下の懲役」または「1000万円以下の罰金」

そもそも、駅や公共施設にゴミ箱を設置することを直接的に義務付ける法律・条例は存在しない。

ただし、「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」は、土地や建物の占有者・管理者に、市町村によるゴミの収集処分に協力することや(6条の2)、土地や建物を清潔に保つことを求めている(5条)。

また、同法の16条は「何人も、みだりに廃棄物を捨ててはならない」としている。したがって、駅にゴミを放置する行為も、同じく「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」に違反する可能性がある。

罰則は5年以下の懲役、または1000万円以下の罰金だ。

「ただし、『みだりに』は解釈の余地があります。また、軽微すぎる構成要件に該当する行為には罰までは科さないとする、『可罰的違法性』と呼ばれる刑法理論もあります。

そのため、一般ゴミをひとつ置いただけで、当然に違法となるわけではありません。

とはいえ、駅にゴミを放置する行為が廃棄物処理法の文言に抵触するのは間違いないです」(杉山弁護士)

ゴミ放置は「抵抗権」の行使なのか?

それでは、ゴミ箱の設置を促すためにゴミを放置する行為は「市民的不服従」として擁護できるだろうか。

杉山弁護士は「法律の専門家としては『やらないほうがよいですよ』としか言えませんね」と語る。

「『人権への重大な侵害がある場合に統治機構に抵抗する』など、究極的な場面での『抵抗権』については憲法学でも議論されており、私も賛同する立場です。

しかし、ゴミ箱の設置を促すために行う表現としての行為が、一応は刑罰法規の適用要件を満たすと解釈できた場合に、なおも違法性を否定できるだけの効果を持つかというと、微妙だと考えます」(杉山弁護士)

ただし、不便な状況を強いられている利用者・顧客らの市民が抵抗せず黙っている限り、国や企業は事態を改善するためのコストを投入しないままでいる場合が多い。

「国や企業にとって厄介な状況を作らないと事態の解決に進まない、という考え方にも一理はあると思います」と杉山弁護士は続ける。

「自分がゴミを放置するかどうかはともかく、『抗議』のためのゴミ放置をしている人に、あれこれ言う気もありません。私も、ゴミ箱が増えて欲しいと思っています」(杉山弁護士)