幼少期から芸能界で過ごしてきた「子役」たち。しかし、大人になってからも成功できるのはほんのひと握りである。
芸能界の常識や価値観が、一般社会と異なることは言うまでもない。子役として過ごした後、現実との大きなギャップに悩んでしまうこともあるだろう。元子役はその後、一体どんな人生を歩んでいるのか?
子役からギャルモデルに転身し、一般企業に勤める会社員を経て“起業”した西真央さん。決して順風満帆ではなかったが、現在はビジネスの世界で邁進中。今回は、その独特な道のりを紹介する。(記事は全2回の1回目)
◆「勝った者が正義」まさにサバイバルの子役時代
幼稚園の頃に芸能界へ入った西さん。家電量販店のパンフレット、ミュージカル、テレビドラマのエキストラやテレビCMにも出演していたという。きっかけは何だったのだろうか。
「私が『テレビに出たい』と親に言ったことです。親は『テレビに出るなら芸能人にならなきゃね』と、習い事として劇団に入れてもらいました」
彼女は以前からピアノなど他の習い事もしていたらしい。しかし劇団は、“普通の習い事”とは違うだろう。芸能人を目指す方法のひとつと言えるが、レッスンはつらくなかったのだろうか。
「日本舞踊、バレエ、発声練習、ダンス……たくさんの新しいことに挑戦するのは大変でしたが、つらくはなかったです。挑戦していくことで達成感を得て、価値観が変わっていくことが楽しかったですね」
とはいえ、楽しいことばかりではない。芸能界で活躍するべく、誰もが生き残りをかけて必死になっている。西さんは「サバイバルの厳しさも痛感した」そうだ。
「劇団では『私の方がかわいい』『私の方がスタイルがいい』という戦いが行われていました。派閥とかもありましたね。私は派閥には加わらず孤立していましたが……。
サバイバルの厳しさを痛感したのは、オーディションの時でしたね。たとえば、『あっぱれさんま大先生』(フジテレビ系列)という子どもがひな壇でしゃべる番組で、私を含む数名がオーディションに出た時のことです。そこでは、みんなかわいくてトークが面白い子ばかりが集まっていました。私は予選落ちで、負けて悔しい思いをしました。
他にも主役に選ばれるのは1人だけというミュージカルのオーディションで落ちたりもして、“勝った者が正義”という価値観が培われていきました。ここで勝ち残っていくのは難しいだろうな……と思い始めた矢先に、兄が交通事故で亡くなったんです。私が小学1年生の頃でした」
◆兄の死をきっかけに子役を引退、ギャルモデルへ
西さんは気持ちの整理がつかず、子役もやめることになったという。
「兄の死がショックで、習い事にはすべて行けなくなってしまいました。半年くらい休んでから、気持ちを切り替えるために劇団もやめました。中学ではバスケットボール部に入り、部活に打ち込んでいましたね。高校では、“ギャル”としての自分に目覚めたんです。
私は子役時代に『もっと身長が必要だね』と言われ続けていたのですが、ギャル雑誌を読んでいたら、背が小さい女の子がモデルをしていて、衝撃を受けたんです。彼女は肌が黒い、いわゆる“黒ギャル”で、私も憧れて肌を真っ黒に焼き始めました」
髪も金色に染めたらしいが、親からは注意されなかったのだろうか。
「特に何も言われなかったですね。『自分の好きなようにしてね』と、私のことを信じてくれていました。『将来、シミで後悔するよ』とだけ言われていて、今まさに、シミの点では後悔しています(笑)。
当時は日焼けサロンに通うとお金がかかるので、兵庫県の須磨にある海の家で働きながら、肌を焼いていました。他にも好きなギャルモデルのアパレルブランドを買ったり、撮影会に行ったりして、ギャルとしての活動に打ち込んでいました」
西さんは20代前半まで関西のギャルモデル事務所に所属しながら休日などを利用し、雑誌やファッションショーに出演していたという。
一方で勉強も怠らず、京都工芸繊維大学に進学。なぜその進路を選んだのだろうか。
「父親が建築業をやっていた影響で、私も小さい頃からデザインや建築などのモノづくりが好きでした。もちろんギャルも続けていて、20歳まで肌はしっかり黒かったですよ。
勉強をしてギャルもして、キャンパスライフを謳歌していたのですが……大学3回生のある日、父親が借金を抱えることになってしまったんです。知人が自己破産してしまい、父親が連帯保証人になっていたことから肩代わりしないといけなくなってしまって……」
◆「借金4000万円が父親に降りかかる」大学3回生で中退
西さんは、その金額を聞いて驚いた。
「父親に降りかかった借金は4000万円で、それを聞いた母親は呆然としていました。もう兄もおらず、父の頼れる家族は私だけなので、借金絡みの話し合いの場には必ず同行していましたね」
話し合いの場に行くと、被害者意識でつらくなってしまいそうだが……。
「自分を被害者だとは考えていませんでした。私も家族の一員で、当事者だと思っていたので。どうやって解決しようか、という前向きな場にしていくつもりで話し合いには行っていました。その中で『私も家庭を助けていかないと』と感じたので、大学を休学して、就職することにしたんです。
当時は海の家のほかにも、美容商品や雑貨などの店頭販売のアルバイトをしていました。その社長に相談をしたら、Web部門の正社員にしてもらえたんです」
Web部門では主にネット通販を取り扱っていたそうだ。店頭販売より楽だと思いきや、そうではなかったのだという。
「今でこそインターネットで物を買うのは当たり前ですが、当時のネット通販は主流ではありませんでした。お客さんに買ってもらうために苦労する中、子役時代との共通点に気がついたんです」
◆「これからはアプリの時代が来る」3畳のシェアオフィスで起業
当時はインターネットでの買い物が主流ではなく、苦戦していたという西さん。彼女が気づいた「子役時代との共通点」とは?
「子役時代のオーディションも、ネット通販も、結局は“客商売”なんです。オーディションでは『この子ならテレビに使って大丈夫だ』と安心してもらい、通販では『この会社なら買っても大丈夫だ』と安心してもらうことがゴール。
でも、インターネットではオーディションと違って相手の顔が見えません。そこで、安心してもらうために、お客様とのコミュニケーションを大事にしていました。ひとりずつにメールをお送りしたり、『こんな人が働いているよ』というブログを書いたりしていましたね。
それと並行して、プログラミングの勉強もしていました。高校生の間でTikTokが流行るようになって、親の世代もLINEを使い始めていたので、これからはアプリの時代が来ると確信したんです。
会社でもアプリ事業を始めるように勧めたのですが、『うちはWebだから』と断られてしまって。それなら自分でやろうと会社を辞めて、26歳で起業しました。まずは大阪で3畳のシェアオフィスから3名で、現在の『株式会社アンドエーアイ』の前身である『株式会社ドリグロ』をスタートしました」
◆資金援助はナシ「1年目の売上はゼロだった」
しかし蓋を開けてみたら、「1年目の売上はゼロだった」という。
「初年度の売り上げはゼロなので、3人で貯金を切り崩して、シェアラウンジのお菓子を食べていました。私は食べることがすごく好きなので、お腹が空いても食べられないことはすごくつらかったですね。そんな中でも髪は明るく、爪も長く、ギャルとしてのアイデンティティは失わずにいました(笑)」
芸能界にいた頃のつながりで、資金を援助してもらうことは考えなかったのだろうか。
「実は、周りに何も言わずに起業したんです。22歳から結婚をしていましたが、夫にも会社を始めてから2年くらいは黙っていました。売り上げが立たず、会社として成り立っていないことがバレて『それだったらやめたら?』と言われるのが嫌だったんです。結果を出してから伝えようと思っていたので、夫にもお金を頼らずにやっていました。やっとの思いで黒字を出したら、また別の壁にぶち当たったんです」
◆「女の子だもんね」に負けず、元子役・ギャルモデルは勝ちにいく
しかしながら、どこか“色眼鏡”で見られることもあったという。
「会社がうまくいきだすと、女性経営者ならではの偏見が待っていました。『見た目を利用して仕事をもらってるんじゃないか?』『仕事がもらいやすくていいよね』などと言われたことがあります。
男同士ならすぐにビジネスの話になるシーンでも、プライベートの話にそらされてしまうことも。あとは『女の子だもんね』と言われる時もあり、ビジネスパーソンとして見てほしいのに……と、歯がゆくなることもありますね」
悔しい思いをしながらも挑戦をやめないのは、子役時代の経験があるからだという。
「あの頃、日本舞踊やダンスなどの新しいことに挑み続けたお陰で、挑戦にビビらないようになりました。“挑戦してよかった!”という成功体験も大きいですね」
女性経営者として活躍する西さんだが、母としての顔もある。
「3年かけた不妊治療の末に、やっと子どもができたんです。将来は子どもが誇れる母親になるために、会社を大きくして、世の中に貢献していきたいですね。今の目標は上場です。子役時代の“勝った者が正義”を合言葉に、勝たなきゃいけない場面では、ちゃんと勝ちにいくつもりです」
——ポジティブなオーラを全開にして、取材に応じてくれた西さん。彼女の口からは愚痴や妬みが一度もなかった。まさに世間のイメージするハッピーな“ギャル”そのものだ。
「どうしてギャルはいつも明るいんですか?」という筆者の質問に対して、彼女はこう教えてくれた。
「なりたい姿になっているから、ですかね。派手にしたい、表現したいという願いを押さえつけられていないので。やりたいことをやってるし、自己実現ができているんです。だから他人をうらやましがったり妬んだりもしません」
暗くなりがちな日本を明るくする秘訣は、ギャルのマインドにあるのかもしれない。
幼少期の子役やギャルモデルとしての経験を糧に、大人になった西さんは、ビジネスの世界でさらなる成功を目指すのだった。
<取材・文/綾部まと、撮影/長谷英史、編集/藤井厚年>
―[西真央]―
【綾部まと】
ライター、作家。主に金融や恋愛について執筆。メガバンク法人営業・経済メディアで働いた経験から、金融女子の観点で記事を寄稿。趣味はサウナ。X(旧Twitter):@yel_ranunculus、note:@happymother