クレ・ド・ポー ボーテによって2019年に創設された「パワー・オブ・ラディアンス・アワード」。特にSTEM/STEAM領域における女性の教育に貢献した女性を毎年表彰し、寄付金を通じて女性のエンパワーメントを後押ししている。このシリーズではジェンダー平等を推し進めるこの賞について、3回にわたって紹介。Vol.3では、2025年の受賞者に決まった数学者でジャズピアニストの中島さち子さんがこれまでの活動や今後への思いを語る。
初の日本人受賞者となった中島さんはSTEM教育にART(芸術)を加えたSTEAM教育を通じたエンパワーメントの活動で社会に貢献している。自身の豊かな経験から周囲にポジティブな影響をもたらす中島さんは、STEAM教育の世界で先頭を走る女性のロールモデルとも言える存在だ。
──パワー・オブ・ラディアンス・アワード2025の受賞、おめでとうございます。日本人の受賞は今回が初めてです。
ありがとうございます。とても光栄です。本当に驚きましたし、同時に気が引き締まる思いです。とても大きな機会と可能性を与えていただいたと感じています。クレ・ド・ポー ボーテという、世界最先端のサイエンスをベースとしているグローバルなラグジュアリーブランドの賞をいただき、一緒に活動することによって、STEMとジェンダーについて、より積極的に発信や活動をしていけるだろうと思っており、大変うれしいです。まだ日本ではSTEM領域でのジェンダーの課題に対して真っ向から話せる場は少なく、女性だけで集まるといろいろな課題が出てきますが、そこに男性が入っても、お互いがリスペクトを持って、踏み込んで話せる場をもっと作っていきたいです。そして互いに理解を深め、その結果として社会が動いていって、気がついたら女性比率が上がっているというのが理想。でも、日本では好きなものや夢、情熱があっても、マイノリティーであるがゆえに生きづらくて夢などが実現できないというようなもったいないことがいっぱいあります。
──ご自身の活動について教えてください。
2017年に株式会社steAmを立ち上げました。主にダイバーシティーを意識しながらSTEAM教育全般を推進しています。今、日本の教育は「探究」、つまりテクノロジーやものづくり、リベラルアーツなどを組み合わせて「知る」と「創る」が循環するような学びに変わってきています。その真ん中にはワクワクがあるといいと思い、全国40ほどの学校と協働で『探究』を支援し、『知ると創る』に伴走するメンタリングをしています。また、内閣府の「STEM Girls Ambassadors」という理工系女子のロールモデルとしての活動の一環で、学校や地方公共団体等で実施する講演会・イベントで理工系の魅力を紹介。アジア財団の「STEM ConnectHER」というプログラムでは、STEM分野の女性たちをつなぐコミュニティー作りも行い、悩めるメンティーと、相談に乗るメンターとの交流を促進。また、数学の楽しさや喜びをファッションや音楽など身近な事柄と関連づけながら、みんなに伝えたいという「数理女子」というコミュニティーでは、女の子と母親たちを対象にワークショップを企画しています。さらに、2025年に開催される大阪・関西万博では、「いのちを高める」というテーマ事業のプロデューサーを務めています。シグネチャーパビリオン「いのちの遊び場 クラゲ館」で、遊び、学び、芸術、スポーツを通じて、生きる喜びや楽しさを感じると共にいのちを高める共創の場を構築しています。
数理女子ワークショップにて photo: 河野裕昭
──ジャズピアニスト/作曲家として音楽にも携わっていることが、教育支援にどのようなメリットをもたらしているのでしょうか。
言葉に頼らないノンバーバルなコミュニケーションというのはとても楽しいんです。言葉はとても大事ですが、意味を持つので論理的になりがち。音を聞き合って、しかも自分も鳴らす。やっているとだんだん聞こえてくるようになる。言葉だけではない色々な気配や思いを感じ取ることはとても音楽的で大事なこと。教育の現場でも企業でも、ノンバーバルなコミュニケーションは、インクルーシブという観点で考えるとますます重要になると思います。
──STEM/STEAM領域で活動されるなか、ご自身が壁にぶつかった経験はありますか?
数学オリンピックに行っても理工系の大学に行っても、女性はとても少ない。数学オリンピックでは世界的に各国の代表選手のうち女性が1割しかおらず、それがなかなか超えられないという10%の壁があると言われていますけれども、日本からは私とあともう一人しか出場していません。私が2回出場していますのでのべ3人。34年ぐらいやっていて毎年6人が出場していますから、ほぼ3/200ですね。特に日本は他国に比べて遅れをとっている状況です。2018年の数学科における博士号取得者の女性比率をみると6%でした。極めて低いです。振り返ると、私の学生時代はそれが当たり前のようになっていました。私は一度、数学から音楽に転向していますが、自分が音楽をやりたかったという理由に加えて、数学界のモノトーンさにちょっと孤独感を覚えていたせいもあるかもしれません。「数学自体はすごく好きだけれど」と悩んだ時期はありました。2018年から20年にかけてニューヨークで、アートとテクノロジーのはざまのようなメディアアートを学びましたが、多様性の嵐とも言うべき街で、先生とも対等に話し、性別、人種や障がいなど、多様な人がいるという状況の中、すごく発想が広がりました。とても楽しい2年間でした。アートとテクノロジー、数学に親和性があると実感しましたし、絶対に多様性が豊かなほうが楽しいとあらためて気づくことができたのもこの時でした。
数理女子ワークショップにて photo: 河野裕昭
──ロールモデルとしての活動、その目指すところとは?
『創造性の民主化』です。誰しもに創造性があるということを信じ、それが十分に開けない社会や文化を民主化していくということです。そのためには、私だけではなく、多種多様なロールモデルが必要。1人2人だと、その人と自分は違うなと思うと意味がなくなってしまうので、多様な創造性があることを見せていくことが大切です。マイノリティだからこそ見える価値をちゃんと形にしていく。そういう活動が必要だと思っています。私が教育に携わっているのは、あらゆる面白いロールモデルを作っていくため。みんなすごいし、みんな面白いということを思想としてだけでなく、実際に見せるためのお手伝いをしています。
──今後は、どのようにクレ・ド・ポー ボーテと活動していきたいですか?
日本は文理選択が早いんです。ですから、小さい子たちは早いうちに、そしてお母さんも一緒に「STEM/STEAMってこんなに楽しいんだ」と感じられるSTEAMプレイグラウンド(遊び場)を全国に広げたい。3Dプリンターがあったり、ロボットがあったり、楽器があったり、多様な人に出会えたり、何して遊んでもいいような場。「探究」、つまり自ら問いを生み出し形にしていく学びは大事ですが、その手前に遊びが絶対必要だと思っていて。特に色々な新しい道具があると、触れて遊んでみないと何も生まれてこない。楽器も遊ぶほど色々な音が出てくる。スポーツも、お化粧もそうですよね。遊び場には多様な人が来やすい場を作り、可能性と出会える機会を広げたいと思います。
──『出会い』が鍵なのですね。
メンターとメンティーのマッチングもそうですが、色々な人たちと出会うことで女性の創造性が花開くと思います。クレ・ド・ポ― ボーテのような化粧品ブランドも、実際にSTEMは製品開発をはじめ、あらゆる仕事に関係し、生かされているのですから、社員の話を聞ければ、「私もその道に進みたい」と思う人が増えるかもしれません。STEM領域がもっと社会とつながる形で見えてくると、目標にできたり、あこがれたりできるし、キャリアにおける疑問も相談しやすい。住んでいる地域や通っている学校などに左右されずに、人と出会える仕組みや空間、環境も作っていきたい。これまで、私たちの活動を通して変化を体験した人は数万人の規模。それを数十万、数百万、数千万としていくためには、より大きな仕掛けがいるので、ここからはクレ・ド・ポー ボーテと一緒に活動ができてうれしいです。21世紀になって、手軽にセンサーやIoT(Internet of Things)が買えるようになり、自分でプログラムができるようになって、SNSも動画投稿サイトも出てきて自分が被写体になり、撮影、編集もして、小説も発表できるようになった。STEM/STEAM領域は、自ら未来を作り出していくヒントや手助けになるものなんです。だからこそ女性も、弾ける楽器を探す感じで何かと出会えるといい。書くのでも良いし、お化粧でも良いですよね。みんながいきいきできる社会を作るために一緒に動けたら光栄です。
※STEM教育:Science(科学)+Technology(技術)+Engineering(工学)+Mathematics(数学)を重視する教育のこと。これにARTS(芸術)をプラスしたものがSTEAM教育。
Profile
中島さち子
1979年大阪生まれ。内閣府STEM Girls Ambassador(理工系女子応援大使) 。国際数学オリンピック金メダリスト。数学研究者・STEAM教育者。大阪・関西万博テーマ事業「いのちを高める」プロデューサー。
New York University Tisch School of the Arts, Interactive Telecommunications Program(メディアアート)修士。東京大学理学部にて数学を専攻しつつジャズに出会い、一転、音楽の道へ。音楽・数学と並行して株式会社steAmや一般社団法人steAm BAND を立ち上げ、多様な「好き」を基軸にしたSTEAM教育を推進。東京大学大学院数理科学研究科や明治大学MIMS(先端数理科学インスティテュート)にて数理・芸術学際研究に携わる。
interview&text: Jun Makiguchi