株で儲けることは、プロでも無理な芸当

浮かれ気分は長くは続きません。なんと、2006年1月のライブドア・ショックをきっかけに新興株式市場がスルスルと値を下げ始めたのです。すっかり天狗になっていた私は、一時的な値下がりだと高をくくっていました。致命的な判断ミスです。

そこからは坂道を転がるように、信用取引の損失が拡大。順調に貯まりつづけていた私の貯金はあっという間に0になり、そこからさらにとんでもない額の借金へと膨れ上がっていったのです。当時、私の目は完全に曇りきっていました。知識とノウハウを駆使すれば、株で大儲けできると思い込んでいたのです。

その状態で、過去の市場データや専門家のコメント、新聞やテレビの報道だけを頼りに、無謀な財テクに走っていました。「お金のプロ」と思われがちな銀行員ですが、実際はただのサラリーマン。

劇的に資産を増やすノウハウを持っているわけでも、ましてや株の必勝法を知っているわけでもありません。銀行員だって当然のように借金地獄に陥ることがあるのです。

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銀行員が体験した「お金のない生活」の恐怖

こうして、安易な蓄財を決意してからわずか数年で、なけなしの財産どころか妻の持参金までも使い果たし、私は莫大な借金を抱える身に転落してしまいました。親のために建てた家の借金返済にも行きづまり、親の年金を拝借して借金返済に回すという本末転倒なありさまです。

親父は呆れ果てながらも、そんな私の行く末を案じ、失意のうちにこの世を去っていきました。当然の報いですが、爪に火を点す節約生活が始まりました。食料品は賞味期限ギリギリの見切り品専門激安店でしか買いません。野菜売り場のダンボール箱に捨ててあるキャベツの外側の葉っぱは無料でもらえます。1尾30円のサンマは何よりのごちそうでした。

身にまとうのはフリーマーケットで見つけた総額300円の服。歯磨き粉は、チューブを絞りきった後にハサミで切り開き、内側に残ったものを歯ブラシにこすり付けて完全に使いきっていました。

私は昔から見栄っ張りで、スーパーやデパ地下で試食したら、必ずその品を買っていたものでした。でも、当時の私にとってデパ地下での試食はお誕生日のごちそうのようなもの。ひと回りすると腹八分になるので、買う必要もありません。

恥ずかしげもなく試食する私の姿を見た妻は「人って、ここまで変われるものなんだ……」と、呆れながらも感心しきりでした。しかし、何よりも衝撃的だったのは妻の変ぼうぶりでした。

私の妻のライフワークはファッションで、こぎれいな身だしなみが信条でした。その妻が、生活費を切り詰めたあげくにサンプル化粧品をかき集めて使い始めたときには、さしもの私も度肝を抜かれました。荒れ放題の彼女の素肌を見る度に、自らの所業の罪深さを悔いるのでした。妻から離縁状を叩きつけられなかったのが不思議なくらいです。こんな無様な姿は他人には見せられません。

メガバンクの幹部行員という私の立場上、万が一会社にバレようものなら大変です。まさに、身ぐるみはがされて全裸のままで真冬のシベリアに放り出されたような、寒々しい恐怖感でした。血も凍るようなあの感覚は一生忘れることはないでしょう。