(b)理想の売却額
理想の売却額の追求とは、売却対価の手取り額を最大化する利益追求のことです。M&Aの取引において手取り金額を最大化するということは、具体的には、
①買い手からの評価額を高めること
②手取りを最大化できる取引スキームを選択すること
です。
①買い手からの評価額を高める
買い手からの価値評価を高めるためにできることには、何があるのでしょうか。色々とアイディアが挙がりそうなところではありますが、ここでは、1)競争環境を作ること、2)対象事業をより魅力的に見せる情報提供についてお話ししたいと思います。
1)競争環境を作る:
モノの価格の決定には、一般的に需要と供給のバランスが大きく影響します。需要が多ければそれだけモノの価格は高くなりますが、これはM&Aにおいても同じです。売り手は、買い手候補企業の間に競争環境を作ることで、より有利に交渉を進めることが可能となり、希望する条件での売却も実現しやすくなります。
一方で、広く買い手を募る場合には、当然、それだけ情報漏洩のリスクが高まります。
売り手としては、競争環境を醸成しつつ、情報漏洩リスクとのバランスも配慮しながら、売却プロセスを構築していかなければなりません。その点、優先度の高い買い手候補企業数社に限定して情報を開示する、限定オークションの形式が有力な選択肢となります。
仲介会社にとっては、買い手候補企業も手数料を支払ってくれる大切なお客様です。お客様に十分な検討機会を与える必要があるため、買い手が1社検討して、ダメならまた別の1社が検討するといった進行となるケースが散見されますが、これでは売り手にとって必要な競争環境が作られません。買い手も1対1で交渉していることを知っている環境ですから、そこで出てくる買い手の提案は、「ギリギリ、売り手が応諾するかどうか」といった水準を狙ったものになります。これでは到底、売り手にとって魅力的な提案は勝ち取れません。1社ずつ買い手を連れてくるアプローチでは、仮に交渉の結果成約に至らない場合にまた別の買い手候補企業と1から交渉することになり、売却プロセスが長期化するリスクもあります。これも、両手で手数料を取るビジネスモデルゆえに生じうる弊害と言えます。
2)対象事業をより魅力的に見せる情報提供:
ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンは、著書『NOISE 組織はなぜ判断を誤るのか?』の中でこう指摘しています。
「人間は、最初に与えられた限られた情報に基づき早い段階で印象を形成し、その後は予断の正しさを裏付けようとしがちだ。」
M&Aにおいても、情報を整理整頓して魅力的なストーリーに沿ってレポートに取りまとめたほうが、乱雑に情報開示を行うよりも投資家の印象が良くなるというのは当たり前にあることです。
意図的に好ましくない情報を隠すというのはもってのほかですが、誠実な情報開示の範囲において、対象事業に関する情報をどのように開示していくかを戦略的に検討することは、買い手からの評価額を高めるために非常に重要なポイントです。
②手取りを最大化できる取引スキームを選択する
もう1つ、理想の売却額を追求するには、手取りを最大化できる取引スキームを選択する必要があると述べました。これには、余剰資金を会社分割で対象会社から切り出して売却対象から除外するなどの工夫が含まれます。しかしM&A仲介会社が関与するケースでは、成約のスピードや、手数料を増やすために余剰資産であっても売却対象に含めて取引金額を減らさないことが重視され、売り手にとって有利な取引スキームが選択されていないケースが散見されます。これは仲介会社が悪いというわけではなく、当事者としては、そもそも仲介サービスが中立の立場で支援を提供するサービスであることを前提に、自分の利益が優先されない可能性があることを常に理解しておく必要があるのです。
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(c)理想の取引条件
M&Aにおいては、手取り金額のほか、取引時期、引継ぎ期間、表明保証、屋号の維持、従業員の待遇など、多岐にわたる取引条件を自らにとって有利に設定することも、重要な利益追求です。買い手から提示された取引条件が売り手にとって不利な条件であるのはよくあることです。ここでも、自分の利益は自分で守る、が鉄則です。仲介会社を起用する場合には、中立の立場で支援を提供するサービスであることを忘れてはいけません。
オーナー経営者が取引条件に不利益やリスクとなる条項が存在しないかをチェックするためには、やはり売り手専属で助言をしてくれるFAに支援を求めたいところです。
最近はオーナー経営者も仲介サービスのリスクを懸念するケースも増えてきているようで、仲介会社が代案として(仲介サービスではなく)FAサービスによる支援を提案するケースも増えているように思います。しかし、その多くは仲介サービスの範疇において片手を支援することをFAと呼んでいるに過ぎず、本来FAに求められる「顧客の利益を守り、追求する」役割を果たせているFAサービスは少ないのが中小M&A業界の実態です。
この点、顧客を守る真のFAの役割を果たせるかどうかは、その業者が「M&A仲介サービスも提供する会社であるかどうか」によって、ある程度見分けがつくと思います。M&A仲介サービスもFAサービスも提供している場合、仲介サービスの範疇において片手で支援することをFAと呼んでいると考えてよいでしょう。M&A仲介サービスにおいては、顧客であるM&A当事者の利益を守り、追求する経験を積むことができません。片手支援であることで利益相反構造は回避できるものの、その業者の標榜するFAサービスが「当事者を守る機能を十分に果たせるかどうか」については、いっそう慎重な判断が必要です。
作田 隆吉
オーナーズ株式会社 代表取締役社長