「天命かもしれないと思った」棚橋弘至、引退宣言の裏側を語る

 10月14日の両国大会にて、突如、2026年1月をもって引退することを宣言した新日本プロレス・棚橋弘至。昨年12月には現役選手を続行しながら代表取締役社長に就任するなど、順風満帆に見えた彼の身に何が起きたのか?

 プロレスファンのみならず世間をも騒がせた日本を代表するプロレスラー・棚橋弘至”引退宣言”の裏側を自身の声で語ってもらった!

◆「社長就任を決めた日に腹をくくった」

 ご存じの方もいるかもしれませんが、私、棚橋弘至は先日のデビュー25周年記念試合にて、プロレスラーを引退することを発表しました。

 発表後、SNSでもファンの方々から惜しむ声をいただき、他団体の選手たちからも「引退までに戦いましょう」とリアクションをもらうなど、本当にありがたい限りです。

 ただ、これはもう決めたこと。今回は引退を決意した経緯と、引退ロードの構想についてお話ししたいと思います。

 現役引退を決めたのは昨年12月にオーナーの木谷高明会長から社長就任を打診された日。社長就任の相談と共に「受ける場合、選手としてはどうしますか?」という話もされました。

 僕としてはその時まで引退を意識したことはなかったのですが、今の自分の肉体、若さ溢れる後輩たちの姿を前に「どうやったらIWGP世界ヘビー級戦線に戻れるのか」と思い悩んでいたのも事実。“これはいわゆる天命かも“と腹をくくりました。

 その日のうちに木谷会長には「社長としてコロナ禍で沈んだ団体を再び押し戻し、W字回復して見せます。ただし、現役引退までは2年ください。全国にお礼をして回りたいので」とお願いして、引退までは選手兼社長として臨むことを伝えました。

 そこから、「いつ発表しよう?」と悩んでいたのですが今回の両国大会がデビュー25周年記念だったこともあり、思い切ってここで打ち明けてみた、という次第です。

◆「全国を回る引退ロードでお礼を言って回りたい」

 ゴールを決めたからには最後まで全速力で突っ走るのが棚橋流。社長業も引き続き継続するので、引退ロードに専念というわけにはなかなかいかないのですが、大きく2つの目標を立てました。

 「できるだけ全国を回ってファンの皆さんにありがとうを伝えること」と「引退ロードをきっかけに棚橋をかつて応援してくれていた人たちにも来てもらい、新世代選手のファンになってもらうこと」です。

 新日本プロレスがV字回復できたのも、コロナ禍の暗雲を乗り切れたのもすべてはファンの皆さんのお陰。できる限りの恩返しがしたいと思います。

 そして、昔は応援していたけど今は離れてしまったという方にも最後の雄姿を見てもらいたい。そして、あの頃の棚橋を越えるような輝きを放つ「新世代の選手たち」を知ってもらい、また新日本のファンになってほしい。これらを実現できるよう、引退まで一層奮闘してみせます。

 さて、引退を発表してから周りの人には「最後の試合相手は誰にするんですか?」と聞かれます。正直、全然決まっていないのですが、やはり最後までチャンピオンを全力で狙っていきたい棚橋としては、その時に団体最高峰であるIWGP世界ヘビー級王座を持つ選手が理想!

 もしそこで勝ってしまったら引退は撤回?延長?します!……いや、本当にありえますよ(笑)

<文/棚橋弘至 写真/©新日本プロレス>

【棚橋弘至】

1976年生まれ。新日本プロレスの第11代社長(’23年12月就任)であり現役プロレスラー。キャッチコピーは「100年に一人の逸材」。得意技は「ハイフライフロー」。身長181㎝ 体重101㎏