心穏やかになりたいなら「こだわりから離れた方がいい」
やる瀬ない気持ちを、ご主人にわかってもらいたい、ご主人が最期にどう思っていたのか知りたい、伝えたいことがある、という思いを込めて『般若心経』をお唱えになっているのは、とても良いことだと思います。
しかし『般若心経』は、心穏やかになりたいなら「こだわりから離れた方がいい」と説いているお経です。
こだわるのは、その場から動かないということです。周囲の状況は否応なしに変化していきます。それが「諸行無常の法則」なので仕方ありません。
すべては変化してしまうのに、自分だけその場に留まっていれば心は穏やかでいられなくなる、というのが仏教が出した結論です(でも、心が乱れるのを承知でこだわる道を選ぶとしても、それはそれでいいと思います)。
ゆきぴーさんが毎日唱える『般若心経』を聞いて、ご主人は「一緒の時間を過ごしたかったけれど、状況が変わった、仕方がないさ。もういいよ。僕はこだわっていないから」と思っていらっしゃることでしょう。
優しくしてあげたかった、なんとかしてあげたかった、愛していると言ってあげれば良かったなど、ゆきぴーさんがご主人に伝えたかったことは、仏壇のお位牌や遺影に語りかけるのではなく、仏壇の正面奥にいらっしゃる仏さまに「私の、この思いを主人に届けてください」とお願いすることをおすすめします。
直接語りかけてもご主人から答えは返ってきませんが、仏さまならあなたの思いを確実に届けてくれます。届けてくれる存在を仏さまとして私たちは祀っているのです。
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死を乗り越えた人=「亡くなった」の言葉から語れる人
供養の現場にいる経験上、亡き人のことを思った後に「でも、死んでしまった」とつぶやいて終わるような時期は、亡くなったという事実を心の底から納得できていないことが多いものです。
「まさか」という坂は「(あなたの)おかげ」という感謝の影を追っていくことで越えやすくなります。坂を越えた人は、死の事実を受けいれた「あなたは死んじゃったけどね……」の言葉からスタートするようになります。
「亡くなった」という言葉が、最後にくるか最初にくるかによって、亡き人のことを良い意味で諦められたかどうか、がわかるのです。
来年三回忌を迎える頃、ゆきぴーさんが仏壇やお墓の前で、「あなたは先に死んじゃったけどね、私ね……」と切り出せるようになっていることを心からお祈りしています。合掌。
回答者プロフィール:名取芳彦さん
なとり・ほうげん 1958(昭和33)年、東京都生まれ。元結不動・密蔵院住職。真言宗豊山派布教研究所研究員。豊山流大師講(ご詠歌)詠匠。写仏、ご詠歌、法話・読経、講演などを通し幅広い布教活動を行う。日常を仏教で“加減乗除”する切り口は好評。『感性をみがく練習』(幻冬舎刊)『心が晴れる智恵』(清流出版)など、著書多数。
構成=竹下沙弥香(ハルメクWEB)