「すっごく楽しい…」初デートで29歳女が、2軒目で連れて行かれた意外な場所とは

◆これまでのあらすじ

メガバンクの丸の内本部で総合職として働く有賀美月(29)は、ひょんなことから上司に紹介された男性に会うことになる。レストランへ向かうと、そこには思いもよらない男性がいて…。

▶前回:「恋愛してないとダメ?」桜蔭から東大を卒業した29歳女が、初めてぶちあたった難題とは

東大女子はつらいよ/有賀 美月(29歳)【後編】



すべては勘違いから始まった。

「え、有賀?」

「うそ、日向?なんでいるの…」

「俺は、これから人と会うんだよ。有賀、久しぶりだな」

上司に紹介された男性に会うために『リゴレット』へ向かうと、店の前にいたのは、日向(ひなた) 凪。新百合ヶ丘の公立小学校に通っていた時の同級生、当時サッカークラブの副キャプテンで密かに憧れていた。

会うのは卒業式以来だ。

顔にはあの頃の面影が少し残っているが、当たり前だけど身長も伸びて175センチ位になっているし、逞しくなっている。

スーツを着こなしている日向は、イケてるビジネスマン風で丸の内の風景に溶け込んでいる。

― あの頃はサッカー少年で、丸の内とは無縁だったのに不思議…。まぁお互いさまかな。

「そういえば、有賀、成人式にも来てなかった?」

「中学受験組は後日、中学校別に成人式をやるものなの」

口を開くと、17年の歳月が嘘のようにあの頃に戻る。

「へえ、そうか。俺、ずっと公立だから、そういうのはわかんないや」

彼は感じのいい笑みを浮かべた。優しい声だった。

母親の情報が正しければ、彼は明治大学を出て、区役所で働いているはずだ。

彼が誰とご飯を食べるのか少しだけ見てみたかった。

仕事仲間?それとも彼女?

いや、彼が誰とデートしてようが、私には関係ない。

そもそも「婚活男性スコアリングシート」に照らし合わせたら、学歴も収入も私より低い日向は、恋愛対象外だ。

それよりも、これから会う男性に集中しなきゃ。

昔ほんのり恋心を抱いていた日向のことなんて、頭の隅に追いやらなくてはならない。

でも案内された席は、同じだった。

窓際の席からは無数の光の粒が、ガラス越しにきらめいて見えた。

― よりによって、どうして日向なのよ…。

窓に映る私は、うんざりしたように口を尖らせていた。彼は目を輝かせてメニューを見ている。

「ねえ、この店は水瀬次長に教えてもらったの?」

水瀬次長から送られてきたLINEを見ながら、私は彼に聞いた。

どうやら、水瀬次長の実家が新百合ヶ丘のデパートに呉服店を出店しようとしたらしい。その時に区役所で相談に乗ってくれたのが、日向だったのだとか。

日向の仕事ぶりを褒める文章を眺めていると、目の前にいる本人は言った。

「いや、友だちに聞いたんだ。大事なデートがあるから教えてくれって」

「…そう。てっきり次長に教えてもらったんだと思ったわ。ここ、本部のみんなでよく来るから」

「水瀬さんに『いい店知りませんか?』って聞いたら『自分で何とかしや。それも練習やで』って言われたんだよ。結局は人に頼ってるけどな」

日向は屈託なく話す。全く似ていない水瀬次長のモノマネに、思わず吹き出してしまう。

彼は、店員さんと話しながらテキパキと注文を済ます。

「友だちにはいくつか教えてもらったんだけどさ、有賀はここが好きかなって思ったんだ」

「どうして?」

「昔、隣の席だったとき、お道具箱の中に石を集めてただろ。絵の具で塗ってさ」

「き、気づいてたの?」

「サッカーの試合前に、1個くれたじゃん。お守りにって」

「結果はボロ負けだったけどな」と彼は笑った。歯並びが見事だった。

「あの時に、キレイなものが好きなんだなって思ったんだ」

「そんなこと、親にも気づいてもらったことなかったわ…」

親の関心は「優秀な娘」である私。それは6歳で塾に行き始めてから始まり、中学受験、大学受験、就職活動まで続いた。

私の就職と同時に、親は葉山に引っ越した。親元から早く離れたかった私は、女子寮に入る。

本当は、家から通勤時間が1時間半以上でないと、銀行の寮には入れないのだが、少しだけ経路をごまかした。

やっと親の目から解放されたと思ったのに、今度は上司の期待に応える日々が始まった。周囲から役員候補として期待されている、東大院卒の女子行員の私。

― 日向ってぼーっとしてそうで、私のそんなところ見てくれてたんだ。やばい、ちょっと泣きそう…。

うるんだ目で窓の外を見つめると、東京の街がいっそうキラキラと輝いて見えた。

「おーい、バットモード入った?勝手に分析しすぎ、頭良すぎ!」

日向といると、素の自分でいられる気がする。

私は少しずつこの夜を楽しみ始めていた。しかし、夜はキレイなままで終わらない。

甘くておいしいカクテルは危険だ、ジュースのように飲めてしまう。お酒が弱いのに、ついつい飲みすぎてしまった。

「いい娘のあとは、いい銀行員でいなきゃいけないし…。私は一体、誰の人生を生きているのか時々わからなくなるのよね…」

日向は同調も同情もせず、ただ聞き流してくれる。その無関心さが心地いい。受け止めてくれる彼に甘えて、私は続けた。

「ていうか日向、小5の時はクラスのマドンナと付き合ってたじゃない!どうして今になって私とデートなんてするのよ!」

忘れもしない小5の秋、私はテストで90点をとってしまった。100点じゃないから親に怒られるのが怖くて、なかなか放課後の教室から出られなかった。

教室からは運動場が見えて、日向がクラスのマドンナと楽しそうに帰るところが見えた。

彼女はとてもかわいくて、愛嬌があるタイプで私とは正反対のタイプ。

教室で日向の背中を見つめていた私は、ふたりの様子をみて恋心を封印した。

それなのに…。

「え?俺、彼女とは付き合ってないけど」

私は驚いて顔を上げる。小学校の教室から現実に引き戻された。

「よく一緒に帰っているところ目撃したよ。付き合ってるって噂もあったし…」

「家が近かっただけ。噂は噂だろ。さ、もう店出ようぜ」

一気に酔いが冷める。2軒目は?とは聞けなかった。

これまで付き合った人はひとりだけだし、デートも最近はしていない。だから、こういうとき、どう振る舞うべきかわからない。

お会計を済ませて店を出ると、彼は「あ、そうだ」と声を上げた。

「いい場所があるんだ。まだ時間、大丈夫か?」

私がうなずくと、彼はいたずらっぽく笑った。

案内されるがまま歩くと、あるビルにたどり着いた。



「シェアラウンジ。仕事で利用チケットを何枚かもらってて、前に1回だけ来たことがあるんだよ」

「今から仕事でもするつもり?」

「まあ、見てなって」

エントランスでチェックインを済ませて、エレベーターに乗る。彼の押したボタンは「R」だった。

「すごい、何ここ…」

「さすがに新丸には及ばないけどさ。なかなかの眺めだろ?」

屋上にはライトやグリーンが置かれていた。感じのいいテラスで、隅にはテーブルや椅子が寄せられている。

おそらく入居者同士の交流で使われるのだろう。今は、私たち以外に誰もいない。

私は下を見下ろした。土日の丸の内は人がまばらで、平日の賑わいと比べるとゴーストタウンのようだ。

「げ。あの建物…」

向かいには、八菱銀行の丸の内本部がそびえていた。

「ここから、バカヤロー!って叫んでみろよ」

「え?」

「すっきりするぜ。今日は土曜日だから誰もいないだろ。ほら、こうやるんだよ」

彼はありったけの大声で叫んだ。

「東大のバカヤロー!」

その声は大きいけど、きわめて穏やかだった。私も負けじとそれに続いた。腹の底から声が出るように、ヒールを脱ぎ捨てる。

「かわいく生きてきた女のバカヤロー!親のバカヤロー!」

突き抜けたような笑いがこみあげてきた。こんなに笑ったのは久しぶりだった。彼も腹を抱えて笑っていた。

私は彼を見た。彼の目はきれいなこげ茶色で、キラキラ光っていた。

寮に戻ると足の裏は真っ黒で、汚かった。

でも全く気にならない。私は鼻歌をうたいながらパソコンを開いた。

彼のことをもう一度リサーチして、スコアリングシートに点数を入れていく。 そこに叩き出された点数を見て、私はショックを受ける。

「え。最悪じゃない…」

彼は明らかに私とは不適合だった。

そりゃそうか。私より年収も学歴も低いし。自営業の息子だから、いつか家を継がなきゃいけない可能性もある。

せっかく掴んだ光が消えかけていくのを感じて、気分が落ち込む。

その光を消さないためには、ある結論にたどり着くしかない。

― もしかして、このシートって意味ない?じゃあ私のこれまでの分析して生きてきた人生は、何だったの?

私は考えてもどうにもならない考えに沈んでいった。パソコンから離れて、ベッドにダイブする。

すると、スマホからメッセージの通知音がした。それは日向からで、『ありがと。楽しかったぜ』と書かれていた。

その時、私の中で何かが壊れた。

気が付くと、通話ボタンを押していた。

「もしもし、どうした?帰り道でなにかあった?」

「そうじゃないけど…日向、今日はありがとう」

「こちらこそ。色々ため込んでるのか?また飲もうな。俺でよければ付き合うからさ」

彼の穏やかな声は、沈みかけた私の心を引き上げてくれる。

― 目の前にいるのは、私の成績で一喜一憂する親じゃない。私の出世を期待する銀行の人たちでもない。

昔の私がお道具箱に石を集めていたこと、今の私がストレスをかかえていることに気づいてくれる人なんだ…。

私は口元が緩むのを感じた。

「いいわよ、来週の金曜は?今度は私がお店を選ぶから」

私はもう一度パソコンに向かった。

― さて。カップルが成立しやすいデートの場所を、リストアップしないとね。

エクセルシートを新しく作る。画面は真っ白で、人生や恋の始まりみたいだ。

私はそのシートに『日向と行きたいお店シート』と題名をつけた。

「もうこれはいらないわね…あ、ううん、こっちの話。気にしないで」

「なあ、表参道は?」

「え。日向、今まで降りたことある?はは、冗談だって」

軽口をたたきながら「婚活男性スコアリングシート」をごみ箱にいれる。

クラスのマドンナの失恋事件も、「恋愛は頭で分析して攻略できる」という思い込みも、ぜんぶ削除。

こうして私は小5の秋にはじまった、すべての勘違いに別れを告げた。



▶前回:「恋愛してないとダメ?」桜蔭から東大を卒業した29歳女が、初めてぶちあたった難題とは

▶1話目はこちら:メガバンク勤務、28歳ワセジョの婚活が難航するワケ

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