話しはじめの言葉に詰まってしまったり、言葉がすらすら出てこなくなったりする、発達障害のひとつに「吃音症(きつおんしょう)」がある。そんな吃音の症状に悩み続けた、匂宮 いずも氏(@IZUMO_niomiya・32歳)に話を聞いた。
いずも氏は1991年に神奈川県に生まれ、現在は横浜市を拠点にイベンターとして活躍している。発達障害にまつわるイベントを企画し、「発達障害SPACE BLUE ROSE」の主催者だ。障害年金を受給しながら就労移行支援事業所に通所し、社会復帰も目指している。
◆2000グラムの低体重児として出生
いずも氏は、低出生体重児(2000グラム)として生まれ、1・3歳児検診では医師から発達の遅れを指摘された。身長194センチと高身長の彼からは想像がつかないが、両親(主に母)は息子を今でいう「療育」に通わせた。
「リハビリテーションのリハビリは“復帰”という意味ですが、僕が受けたのは先天性障害や幼少時からの障害を対象として持っている機能を生かして、さらに発達させる治療である“ハビリテーション”でした」
2019年から就学前の障害児を支援するため、児童発達支援等の利用者負担が無償化された。だが、いずも氏の幼少期にはまだ発達障害という概念すら浸透していなかった。そのため治療は全て私費だったという。
◆「宇宙人がしゃべっているようだ」
「今、まともに社会復帰を目指せるのは、こういったハビリテーションなどの成果です。その面で両親に感謝をしています。父は自分が小さかった頃はかわいがってくれた記憶もあります」
幼稚園でのいずも氏は1人遊びが好きでいつも本を読んでいるような子どもだった。しかし、言葉を話した記憶がないという。小学校でも構音障害(言葉を発する器官の動きに問題があり、適切な発音ができなくなる言語障害)により、「し」「ひ」などの発音が特に難しいなどからかわれることが多かった。
「50音全てで、うまく発音できない言葉がありました。また、口の動きが悪いので、よだれが出てしまう。宇宙人がしゃべっているようだと言われました」
◆いじめられる中で抜毛症を発症
いずも氏はいじめの影響から8歳(小2)のときに抜毛症に悩むようになる。抜毛症は、毛髪やまつ毛などを抜きたいという衝動が抑えられず、目立つほどに抜いてしまう疾患のことだ。病院に行ったものの、原因は不明だった。だが、毛を抜いている間は無心になれ、痛みはあるけれど気持ちは和らいだ。
「その頃は家庭内で父との関係に軋轢があったのかもしれません。病院に付き添ったのが父だったので、医師は原因を言わなかったのかもしれない」
いずも氏が中学生になった頃から、父の日常的な虐待が始まったのだ。
「最初は、成績不良だと叱責される程度でした。だんだんと父の思い通りにできないようになると私の行動を制限するようになりました。今でも行動を制限されることにトラウマがあります」
◆「何を言ってるのか分かんねえよ!」と笑われ
いじめは中学校3年間続いたが、同時期に父親から学校の成績が悪いと、殴られたり、蹴られたりするのが日常となった。いずも氏は親のお金を盗んでコンビニに行くなど、だんだんとグレるようになった。そして、中学校3年生の時、吃音だと本格的に自覚するようになる。
「塾の先生に学習態度が悪いと、怒られることが多かったです。後から、LD(学習障害)があることが分かりました。ある日、先生から構音障害があることから『何を言ってるのか分かんねえよ!』と笑われたのがきっかけで、吃音が出はじめました。
のどの辺りで呼吸が止まって、呼吸ができなくなりました。どもる上に呼吸もできなくなり、びっくりしました。今、考えると、パニックに近かったのかもしれません」
◆誰にも吃音を相談できずに大学中退
高校時代は、父親からは言葉の暴力を受ける一方、学校生活では幸せな時期だったという。いじめにも遭わなくなり、友人もいて不良行為がありながらも無事に高校を卒業できた。
虐待されて育ったいずも氏は、親が望むように「いい高校・いい大学・いい会社」に進むことで、愛されるのではないかと思い、努力をした。その結果、私立大学の工学部に合格。父はいずも氏の大学合格を周囲に自慢するほど喜んだが、そんな大学生活にも吃音の影響で暗雲が垂れ込める。
「自分の吃音の症状を、人にうまく説明できませんでした。数学が苦手なのに、工学部に進学したことで、授業にもついていけなくなりました。学科試験も受けずに退学してしまいました」
当然ながら父の態度は豹変した。
◆職場でのコミュニケーションができない
「『消えろ!』『失せろ!』『お前なんか何やってもできない!』と酒を飲んで怒鳴られることは日常でした。飯抜き、睡眠を妨害する。眠っていると父がいきなり入ってきて、ボコボコに殴られたこともあります」
いずも氏には18歳の時、「広汎性発達障害」の診断が下る。大学を中退した半年後から、自動車整備工場で働いたが、吃音が原因で職場でのコミュニケーションがうまくできず、孤立。19歳の時には、OD(オーバードーズ)で自殺を図る。命に別状はなかったが、実家に帰ると父からボロカスに言われたという。
「その時、母から『親戚宅に避難しろ』とお金を渡され、引っ越しました」
◆イベンターとして吃音から回復
中退や失業により「自分の自慢の息子でなくなった」ことに対する父の怒りは留まることを知らなかったという。その後、いずも氏は転職し、いわゆるブラック企業のサービス業に10年間勤務するが、メンタルを病んでやめてしまう。
26歳の時に、自分と同じような発達障害者の居場所を作り、啓発したいと思い、X(旧Twitter)で発信を始めた。その中で発達障害者も、健常者も来店するバーの存在を知り、1年ほど通う。やがて自分もそういったイベントをやってみようと発達障害バーを開催する。
「盛況でした。バーテンダーとして自分が立って、話しているのが楽しかったです。吃音は残っていましたが、話す練習になりました。今でも発達障害バーは続けていますが、色んな人と知り合えるのが楽しいです。その経験から、発達障害イベントといっても色々な形があるし、『発達障害SPACE BLUE ROSE』と『SPACE』をつけることで、バー以外にも色々なことができる余地を残すような団体を立ち上げました」
◆吃音は1つの構成要素に過ぎない
父の虐待や、吃音もおおよそ克服したいずも氏に、同じように悩む人へ送りたいメッセージを聞いた。
「イベントを2~3年続けることで、気づいたら人前でしゃべることが増え、僕は吃音からほぼ回復しました。だから吃音を治せないとは思っていません。だけど、吃音はその人を構成する1つの要素に過ぎません。吃音の人は自分に自信がない人が多いですが、自分のことを発信することにもっと自信を持ってほしい。受け入れてくれる人は、世界の人口60億人の中に必ずいます」
確かに、障害はその人を構成する要素の1つに過ぎない。だが、その「要素」だけにフォーカスし過ぎず、人と人として、理解し合うことのほうが大切なのではないか。
<取材・文/田口ゆう>
【田口ゆう】
ライター。webサイト「あいである広場」の編集長でもあり、社会的マイノリティ(障がい者、ひきこもり、性的マイノリティ、少数民族など)とその支援者や家族たちの生の声を取材し、お役立ち情報を発信している。著書に『認知症が見る世界 現役ヘルパーが描く介護現場の真実』(原作、吉田美紀子・漫画、バンブーコミックス エッセイセレクション)がある。X(旧ツイッター):@Thepowerofdive1