会社員生活も終わり、定年退職をして自由を手に入れたらあれをしよう、これをしてみたい、とさまざま思いを巡らせている人は多いでしょう。しかし、理想と現実にはギャップがあるもので……。本記事では、老後に理想のマイホーム購入を叶えたAさんの事例とともに、定年後の住宅購入の注意点について一級建築士の三澤智史氏が解説します。

賃貸か持ち家か

賃貸住まいとマイホーム購入、どちらがいいか議論になることが多いですが、一概に結論づけることはできません。なぜなら、人それぞれのライフスタイルなどによって賃貸と購入のどちらが適しているかは異なるからです。

賃貸物件における最大のメリットは、引っ越しのハードルが低いことです。転勤の多いビジネスパーソンにとって、賃貸暮らしは必須といえるでしょう。デメリットは、自分のものではないことです。リフォームや設備交換の自由度がないため、壁紙ひとつさえ自分の好きなように交換することができません。

会社員時代は賃貸物件で暮らす日々

Aさんは九州地方のある県で生まれ、東京の大学を卒業後はそのまま東京の商社に就職しました。仕事は多忙を極め、朝も夜もない生活。商社という職業柄から海外への赴任も幾度となく経験し、気が付けば独身のまま年齢も50代半ばになるころでした。しがらみが増える結婚は避け、気ままに生涯独身でいようと決めていました。

住むところといえば会社が決めた賃貸物件ばかりだったため、住まいには特にこだわりなく生きてきたAさんでしたが、老後の人生を大きく左右する転機が訪れます。それは、国内出張で訪れた地方で、集落の風景を目にしたときでした。

昔ながらの石積みの棚田で稲作にいそしむ人々や、神社の敷地内にある滑り台と砂場で遊ぶ子どもたちを見て、Aさんは幼少期に父親と観に行ったある映画を思い出します。大人になってからもさまざまな映画を観ましたが、Aさんのなかでその映画を超えるものはありませんでした。映画のなかの世界が、そこに実在していたのです。

「定年退職後はここに住もう」心に誓いました。職業柄、収入も多かったAさんは「カネさえあればなんとかなる」そう考えていたのです。

Aさんは「将来こんな家に住みたい」と注文住宅会社のパンフレットを手に夢を膨らませながら、定年退職を迎えました。ここからは、夢のセカンドライフが始まります。

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夢の詰まったマイホーム

60歳で定年退職したAさんは夢のマイホームを建築します。土地は地方ということもあり、比較的安く購入できましたが、建物は細部にもこだわったため、総額は3,000万円まで膨らみました。貯金1,000万円と退職金で2,000万円、残りは15年間の住宅ローンでまかなう資金計画です。独身にもかかわらず貯蓄が少ないのは、浪費家であることと、過去の女性関係によるものです。

定年後は再雇用などの道もありましたが、定年と同時にすっぱりと仕事を辞め、年金は60歳から受け取り始められるよう繰り上げて受給し、収入内で支出を収めようと決めていました。

Aさんの月々の老後生活資金は、以下のようなものでした。

収入項目  収入金額   支出項目   支出金額

年金    16万円   住宅ローン    6万円

               食費                4万円

                                      水道光熱費       1万円

                                      交通通信費       1万円

                                      娯楽費             3万円

                                      医療費             1万円

                                      雑費                1万円

収入合計     16万円        支出合計          17万円

宣言どおり、しっかりと収支のバランスがとれているAさん。「年を取ってきたし、仕事を辞めたせいか、現役時代の煩悩がなくなりました」ハッハッハと笑います。

「穏やかな暮らし」からしか得られない幸せ

Aさんの生活は、仕事に私生活にと生き急ぐように過ごしていた退職前とうって変わりました。積極的に地域の人たちと田畑の耕作や地域の寄り合いを通じて交流を図り、贅沢をすることもなくなりました。地域になじみ、幼少期の憧れを叶え、理想の生活を送ることができたのです。貯金も約1,000万円を残しているため、経済的にも余裕があります。現役時代も老後も好きなように生きられて、自分は勝ち組だと信じていました。

しかし、移住から3年を経過したある日から、その生活は崩れていったのです。