◆慶應・清原Jr.はドラフトで指名されず次のステージへ
10月24日に実施された「プロ野球ドラフト会議」。
プロ野球歴代5位の525本塁打を放ったスラッガー・清原和博(西武-巨人-オリックス)の長男で、大学から本格的に野球を始めたにも関わらず、父親譲りのパワーとスター性が評価されていた慶応義塾大学の清原正吾内野手は惜しくも指名に至らなかった。
これまでプロ野球界の「二世」プレーヤーを振り返ってみると、ミスタープロ野球・長嶋茂雄の息子・長嶋一茂(ヤクルト‐巨人)や野村克也(南海ほか)の息子・カツノリ(ヤクルト‐阪神ほか)らが有名だが、いずれも父親超えはおろかレギュラーを掴めないままプロ野球を引退してしまっており、「二世」の活躍は難しいとされてきた。
今後の動向が注目される清原正吾も「二世」というプレッシャーに耐えられるかがプロ入りのカギになるだろう。
そんななか、プロ野球の長い歴史の中では「二世」プロ野球選手ながら、父親を超える成績やインパクトを残した選手たちも存在。今回はそんな稀有な「二世」プレーヤーたちを紹介していく。
◆打撃も一流の二刀流左腕・山﨑福也は父親もイケメン選手
一人目は、北海道日本ハムファイターズのサウスポー・山﨑福也(さちや)だ。長身から投げ下ろす角度のあるストレートと多彩な変化球を駆使した交わす投球術で、オリックス時代はチームの3連覇に貢献。
FA移籍した今季も、6連勝を記録するなど2ケタ勝利をマークし、低迷していた日本ハムの躍進を支えた。
また、山﨑は投手でありながらバッティングセンスも抜群。交流戦や日本シリーズ、オールスターゲームでもクリーンヒットを放つなど、打者顔負けのバットコントロールを持つことでも知られており、通算打率は.250と投手では考えられない数字を叩き出している。
そんな山﨑も実は「二世」選手で、父親は読売ジャイアンツや日本ハムファイターズに所属していたキャッチャー・山﨑章弘。しかし、ジャイアンツでは正捕手・山倉和博の陰に隠れており、1軍でプレーしたのはわずか3年で通算安打は13本。
打席機会がほとんどないパリーグの投手である息子・福也がすでに7安打しており、打撃だけでも父親としてふがいない結果となっている。
しいていえば、父・章弘はダンディで端正なルックスをしており、チャーミングな顔立ちの福也とはタイプが違うが、ともに“イケメン”という点では似ているかもしれない。
◆両打ちの首位打者・金城の父親は1試合のみ出場
二人目は、横浜ベイスターズや読売ジャイアンツで活躍したスイッチヒッター・金城龍彦だ。投手として入団したものの、強肩と俊足を生かすために両打ちの打者に転向。
どんなボールにも食らいつく天才的なミート力でいきなり2年目に.346で首位打者を獲得し、“ハマのヒットメーカー”として君臨。’06年にはWBCにも出場した。また、パンチ力もあり通算104本のホームランを打つなど、多くの投手が「対戦したくなかった」と名前を挙げる名選手だった。
そんな金城も知る人ぞ知る「二世」プレーヤーで、父親は近鉄バファローズに所属していた金城晃世。
高校時代に軟式テニス部所属という異色の経歴を持つ晃世は、高い身体能力を持つ投手だったが肘の故障などもあり、一軍登板はなし。偵察要員で野手として1試合のみスタメン出場したが打席に立つこともなく交代させられてしまったという虚しい経歴を持つ。
「二世」選手として異例の好成績をマークした金城。なんと彼の息子・金城飛龍も社会人野球の名門・HONDAでプレーをしており、ひょっとすると「三世」プレーヤーが誕生するかもしれない。
◆メジャーでも躍動したレジェンド・黒田博樹の父も名選手
最も華々しい結果を持つ「二世」選手は、広島東洋カープ、メジャーリーグのロサンゼルス・ドジャースやニューヨーク・ヤンキースで活躍した投手・黒田博樹だろう。
彼の武器は150キロを超える速球とバッターの手元で鋭く変化するスプリット、そして9回まで投げ切るスタミナ。“ミスター完投”と呼ばれ、広島のエースとして日米通算203勝をマークした。意外にも高校時代は控え選手だったが、周囲が驚くほどの練習量で球界を代表する投手になったという。
また、メジャー在籍時の’14年オフにサンディエゴ・パドレスが提示した約21億円の年俸を蹴って、4億円の提示だった古巣・広島に返り咲き、その“男気”でもファンの心を震わせた。プロ入り時に着用した背番号15は永久欠番になっており、まさに球団のレジェンドといえる存在だ。
そんな黒田もまた、「二世」選手だということはあまり知られていない。彼の父親は、南海ホークスなどに所属していた外野手の黒田一博。広い守備範囲を誇る外野手で、大事な場面での勝負強い打撃でチームに貢献するいぶし銀プレーヤーだった。
実働8年とさほど長いプロ生活ではなかったが、その存在感は息子に匹敵するものがあったと言っていいだろう。
レジェンド投手だった黒田には及ばないものの父・一博も活躍しており、親子ともにプロ野球で結果を残した非常にまれなケースだろう。
◆虎のイチロー・坪井の父親は守備の人
低迷期の阪神タイガースに入団し、シュアなバッティングで熱狂的な阪神ファンを魅了した外野手・坪井智哉も「二世」選手だ。
坪井といえば、代名詞はイチローそっくりの振り子打法。本人曰く、大学時代にイチローの打撃を見て「苦手な変化球に対応するにはあの打ち方が合うかも」と思い、体を開いて右足を大きく動かすフォームを取り入れたところ、打撃が覚醒したという。
ルーキーからレギュラーの座を掴むと、コースに逆らわずに打ち分けるバッティングで打率.327の好成績をマーク。同年は川上憲伸や高橋由伸らと新人王を競い、セ・リーグ特別会長表彰も受けた。
その後も北海道日本ハムファイターズやオリックス・バファローズ、アメリカ独立リーグを渡り歩き、ダルビッシュ有(サンディエゴ・パドレス)にも慕われる兄貴分的存在としてもチームに貢献した。
そんな坪井の父親もプロ野球選手で、中日ドラゴンズや太平洋クラブライオンズに所属していた内野手・坪井新三郎。身長170センチに満たない小兵選手で俊敏な守備力を買われていたが、息子のようなバッティング技術はなく、実働7年で通算35安打に終わった。
成績やプレースタイルは全く異なった坪井親子だが、名門・PL学園から社会人野球を経由してのプロ入りという経歴のみは共通していた。
◆イケイケすぎるルーキー・度会の父親はいじられキャラ
最後に紹介する「二世」選手は、今年入団したばかりの横浜DeNAベイスターズの外野手・度会隆輝だ。
今どきの若者らしい物怖じしない性格と明るいキャラクターで、入団直後のファンフェスティバルで『ONE PIECE』のオープニング曲『ウィーアー!』を熱唱したことでも話題になった。
さらに開幕スタメンをもぎ取ると開幕から2試合連続でホームランを放ち、華々しいデビューを飾った。新人の開幕2試合連続本塁打はセリーグでは史上初の快挙だった。
以降はプロの壁にぶち当たるものの、打率.255、3本塁打、24打点とルーキーとしては申し分ない成績を残し、来季以降の活躍が期待されている。
そんな度会の父親は、ヤクルトスワローズに所属していた度会博文内野手だ。内野も外野もこなせるユーティリティープレーヤーだったが、チームが黄金期だったこともありレギュラーにはなれず、代打や守備要員としてチームを支えた。
プレーでは目立つことは多くなかったが、チームメイトの古田敦也や宮本慎也などから“いじられキャラ”として扱われる存在だった。
息子・隆輝は父親の明るいキャラクターを受け継ぎつつ、プレー面では父親超えの活躍をしてくれるだろう。
◆巨人・桑田や川相の息子も「二世」プロ選手
活躍こそしなかったものの、スター選手の「二世」としてプロ入りしていた選手も紹介しておこう。まずは、清原和博とともに“KKコンビ”の愛称で巨人の黄金期を支えた桑田真澄。
彼の息子・桑田真樹外野手も「二世」プロ野球選手だ。しかしプロとはいえ、所属していたのは独立プロリーグの新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ。
スピード感あるプレースタイルでNPB入りを目指したが、独立リーグを数球団渡り歩いた末、引退した。タレント・Mattは彼の弟にあたる。
また、バント職人だった川相昌弘(巨人‐中日)の息子もプロ入りをしている。’14年に育成選手ドラフト2位で読売ジャイアンツに入団した川相拓也内野手で、父譲りの堅実な守備とバントがウリだったが、支配下登録されることのないまま父・昌弘から戦力外通告を告げられた。
ここまで、野球通でないとなかなか知らない「二世」だったプロ野球選手たちを紹介してきた。
「二世」というプレッシャーがありながら、驚異的な成績や記憶に残るプレーをした彼らのように、清原和博の息子・正吾も、偉大な父親の期待とプレッシャーに打ち勝って、いつの日かプロ入りの道を勝ち取ってほしい。
ライター/木田トウセイ
【木田トウセイ】
テレビドラマとお笑い、野球をこよなく愛するアラサーライター。