「乳首を切除した」女性の人生。胸に突起物がついているのが「どうしても嫌だな」と感じた

 鳶職人をしながら、人体改造を手掛けるスタジオで修行に励む女性がいる。さとさん(@fuji_sato_bm)だ。その全身に刺青を施し、舌先は2つに割れている。だが彼女の「改造」の真骨頂は、自らの身体にフックをかけて吊るす”セルフサスペンション”だろう。

 まるで人体実験のように次々と自らの肉体を改造させていく彼女の、これまでの道程に迫った。

◆胸に突起物がついているのが嫌だった

 眼光は鋭いが、彼女が笑うと柔和な雰囲気がふわっと香る。取材中、「私、乳首を切除したんですよ」などと放り込んでくるあけすけなところもある。

「10歳くらいのとき、胸に突起物がついているのがどうしても嫌だなと感じたのを覚えています。洋服に当たる感覚が不快で、ブラジャーをしても締め付けられている感覚にどうしても馴染めませんでした。それでとうとう今年、乳首を取りました。思えばこれまでも、衝動的に『髪の毛、邪魔だな』と思って坊主にするということを数回繰り返しました。不要とみなした身体の一部をなくしたくなるのかもしれません」

 

◆日本語が話せず、いじめの標的に…

 さとさんは日本人の父親とスペイン人の母親のもとに生まれた。出生はスペインで、来日したのは4~5歳のころだという。それまでの家庭生活では、英語とスペイン語を併用していた。日本に来てからほどなくして小学校入学を迎えるが、そこで大きな挫折を味わう。

「それはイジメと呼んで差し支えのないものだったと思います。日本語が話せなかった私は、クラスのなかで異物だったのでしょう。今でも記憶にあるのは、給食の時間に私だけ何も食べさせてもらえなかったことです。先生も見ていましたが、知らないふりを貫いていました。

 他にも、小1のときに『さとちゃんのこと、嫌いな人、手をあげて』というニュアンスのことをひとりの同級生が言って、それに全員が挙手をする場面もありました。日常的に『ガイジン』という言葉は浴びせられていて、たぶん私に関する悪口を言っているのだろうと悲しくなりました」

◆「ゆるい不登校」荒廃していった生活

 小学校中学年になると、努力によって日本語は上達した。主張をすることによってクラスメイトからの表立ったイジメは影を潜めたという。だがそのころ、さとさん自身に心境の変化があった。

「学校が嫌になってしまったんですよね。集団でひとりを仲間外れにする人たち、それを黙認する教師の姿を見て、幻滅したというか。小4くらいから、学校には行ったりいかなかったりを繰り返しました」

 小学校4年生から中学校3年生まで、登校したりしなかったりを繰り返し、さとさん曰く「ゆるい不登校」の時期が続いた。徐々に生活は荒廃していく。

「初めてタバコを吸ったのは小4のときだったと思います。実は小6のとき、親が大手芸能事務所のオーディションに応募したら受かってしまって。しばらく芸能活動をしていたんです。ただ、中1のときに自分で安全ピンと墨汁で彫った刺青らしいものを父に見つかってしまって(笑)。父は『もうお前の芸能生活は終わりだ!』と烈火のごとく怒り、事務所は退所することになりました」

◆“自称不良”をボコボコにしていた

 このあと、両親はさとさんへの興味を急速に失っていく。

「放任主義と言いますか、ネグレクトに近かったのではないかと私は思っています。もっと幼いころ、母は躾に厳しくて、彼女の怒りのスイッチが入ると人が変わったようにヒステリーを起こしていました。お尻を何回も叩かれて腫れ上がったこともあります。しかし中学以降は、両親は不出来な娘に完全に愛想を尽かしたようにみえました。

 あの当時、地元の不良と呼ばれる先輩たちとつるむ機会が増えました。界隈にはオヤジ狩りみたいなことをやっている人たちもいましたが、私はイジメられた経験があるのでそうしたことには加担しませんでした。むしろ、中学に登校したときに『今度あいつを呼び出す』みたいなことを吹聴している“自称不良”を見つけたらボコボコにしていました」

◆中3の時点で「身体改造の分野で活躍したい」思いが

 さとさんが働き始めたのは中学3年生と若い。仲良くしていた先輩の保険証を使用して、身分を偽って倉庫整理のアルバイトをしていたのだという。

「義務教育を受けたと胸を張って言えない私ですが、仕事で必要な知識や知恵は吸収できるものだなと思いました。お金を稼いで、身体改造の分野で活躍したいという思いが当時からあったんですよね」

 なぜそこまであるべき身体の形を変えたいと願うのか。

「自分でも明確にはわかりません。ただ、原体験なのかなと感じるのは、小学生のころに転んでできたかさぶたの形を『これがハート型だったらよかったのに』と残念に思ったんですよね。みんなが『そういうもの』と気にしない細かいものを、いろいろと考えていたのは確かです」

◆20歳くらいまで「親の愛情が欲しくてたまらなかった」

 冒頭でも紹介したように、自らをフックに吊るして自重を支えるセルフサスペンションの成功で知られるさとさん。身体を使ってするパフォーマンスのあり方にも関心を抱く。

「身体にフックを突き刺して、そのまま人体ごと吊し上げるパフォーマンスは、見る人をハラハラさせる最高のショーだと私は思っています。血はたくさん出ますが、観客のさまざまな反応を引き出すことのできるリアルでエキサイティングな見世物なので、病みつきになります」

 いまだに両親はさとさんに関心を持っていないという。現在、そんな両親との関係性をどう思うのか。

「思えば20歳くらいまでは、親の愛情が欲しくてたまらなかったですね。どうして自分の方を向いてくれないんだろう、という思いは常に抱えていました。ただ、20歳以降、動物の保護活動をするようになってから、そうした思いは成仏しように思います。今は保護した犬2匹と暮らしています。一時期は、ネズミ80匹、ハムスター10匹以上を保護していました。ネズミは雌雄をわけないと、どんどん増えていくんですよね。1日に2回くらい掃除をしないとにおいも凄くて、そのときは恒常的に睡眠不足でした(笑)。愛情をかけられるのを待つのではなくて、愛情をかける側になってみると、視界が拓けるものですよね」

◆「こうありたいと思う姿」で生きるのが良い

 今後、さとさんは人体改造家としてよりレベルアップを望んでいるという。

「やはり、お客様がなりたい姿、叶えたいパフォーマンスの応援をするというのは、やりがいに繋がりますよね。人間はこうありたいと思う姿で生きるのが良いし、私の技術でそれを手助けできるなら、こんなに嬉しいことはありません」

 異形とされ、爪弾きにされた悲しい記憶。両親を求めた手は振り払われ、さとさんのさまざまな感情が“宙ぶらり”になった時期もあった。

 だが、さとさんは、世の中を恨む選択を避ける。姿形を変えたい人がいるのなら、力になれますように。そこには、本来の姿もあるべき姿も関係ない。ただ望むままを叶えられる職人に向かって、彼女はひたすら突き進む。

<取材・文/黒島暁生 撮影/石井強(@syashin_life)>

【黒島暁生】

ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki