「刺青があるからMRIが不安だった」30歳で乳がんが発覚…3児のシングルマザーを直撃

 小麦色の肌に抜群のスタイルで写真に収まる女性。目を引くのは、絶妙な色合いを添える四肢の刺青だ。しかし同一女性が映るもう一枚の写真には、髪の毛がない。

 フリーランスモデルとして活躍し、現在は乳がんと闘うRinaさん(@024rina024)の半生に迫る。

◆子宮がん検診には行っていたが…

 Rinaさんは現在、30歳。乳がんであることを知ったのはつい数ヶ月前だという。

「右乳のそば、脇の下に近いところにしこりを見つけたのが今年5月くらいのことだったと思います。それが6月くらいには結構な大きさになって。一般に、乳がんのしこりは痛みがないとされているようなのですが、私は痛みがあったんです。だから医師も『たぶん良性だとおもいますけど』というような反応でした」

 病院で検査を受けたのは7月末のこと。それまで、Rinaさんは乳がんなど無関係だと思っていたと話す。

「年齢的にも高齢ではないですし、身内にも乳がんの既往がある人はいません。どこかで、自分とは関係のない病気だと思っていました。子宮がん検診には行っていたのですが、乳がんの検査は行ってなかったですね」

◆刺青があるからMRI検査が不安だった

 がんが発覚してからも、他の場所への転移を調べるためにはMRI検査が必要となる。だがRinaさんを不安にさせるものがあった。

「刺青ですね。MRIで火傷をする可能性があるのは知っていました。医師に聞いても『安全性は保証できない』という言い方をしますし、非常に悩んだんです。ただ、懇意にしている彫師さんに聞いてみると、最近のMRIは高性能なので火傷のリスクはかなり少ないということでした。もちろん自己責任にはなりますが、調べてみないと始まらないので、検査を決意しました」

 過酷な運命の渦中にいても、常にRinaさんは笑顔を絶やさない。もとはフリーランスモデル、キャンギャル、テキーラガールなどの人前に出る職業を経験していたからだろうか。

「20代半ばまでは、地元・秋田県で過ごしてきたんですよ、私。中学くらいのときにはもう、和彫りの芸術性にとても感銘を受けて。『将来、絶対に刺青を彫ろう』と決めていました。それで実際に彫ったのが18歳。こう見えて、高校入学直後くらいまではサッカー一筋のスポーツ少女だったんです」

◆安心して闘病ができるのは「家族の存在が大きい」

 明るくハキハキと話す姿に好感を持つ人は多いだろう。だが人生において、それなりの辛酸も舐めてきた。

「あまりSNSなどでも公言していないのですが、19歳、21歳、27歳のときに出産しました。離婚しているので、3児のシングルマザーですね」

 かと思えば、家族の絆はかなり深い。

「私は両親や弟ととても仲がいいので、子育てにおいても本当に助けられています。経済的な面はもちろんですが、精神的にも救われることが多いです。安心して闘病ができるのは、家族の存在が大きいですね。若いころは、それこそ勝手に刺青を入れて、隠すつもりがショートパンツ履いて寝てて母親にすぐバレて怒られたりしましたけど。入れてから3日くらいでバレました(笑)。その後も増えていく刺青に、呆れてましたけどね」

◆乳がんは「自分がなる病気だと思っていなかった」


 これまでモデル業をこなし、イベント会場での仕事も多かったというRinaさんにとって、乳がんの告知はまさに晴天の霹靂。生活のさまざまな部分に変化が生じたという。

「乳がんだと言われたときは、『まさか』の一言でした。自分がなる病気だと思っていなかったんです。今振り返れば、どこか他人事だったのだと思います。これまで、職業柄ということもありますが、タバコ(アイコス)もかなり吸っていましたし、お酒も相当飲む生活でした。自炊などしたこともありません。けれども今は、どちらもやめ、和食を自宅で作る毎日に変わっています。皮肉な話ですが、病気と知ってから健康的になったなと感じますね」

 聞く人間に気を遣わせないよう明るく振る舞うからか、病状も安定しているかに思ってしまう。だが検査の数値は必ずしもそうではないようだ。

「がんの病理検査では、『顔つきの悪い、活発ながん』だと言われました。9月から抗がん剤の投与が始まっています。最初の3ヶ月間は、週に1回のペースで行うようです。3週間に1度、3種類の抗がん剤を投与する日があるのですが、やはり特に具合が悪くなりますね。吐き気はもちろん、鼻血が出ることもありますし、手足のしびれ、最近では顔面の麻痺も経験しました。吐き気止めが効かない吐き気というのは経験がなく、とてもつらかったですね」

◆丸坊主になった姿を見て、長女の反応は…


 辛い治療に立ち向かうとき、Rinaさんが必ず思い浮かべる顔がある。

「家族ですね。がんがわかったとき、母にまず電話をしました。電話口の母は泣いていましたが、看護師でもある彼女は、力強く『死なせないし、死なないから』と言ってくれました。長女は、丸坊主になった私を見て、『可愛い。私も同じ髪型にしようかな』なんておどけていました。多感な時期だし、本当は悲しいはずなんです。でもそれを見せることなく励ましてくれるのがあの子らしいなと感じました。家族に支えられているから、私は闘えるんだと思います」

 Rinaさんは、自身の経験を多くの人たちに共有したいと話す。その意図はこんなところにある。

「多くの人に呼びかけたいのは、検診に行ってほしいということですね。特に、昔の私のように健康体で、病気なんて無関係だと思って生きている人がいたら尚更です。がんになってから、どうしてもがんになった理由を知りたくて、BRCA遺伝子検査も受けました。すると、私の乳がんは遺伝性を否定されたんです。つまり、身内にがん罹患者がいないというのは何の気休めにもならないんです。

 人はいつ、どんなタイミングで病気になるかわかりません。悪い予想を打ち消すためにも、勇気を出して検査をしてほしいなと思いました。実際、SNSを見てくれた人から『検診に行きました』と報告をもらうと、嬉しい気持ちになります。今、免疫力が低下している状態の私は、以前のように人前に出てなにかパフォーマンスはできないけど、そういう形で役に立てているんだなと思うんです」

 日常は突然脅かされる。人生はある境界で健常者から患者に色分けされ、世界は一変する。「それでも、できることはある」――きっとRinaさんならそう言うに違いない。極限の状態でも誰かしらの役に立てる。そう信じて発信するRinaさんの闘志の奥底に、家族愛の究極をみた。

<取材・文/黒島暁生>

【黒島暁生】

ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki