グローバル化が進むなか、我が子によりよい教育を、と学生時代に海外留学をさせる親が増えています。留学は短期、長期と期間を選べますが、短期留学であっても、日本の就職では有利に働く可能性が高く……。本記事では、尾﨑由博氏の著書『アフターコロナの留学』(総合法令出版)より一部を抜粋・再編集して、留学経験が現在の仕事に活かされた体験談を通して、留学で学べることの本質に迫ります。

留学体験談:競馬騎手~通訳~起業まで

尾﨑: 川上鉱介さんはオーストラリアに留学後、競馬の騎手等として活躍後、起業されています。ここで改めて、ご経歴を教えてください。

川上: オーストラリアで競走馬のオーナーが馬を買う際のお手伝いや、複数のオーナーが一頭の馬を共有する際のマネジメントをお手伝いする会社を起業して3年目になります。「日本とオーストラリアの競馬業界の懸け橋になる」が目標です。

私はもともと埼玉の高校を卒業してすぐに、オーストラリアにある日本人向け競馬専門学校に留学しました。一年コースにまずお試しで入学し、そのまま半年間上級コースにも参加したので都合1年半ほどお世話になりましたね。

その後、20代の前半は日本人がほとんどいないような田舎の競馬場や調教場を拠点にトラックライダー(競走馬の調教に騎乗する人)になり、お世話になった方の後押しもあってレースにも出場するジョッキーとして活動していました。ただ、自分自身は中堅の壁を越えられなかったことや、ケガと隣り合わせの職業であることから、30歳になったら違う道に進もうと考えていました。

結果的に誰もが知るような大きなレースは勝てず、30歳になった時にメルボルンにある通訳・翻訳の大学に入りなおしました。騎手の仕事もやり続けながら勉強して2年ほどかけて通訳の国家資格を取得しました。

その後も騎手と通訳の二足の草鞋を履いて活動していたのですが、オーストラリアのレースに出走する日本の競走馬が万全の態勢でレースに臨めるよう関係者のお手伝い、通訳などを経験させていただく中で大手牧場の方や日本の一流調教師の方ともネットワークができたこと、調教中の落馬で大けがを負ったこともあり、今は起業家としての活動が中心になっています。

尾﨑: お話を伺うと騎手と通訳の両方でちゃんと資格を持ち、ご活躍されているというのはすごいことですね!

川上: 全然違う分野なので、確かに両方ともちゃんと資格を取ってやっているのはもしかしたら私一人かもしれません。尾﨑さんも獣医師免許と証券アナリストという全然違うジャンルの資格を両方持っていますよね? 

尾﨑: 日本の獣医師免許と証券アナリスト資格両方をを持っている人はほかにいないと思います(笑)。とはいえ、私の本業は海外での安全管理、リスクマネジメントに関するコンサルテーション。獣医師免許も証券アナリストも自分の興味で勉強しただけ、という感じですが……。

川上: 私も最初に留学した時はそんな感じでした。馬が好きで、とにかく馬に関わる仕事に就くための入り口としての留学でしたから。自分でいうのもなんですが、高校までは正直「お勉強」は好きではなかったんです。授業もよくサボってました……。ただ、馬の勉強はとても面白かったので、いわゆる座学も苦になりませんでした。勉強は頑張ったら頑張っただけ成果が出るということに気づきましたし、オーストラリアに来て初めて自分は勉強もできる、と思いましたね。

尾﨑: 好きなテーマだったとはいえ、高校卒業してすぐ一人で海外に飛び出すことに不安はなかったんですか? 英語がものすごくできたとか??

川上: 高校に何人か海外志向の強い同級生がいたこともありましたし、当時の私は若さに任せていたので、不安らしい不安を感じることもなく留学を決めた、というのが正直なところです。海外に初めて渡航したのはもちろんパスポートをとったのも最初の留学の時でしたから。親が自営業だったこともあって「まぁ、やりたいなら行ってこれば」という反応でしたし。

ただ、その当時は何がどう危ないのか、とか現地に行って苦労する要素とかをまったく考えていなかった、というのが実態で、ちょっとお恥ずかしいというか、若かったなと思います。英語は……苦労しました(苦笑)。

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日本人がいない場所で働く

尾﨑: 仕事をしながら通訳の資格を取得されているので、英語はかなり得意だったのかと思いましたが?

川上: 英語力が磨かれたのは20代、8年くらいにわたって日本人がほとんどいないオーストラリアの田舎町を渡り歩きながら仕事をした時期だと思います。この頃はほかに頼れる人もいなかったですし、英語ができないことで見下されるような経験をバネにだいぶ頑張りました。

旅行や観光で通用する英語力と、仕事を含む日常生活すべてを英語でこなすのとではやはり求められる単語力や言い回しは変わってくるので。人種差別はなかったのですが、どうしても、チームで仕事をする中で英語がおぼつかないと、どうしてもグループに入れてもらえないという場面が出てきてしまうのは事実ですね。

尾﨑: 日本人がいない場所で働く、というのは私も経験がありません……。

川上: 20年くらい前の話なので、外国人に家を貸してくれる人もかなり限られていたんですよ。なので、仕事を始めてしばらくは自分の年齢と同じくらい古い車を買って、車中泊をしながら暮らしていました。治安が悪い場所とかもよくわかっていなかったので、寝ている間に石を投げられて、割れたガラスの破片を頭からかぶった、ということもありましたね……。こんな話を尾﨑さんにしたら怒られそうですけど……。

尾﨑: それ以上、悪いことが起こらなくてよかったです。ただ、若いから何でも大丈夫というわけではなく、リスクをちゃんと把握して、危ないところには近づかない、万が一の時でも自分で自分の身を守る、というのは大事ですよね。

川上: 本当に。海外で暮らす、仕事をする、というのは単に語学ができる、とか仕事のスキルがそこそこある、というだけではだめですね。私の頃は、パソコンはそれほど普及していない、スマホなんかない、という時代だったので情報を集めるのも一苦労だったんです。ただ、それでも下調べというか、もうちょっと自分で自分を守るための取り組みはあってもよかったかも。

その後、当時お世話になっていた競馬業界の関係者の方のコネで家を借りられるようになり、安全に過ごすコツなどを教えてもらって今まで生き延びています。いざという時は周りの人に頼るのも生き残るコツかもしれません。

尾﨑: 確かに、海外では孤立感を覚えがちですが、一生懸命頑張っている人を助けてあげよう、支えてあげようというのは世界共通かもしれませんね。日本人がいない環境で長く暮らされていて、精神的につらかった時期などはなかったんですか?

川上: いやぁ、実際にはかなり落ち込んでいました。ただ、馬の仕事は好きでしたし、これをやろうと思って日本を出たので帰るという選択肢もあまりなかったですね。つらかった時は競馬関係でつながっていた友人や最初に留学した競馬の専門学校同期なんかと交流して、乗り切ってましたかね。日本に国際電話一つかけるのも、高かったですから。つらかったのはつらかったですし、今この年になってもう一回やれといわれたらイヤですけど(笑)。ただ若いうちにあの苦労があったから今がある、というのは実感しています。

尾﨑: 30歳になってからもう一度学びなおしというのでしょうか、英語をもう一度徹底的に勉強するのも苦にはならなかったわけですね。

川上: うーん、騎手を続けながら大学に通っていたので普通の方と比べれば二倍くらい時間をかけて学校を卒業し、通訳の資格を取りました。朝4時から9時頃までは競走馬の調教、その後レースに乗るときは競馬場に行って、競馬関係の仕事を終わらせてから勉強という一日でしたね。これまた大変ではありましたが、実際にやってみると自分の興味・やりたいことにつながることだったので、やってよかったなと思います。

尾﨑: すごいエネルギーだと思います。

川上: 勉強をする中で自分自身が人間として成長していることを実感できるのも原動力ですよね。馬に乗る技術が上がってくる、通訳担当として英語と日本語の切り替えが早くなる、言い回しやメモ取りが上手になる、といった成果も実感するのですが、同時に自分の人間力にも自信が持てるようになりました。

こちらでは何かトラブルがあっても(日本語で)気軽にできる人に頼れるわけではありません。生活するうえで不便を感じることが限りなく少ない日本でなく、思いがけないことも起こる海外で勉強することが自分を磨いてくれましたね。