我が子の留学に「危ないから」と消極的な気持ちになる親は少なくありません。リスクがあっても、子どもに留学させる意味はあるのでしょうか? 本記事では日本の若者の実情とともに、親世代が子どもの教育のためにできることについて、尾﨑由博氏の著書『アフターコロナの留学』(総合法令出版)より一部を抜粋・再編集して解説します。

未来を担う若者の力が落ちてきている

お子さんから「海外に留学したい」という話題が出た際に戸惑ってしまった方もいらっしゃると思います。医療レベルの面でも治安の面でも安全な日本で勉強していた方が、リスクは低いと考えることはもっともだと思います。

しかしながら、本当にそれがお子さんのためになるか、は別の話だと思います。日本とは違う環境を見てみたい、自分の実力を広い世界で試したい、日本で経験できないことを学びたい、と主張されるお子様をお持ちなのであればぜひ、その気持ちを大切にしてあげて欲しいと思うのです。

頭から「留学は危ないからダメ」ではなく、「リスクがあるけど、どうやったら留学できるか考えてみよう」というとらえ方をしていただきたいと思います。なぜ、筆者がそう考えるかというと、現在日本は皆さんが思っている以上に日本という国家の力、特に未来を担う若者の力が落ちてきているからです。



[図表1]Q あなた自身についてお答えください。(各設問「はい」回答者割合)

例えば、日本財団が2019年にインド、インドネシア、韓国、ベトナム、中国、イギリス、アメリカ、ドイツと日本の9カ国の18歳を対象に実施した「国や社会に対する意識」は衝撃的です。「自分を大人だと思う」「自分は責任がある社会の一員だと思う」「将来の夢を持っている」「自分で国や社会を変えられると思う」「自分の国に解決したい社会課題がある」「社会課題について家族や友人など周りの人と建設的に議論している」図表1の6項目で、すべて最下位という結果が出てしまいました。

インドやインドネシア、あるいはベトナムといった発展途上国の若者と比しても、社会に積極的に関わろう、自分の国の課題を解決しようという意欲が低いという結果が出ています。

(広告の後にも続きます)

日本の将来を悲観するも、自ら解決しようと思う若者は少ない



[図表2]自分の国の将来についてどう思っていますか?

同じ調査で「自分の国の将来についてどう思っていますか?」と問いかけ、今後良くなる、悪くなる、変わらない、わからない、の4択で回答を得たところ、日本がこれから良くなると回答した割合も9カ国で最下位です。

筆者自身、日本の学習環境が悪いとは決して思っていません。他方で、将来に悲観的で社会課題を解決しようと考えている割合の低い若者たちの中にとどまっていることがいいことだとも思いません。日本の将来はこのままではまずい、だからこそ違う国の様子を知りたい、違う国の同世代と語り合いたい、といった留学の意思を持っていることそのものが素晴らしいことだと私は考えます。

海外マーケットの獲得なくして企業の存続はあり得ない

日本はかつて「ジャパン・アズ・ナンバーワン」(1981年)と呼ばれ、敗戦から見事に立ち直り、高度経済成長を成し遂げた歴史を持ちます。2022年時点でも東洋の小さな島国でありながら世界第三位の経済規模を誇る大国です。

だからと言って、この先も日本が大国であり続けられる保証はどこにもありません。この現状を打破するきっかけになるのは、やはり若い世代の皆さんの意欲と行動力ではないでしょうか。

筆者は日本を代表する複数の企業からもコンサルティング契約をいただいています。いずれも日本国内でのビジネスでも十分になりたつだろうな、と思わせる経営規模、業務内容を誇っていますが、それでも海外への進出を止めるという選択肢は持っていません。なぜなら、彼らは日本国内だけで材料の調達、工場での生産、将来的なマーケット獲得が十分にはできないことを熟知しているからです。

海外では当然治安や政治情勢の急変リスクがあります。加えて企業とすれば現地人の雇用問題や地政学上のリスク、あるいは為替レートの急変といった経済的リスクも負いながら海外に進出しています。

なぜ、そこまでするのか。海外のマーケット獲得なくして企業の存続はあり得ないことが明白だからです。そして、海外への事業展開のために視野が広くサバイバル能力を備えた若者を欲しています。留学が視野を広げるというのは古くから知られていたことです。

“旅によって、貴族の若者は過剰な自信とプライドを四段階ほど下げることができる”

17世紀イギリスでは、貴族やアッパークラスの子弟の教育総仕上げとして「グランド・ツアー」という取り組みが行われていました。教養を広めるだけでなく、自分よりも地位の低い者への責任、いわゆる「ノブレス・オブリージュ」の概念を体感するためにもヨーロッパ一円を旅行させることが重要とされていたのです。

この「グランド・ツアー」という言葉を初めてつかったとされるカトリック神父、リチャード・ラセルズの著作から少し引用してみましょう。

旅をすることで、貴族の若者は過剰な自信とプライドを四段階ほど下げることができる。というのも田舎の領主の息子で父親の土地に住む者や教区牧師としか会うことがなく、ジョン・ストウやジョン・スピード以外の本は読んだことがない若者は領地の果ては世界の果てだと思ってしまう。

(中略)

一方、旅をする貴族の若者は偉大な人間や広大な領地を数多く目にするため、帰国した時にははるかに謙虚になり、自分よりも地位の低いものに対して礼儀正しく振舞い、自分がえらいなどという空虚な自信で膨れ上がったりすることがないのだ(TheVoyageofItaly、リチャード・ラセルズ、1670)

中には開放感から旅先で放蕩にふける若者も多かったらしく、当時のイギリス社交界でも「グランド・ツアー」には賛否両論あったそうです。しかしながら、外の世界を見ること、他国の社交界との人脈を形成するという点では支持が多かったことも事実です。