東大生が「子供のゲームを禁止する親は頭が悪い」と考える理由

―[貧困東大生・布施川天馬]―

 2020年、香川県でいわゆる「ゲーム規制条例」が制定されました。

 条例の前文には「インターネットやコンピュータゲームの過剰な利用は子どもの学力や体力の低下のみならずひきこもりや睡眠障害、視力障碍などの身体的な問題まで引き起こすことなどが指摘されており、(中略)今や、国内外で大きな社会問題となっている」とあり、あくまで子どもの健全な成長を促すための保護施策として制定された形。

 たしかにWHOはゲームに熱中して日常生活がままならない状態を「ゲーム障害」として疾病認定しました。ただ、「毎日ゲームばかりしているからゲーム障害」と言い切れるほど単純ではありません。

①ゲームをする時間や頻度を自ら制御できない

②日常生活のあらゆる物事に先駆けてゲームを優先する

③日常生活に支障をきたしているのにゲームを続ける

 これらの状態が観察される期間が12か月以上続いており、さらに社会生活に重大な支障が出ている場合にゲーム障害と診断される可能性が出てきます。各家庭にいるゲーム好きの子供を「ゲーム障害」と認定するのは早計でしょう。

 私はよく「うちの子はゲームばかりで、大丈夫ですか?」などと質問を受けますが、「熱中できることがあるのはいいことですよ」と返します。世間では、不勉強の要因をゲームに求める方が多いようですが、それは浅はかな責任転嫁にすぎません。

 そもそも、多くの大人がゲームを否定してかかるのは、得るものが少ないと思っているからではないでしょうか。しかし、実際のところはそうではない。勉強にも仕事にも通ずる大事な能力をゲームからは学べます。

 今回は、私が「頭が悪い人ほどゲームを頭ごなしに否定する」と考える理由をお伝えします。

◆ゲーム時間削減=勉強時間増ではない

「子どもがゲームばかりする」からといって、ゲームを禁止しても意味がありません。なぜならば、得られた時間は「勉強用の時間」ではないからです。

 例えば、毎日3時間ゲームをしている子どもがいるとします。彼に「今日からゲーム禁止だ」と取り上げるとしましょう。彼はいったい次の日から何を始めるでしょうか。

 素直に机に向かうわけがありません。なぜならば、彼はゲーム禁止令で3時間を得ましたが、それはもともと娯楽用の時間だったからです。友達と遊びに行くとか、YouTubeを見るとか、別の娯楽に避難する可能性が高い。

 では、全ての娯楽を先回りで潰したら?彼は絶望して引きこもってしまうかもしれない。「やるべきこと」だけで人生は構成できないからです。

◆必要なのは「制限」ではなく「目標設定」

 自分の身になって考えてみてください。大人にとって仕事は稼ぐ手段にもなるし、社会貢献もできるので、「やるべきこと」であると同時に「やればやるだけいいこと」でしょう。それならば、本業が終わってからも残業や副業で仕事をやり続けることは素晴らしいはずですね。

 

 みなさん「無理だ」と思われたでしょう。子どものゲームも同じ。勉強は「やるべきこと」ですが、それだけで人生は構成できません。

 みなさんが本当に気にしているのは、「ゲームをやりすぎること」ではなく、「やるべきこと」で結果を出していないこと。それならば、ゲームを禁止するのではなく、「勉強の目標」を設定したほうが有意義。

 例えば、「次の定期テストは全科目平均点を取る」と目標を決める。それが達成できている間は、遊んでいても親は文句を言わない。

 実際、中高生時代の私は「特待生待遇を喪失したら転校(=特待生が維持できる間は何をしてもよい)」と親と取り決めていたので、心行くまで部活とゲームに打ち込んでいました。もちろん目標を一方的に決めても意味がないので、ここは子どもと話し合うべきです。

◆ゲームと仕事と勉強の本質は同じ


 そもそも、ゲームと勉強、それと仕事を切り分けて話をしている方が多いようですが、ここが大変ナンセンスに感じます。ゲームの本質は仕事であり、勉強だからです。

 例えば、人気ゲーム「どうぶつの森」では、開始早々借金返済や家屋の改築のために様々な単純労働を行うことになります。雑草を拾ったり魚を釣ったり、これらは人から命じられて行えば、立派な仕事でしょう。

 RPGゲームでは、しばしば「おつかい」と呼ばれる依頼が発生します。これも立派な仕事ですが、プレイヤーはそれをこなすために、敵と戦って強くなろうとする。

 強くなるために、自軍に必要な能力を割り出して、そこを補強するように装備や人員など戦力を整える。実は、この能力こそ勉強や就活、仕事などで必要とされる自己分析能力です。

 勉強や仕事とゲーム、何が違うのかと言えば、「達成度が目に見えるか否か」「身体的な疲労を伴うか」「彼我の戦力がわかりやすいか」「頑張れば必ず達成できるという確信があるか」など。

 逆を言えば、現実の勉強や仕事などは、ステータスが目に見えず、「努力が必ずしも報われない」世界で行うゲームであるといえます。

 ゲーム内で強くなり、攻略していくためには、必ずどこかで自己分析を行い、やるべきタスクを洗い出して、一つ一つ消化する手順が必要になる。

 従来は勉強や仕事、スポーツなどでしか体験できなかったそれらを、いまではバーチャルに体験できる。参加のハードルが低くなったのです。

 こういった意味で、ゲームはむしろ優れたトレーニング装置であると私は考えています。「ゲームだから」といたずらに規制するのは、あまりにも物事の本質が見えていないといわざるを得ない。

◆必要なのは親世代の啓発である

 香川県の子どもたちは、このバーチャルトレーニング装置を事実上没収されてしまった。身体的に不調をきたすと主張された本条例は、むしろ身体的に恵まれなかった子どもの可能性を潰してしまったかもしれません。

「楽しみながら勉強をする」のは許されているのに、ゲームを規制する。使い方がよくわかっていない道具を恐れて規制するのは、火を恐れて近寄らない動物と何が違うのでしょうか。

 もちろん依存は問題です。ですが、ゲーム好きがすべて依存であるわけもない。必要なのは、むしろ親世代の啓発ではないでしょうか。

―[貧困東大生・布施川天馬]―

【布施川天馬】

1997年生まれ。世帯年収300万円台の家庭に生まれながらも、効率的な勉強法を自ら編み出し、東大合格を果たす。著書に最小限のコストで最大の成果を出すためのノウハウを体系化した著書『東大式節約勉強法』、膨大な範囲と量の受験勉強をする中で気がついた「コスパを極限まで高める時間の使い方」を解説した『東大式時間術』がある。株式会社カルペ・ディエムにて、講師として、お金と時間をかけない「省エネ」スタイルの勉強法を学生たちに伝えている。(Xアカウント:@Temma_Fusegawa)