相続トラブルはお金持ちだけの問題ではありません。自分には関係がないから、と相続に関して正しい知識を持たずにいると、後悔することも……。本記事では、南さん(仮名)の事例とともに、相続放棄の注意点について、FPの小川洋平氏が事例とともに解説します。
可哀そうに思って引き取った叔父
南裕美子さん(仮名/65歳)は、夫の誠一さん(仮名/68歳)と年金を受け取りながら、パート勤務をして働いています。90歳になる叔父を引き取り、パートの傍らデイサービスへの送り出しや出迎えなども行い、献身的に介護をしながら生活していました。
裕美子さんは、少し堅苦しく融通が利かない叔父のことが昔から苦手でした。裕美子さんの子供のころは親戚の集いも頻繁に行われており、度々顔を合わせていましたが、なるべく遠くの席に座るようにしていたほどに。しかし、ほかに身寄りがなく、引き取った当時も本当は知らんふりをしたかったのですが、晩年を一人で過ごすのはさすがに可哀そうだと思い、仕方なく同居をすることにしたのです。
もともと自営業者であった叔父でしたが、任意加入していた年金もあり、安定した収入として月18万円ほど受け取っていました。独り身の自分を献身的に介護してくれている裕美子さんの誠意が伝わったのか、残り800万円程度の預金は、自分が死んだらすべて受け取ってくれと言ってくれたのです。真面目な叔父は口約束にせず、遺言書も作成してくれました。裕美子さんは少しだけ報われたような気がします。
裕美子さんには兄弟がいますが、離れて暮らしており、叔父の介護に関わることは難しい状況です。そのため、叔父の介護を担っている南さんが全額遺産を受け取ることにも納得してもらっていました。
裕美子さんにとっても、夫婦2人の年金を合わせて月額で20万円程度、資産も1,000万円程度と、まだまだこの先もパートをしながら生活費を支えないと老後が不安です。そのため、叔父の遺産はありがたいものでした。遺産を受け取れる安心感もあり、叔父が遺言書を作成してからは、吹っ切れたような気持ちで介護を続けるようになりました。
そんなとき、叔父はついにこの世を去ることに。葬儀を終え、叔父の持ち物を置いていた納戸を整理しているとき、一枚の干からびた書類が、彼女の期待を打ち砕いたのです。
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書類の中身
書類は一枚のメモとともに綴じられていました。水分がすっかり抜け、カサカサの紙。内容を確認した裕美子さんは仰天します。叔父はまだ現役で事業を営んでいた30年前、資金繰りに苦しみ、共同経営者だった知人から借り入れを行ったようです。その額なんと1,000万円。利息も含めると、さらに大きな金額になると予測されます。しかし、貸主はその後に他界。身寄りもわからなかったために叔父はそのままにしてしまったと、メモには書かれていました。
叔父が亡くなり、遺言どおりに全財産を相続した場合、その借金の返済義務は南さんに引き継がれる可能性がありました。遺産をもらえるどころか、逆に負債を負わされてしまうという恐怖。
「これを知っているのは私だけ、誰にも言わなければきっと借金を請求されることはない……」裕美子さんはこのように考えもしましたが、後からその借金について誰かが自分に請求してくるかもしれないという不安がありました。
そのため、相続に関するセミナーに参加してみました。そのなかで「借金があると3ヵ月が経過して相続放棄ができなくなるタイミングで借金取りがやってきた」というような話を聞きます。そんな話を聞くと余計に不安になります。またもう一点、裕美子さんを相続放棄に後押しする記憶がありました。
生前の叔父と相続について話しを始めたとき、叔父には認知症の気があると裕美子さんは感じていました。病院に行って診断をもらったわけではありませんが、身近にいる裕美子さんだから気が付くレベルの症状。認知症になってから書いた遺言書は無効になると聞いたことがあった裕美子さんに悪魔の囁きが……。「介護をしたのだから、叔父の判断能力が正常じゃなかったとしても、私がもらって当然よね」そう思ったのですが、叔父を騙してお金が自分にわたるよう仕向けているような気持ちがあったのです。
「いまから思うとあの真面目な叔父が借金をそのままにするはずがない、少なくとも遺産をわたそうと思っている私には知らせるはずだ」認知症であったと考えると、すべて辻褄が合います。認知症だったから忘れてしまったか、記憶が混乱してしまったのか……。一人で悶々と考えていると、さまざまなシチュエーションが頭に浮かび、裕美子さんはとても耐えられなくなりました。
そんな後ろめたさもあり、司法書士にも借金の存在を打ち明けましたが、借金があるならば相続放棄をしたほうがいいと告げられ、そのまま相続放棄の手続きを行うことに。献身的に介護をしてきた裕美子さんでしたが、遺産を一銭も受け取れないという現実に肩を落とします。受け取れると思っていたお金が受け取れない、大きな喪失感が残りました。