実家を出て、数年が経過し、近ごろはとんと顔を見せに来なくなった我が子。今年も残り8週間。年末くらいは、と帰省した子どもとともに家族団欒の時間を過ごそうと計画している人も多いでしょう。しかし、久しぶりに会った子どもからは驚くような話をされることもあって……。本記事では、Aさんの事例から、親と子の老後のマネープランについて、社会保険労務士法人エニシアFP代表の三藤桂子氏が解説します。※個人の特定を避けるため、事例の一部を改変しています。

頭のいい息子をもった父

Aさんは60歳定年後、月収30万円で再雇用として働いていました。仕事は埼玉のバス会社の運転手。Aさんには、妻と子(息子)が1人。Aさんは若いころ、就職するものの、長続きできる会社に巡り合わず、転職を繰り返していました。50歳になったころ、バス会社に入社し、そこからは10年以上続けられています。

Aさんの妻はパートで働いていますが、教育費がかかる40歳代の夫婦の世帯収入は400万円ほど(夫が月収25万円、妻が8万円)。厚生労働省の「令和4年賃金構造基本統計調査の概況」によると、40代前半の正社員の賃金は月37万円、40代後半では月39万円。正社員以外では月24万円。Aさんは正社員、非正規社員を繰り返しながら働いていたため、子どもを私立の学校に通わせるには経済的に苦しく、叶いませんでした。

Aさんの息子は、小学校の高学年のころは、家で留守番し、一人で過ごすことが多く、一昔前でいういわゆる「かぎっ子」。ゲームをすることもありましたが、ゲームソフトをたくさん買うことはできなかったため、留守番しながら、図書館で借りた本を読んで過ごすことが多かったようです。

中学時代の息子は友達と一緒に塾に通いたかったようですが、経済的に厳しい状況でした。なんとか高校受験期の夏期講習には通わせてあげることができました。それでも成績がよく、進学校に合格します。大人しい性格の息子は、塾に通えなかったので、毎日のように図書館に通い勉強をしていました。

息子は進学校なので当然のように大学に進学したいと希望します。私立大学に入学、進学となると、初年度で約137万円かかります。国立大学(東京大学)では82万円。せめて国立大学であれば奨学金を受けてもらいながら通わせてあげられると夫婦で仕事に励みました。

息子は夏期講習など、通わせてもらったものの、自力で頑張り東京大学へ進学。これにはAさんもビックリしましたが、最終学歴が高校卒業であることをコンプレックスに感じていたAさんにとっては、誇りであり自慢の息子です。

Aさんのバス会社では、息子が東京大学に入学してからは、ことあるごとに息子の自慢話をしていました。就職後も自慢話は尽きず、さらに「自分の育て方がよかったからだ、自分の老後は息子がいるから安泰だ」と鼻高々です。

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息子から想定外のひと言

息子は東京大学卒業後、外資系有名企業に就職し、数年が経過しました。息子は大学時代、奨学金を受けながら家を出て下宿し、懸命に勉強とアルバイトを両立させました。卒業後も1人暮らしを続け、実家に帰るのは年に1回、お正月のタイミングだけ。

大晦日の夜

大人しい性格の息子はもともと口数が少なかったため、帰省してもたいていはAさんが1人しゃべっています。Aさんが62歳になった年の大みそかの夜、お酒も入り、ほどよく酔いが回ったAさんは、「オレが育てたんだ。東大に入って高い給料をもらえる会社に就職できるなんてなあ。いまのお前(息子)があるのはオレのおかげだろう。なあ、そうだよな。塾の夏期講習だって高かったんだぞ。教育投資ってやつだな。老後はお前をあてにしているからな」と息子の肩に手を回しながら絡みます。

「そろそろバスの運転手も引退だが、老後にもらえる年金が少ない。お前に面倒をみてもらわないと」と饒舌なAさんを遮り、息子は肩の手を振り払います。驚いたAさんでしたが、息子が話があると珍しく口を開いたので、座り直して話を聞くことに。

「育ててもらったことには感謝している。僕は努力して東大に進学し、いまの会社に就職した。大学の授業料も奨学金とアルバイトでまかない、1人で頑張ってきた。これから海外に転勤が決まったから、僕は自分のことは自分で頑張る。だから父さんも僕に頼ることを考えずに、老後は自分たちで頑張ってください。おそらく、日本に帰国することはほとんどないと思います」Aさんは息子の想定外の話に酔いも一気に醒め、驚きを隠せません。自慢の息子が海外に永住!? オレはどうなるんだ……。驚きのあまり放心状態になるAさん。

Aさんは息子は大人しい性格で、面倒をみろといえばみてもらえるだろうと思っていました。苦労して子どもを育てたのだから、恩返しを受けて当然だろうとも。息子が東大卒だから老後は安泰、と思っていても現実は大きく異なったようです。