更生保護法に基づいて、犯罪者を保護・観察して社会復帰の手助けを無給で行う「保護司」。2024年、保護観察中の人物が自らを担当する保護司を殺害するという事件が起こり、世間を震撼させました。本記事では、御田寺圭氏の著書『フォールン・ブリッジ』(徳間書店)より一部抜粋・再編集し、「助けたい姿をしていない弱者」について考えます。

人物審査が課せられる「無給」の仕事

大津市仰木の里東の自宅で保護司でレストラン経営、新庄博志さん(60)の遺体が見つかった事件で、滋賀県警大津北署捜査本部は8日、殺人容疑で、同市仰木の里の無職、飯塚(いいつか)紘平容疑者(35)を逮捕した。飯塚容疑者は平成30年に強盗事件を起こし、保護観察付きの有罪判決を受けて保護観察中だった。新庄さんが担当の保護司で、逆恨みの可能性もあるとみて捜査本部が犯行動機を調べる。

法務省によると、保護司が保護観察対象者だった人物に殺害される事件は昭和39年に起きて以降、確認されていない。

(産経新聞『担当保護司殺害疑いで保護観察中の35歳男を逮捕、滋賀県警 逆恨みの可能性』2024年6月8日より引用 *1)

保護観察付の有罪判決を受けて保護観察中だった人物が、自身を担当した保護司を殺害した事件が世間を震撼させた。

保護司とは更生保護法にもとづき法務大臣からの委嘱を受ける仕事で、犯罪者を保護・観察しながら更生や社会復帰の支援を総合的に行うことがその役割となっている。非常勤の国家公務員という立場であり、原則としてボランティアで行われる仕事である。その具体的な業務は多岐にわたり、日常的な悩みの相談から就職先の仲介まで幅広い。

まったくもって無給の仕事であり、なおかつ任命にはそれなりの「人物審査」が課せられることから、保護司をやる人というのは地域でもそれなりに人望が厚く、また人格的にもすぐれていると定評のある、公共心に富む人物であることが多い。

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「かわいそう」の上澄みの底へと潜る

メディアなどを通じて世間に映し出される「弱者」の多くは、たとえば保護動物とか、戦争難民の子どもたちとか、いずれにしても往々にしてわかりやすく、だれの目から見てもはっきりと「かわいそう」な姿をしている。

……しかしそれは弱者と呼ばれるカテゴリのなかでは、きわめて少数の、いうなれば上澄みであると言わざるを得ない。

上澄みよりも下に大勢いるその他の弱者は、「かわいそう」な姿をしていない。

その姿を見たときに周囲の人びとに「助けてあげたい」という素朴な同情心や慈悲心が喚起されない。いや、喚起されないどころの話ではない。もっといえば「こんな奴は野垂(のた)れ死にすればいい」とか「自業自得だ」と、むしろ冷たく突き放され疎外されるような姿や態度をしていることが多い。

強盗や傷害といった犯罪で刑事罰を受けた者などはその典型だ。世の中の人びとはそのような凶悪事件の加害者たちを見てかわいそうとは一片たりとも思わないだろうし、ましてや自分がそのような人とあえてお近づきになってかれらの再起をしかも無償で支えようなどというのは、それこそ考えるだけでもおぞましいのではないだろうか。たとえ有償であろうがやりたいとは思わないだろう。

保護司はまさにそうした「助けたい姿をしていない弱者」とあえて向き合う仕事だ。

犯罪加害者の社会復帰はきわめて難しく、再就職どころか(頼れる人がいなくなるため)住居すらまともに決められないこともある。こうした疎外や差別が犯罪者の再犯リスクを高めてしまう。その点で保護司というのはきわめて重要で、社会的に意義のある尊い仕事をしている。