生き残りをかけた日本の「アメリカナイズ」不可避か 

望むと望まざると、日本はこれからますます「アメリカナイズ」されていく恐れがあります。

経済でいえば、物価上昇やステルス増税、雇用の流動化、外国人労働者の増加などを通じて、国内の一般家計の負担は増す一方、大企業はマージンを高めるとともに、自社株買いや業績連動報酬などにより、国内の所得・資産格差はますます広がっていく恐れがあります。財政の手足が縛られ、海外投資家のプレゼンス(存在感、シェア)が高まれば、こうした方向性(「アメリカナイズ」)は不可避でしょう。

また、急速なリベラル化によって、日本の文化や伝統、そして美しい景観を愛する人にとっては住みづらさを感じる場面が増えるでしょう。

他方で、日本人が過去30年あまりのあいだ、賃金の停滞を黙って受け入れてきた事実を考えると、「米国の半分の人たち」とは異なり、日本人の多くは(政治を変えるというよりも)新たな苦痛を受け入れる恐れがあります。

今回の選挙における選択肢と投票率と投票先をみる限り、筆者の目にはそのように映ります(→ただし、有権者の選択には、外部の大きな力が作用していることも付け加えなくてはなりません)。

日本人の忍耐は今後とも、大企業や官僚、海外の資本家につけ入る隙を与える恐れがあります。

もしも、隣人が忍耐強いならば、(我慢ならないが、非力な)1つひとつの家計にとっては、たとえ零細・小規模であっても投資家であるかどうかが今後の生活を左右する可能性があるでしょう。長期目線に立った資産運用は、コントロールが強まる日本や世界のなかで参政権や言論の自由と並ぶほどに極めて重要な要素かもしれません。

重見 吉徳

フィデリティ・インスティテュート

首席研究員/マクロストラテジスト