散歩や掃除、模様替えをきっかけにするのもおすすめ
その上で、私が提案できる具体的な方法をいくつかお伝えします。
一つは、動けるまで待つ方法です。自分でもあきれるまでグダグタしたり、ボーッとしたりしていればいいのです。あまりいい表現ではありませんが“堕ちるところまで堕ちてみる”のです。
がむしゃらに何かに取り組む人が、友人の「適当なところでやめておけ」というアドバイスも聞かずに、倒れるまでやるのと同じです。倒れてやっとわかる人もいるのです。
私がN.F.さんのような状態なら、人々の日常が見られる(お年寄り同士がベンチで会話し、子どもたちが遊んでいる)大きめの公園へ散歩に出掛けるでしょう。
自宅に引きこもっている自分がいる一方で、世の中は相変わらず平穏な日常が過ぎています。ご相談の文中にある家事や書類の提出も、その平穏な日常の中の作業の一つです。
公園で人々の日常を目の当たりにすれば、良い刺激になります。
他の方法としておすすめするのは、部屋の掃除や模様替えです。淀んでいる心の空気を吹き払うように、部屋の空気や雰囲気を変えて、フレッシュな空気を入れて、動き出すための空間をあえてつくるのです。心機一転して何かに取り組むきっかけとして良い方法です。
あるいは家事などを「やらなければならない」と固く考えずに「どうれ、半世紀も生きてきたご恩返しだと思って、そろそろ腰を上げようか」くらいに考えるのもいいと思います。
年末に、「今年も残すところあと〇日……」と言っていた人もいると思います。残された時間を惜しむのではなく、私たちは、何か新しいことが始まるきっかけがあるのではないかという希望を「今月もあと〇日」「今週もあと〇日」「今日もあと〇時間」という思いの中に込めています。
迎えた新年がすでにN.F.さんにとって、重い腰を上げる良いきっかけになっていることをお祈りしています。
回答者プロフィール:名取芳彦さん
なとり・ほうげん 1958(昭和33)年、東京都生まれ。元結不動・密蔵院住職。真言宗豊山派布教研究所研究員。豊山流大師講(ご詠歌)詠匠。写仏、ご詠歌、法話・読経、講演などを通し幅広い布教活動を行う。日常を仏教で“加減乗除”する切り口は好評。『感性をみがく練習』(幻冬舎刊)『心が晴れる智恵』(清流出版)など、著書多数。
構成=渡邊詩織(ハルメクWEB)