1970年から1982年前後に生まれ、1990年代後半から2000年代にかけて高校や大学を卒業して就職を迎えた「就職氷河期世代」あるいは「ロスジェネ世代」。彼らはバブル崩壊後の「時代の不遇」を一身に受けてきました。最近では、社会的支援や救済を求める彼らに対して「いつまでも要求ばかり」「いい加減大人になれ」と言った批判が社会のあちこちからあがり始めています。本記事では、御田寺圭氏の著書『フォールン・ブリッジ』(徳間書店)より一部抜粋・再編集し、就職氷河期世代について、解説します。

「ロスジェネ世代」への逆風

およそ1970年から1982年前後に生まれ、1990年代後半から2000年代にかけて高校や大学を卒業して就職を迎えた人びとのことを「就職氷河期世代」あるいは「ロスジェネ(ロスト・ジェネレーションの略)世代」と呼ぶ。バブル崩壊後の不況によって急激に雇用が落ち込み、派遣労働やフリーターといった不安定な雇用環境で生活することを余儀なくされた人が続出した世代である。

バブル崩壊後の「失われた20年」と呼ばれた長期停滞期のなかで、かれらはまさに「時代の不遇」を一身に受けたにもかかわらず、その苦境は長らく放置され、政治からも行政からも市民社会からも見過ごされたまま今日に至っている。

……いや、見過ごされているという記述は生ぬるいかもしれない。それどころか、いままで以上に厳しいまなざしを向けられるようにさえなってきている。

というのも、就職氷河期世代の人びとが、これまで味わわされてきた苦境や冷遇を世に訴えかけ、社会的支援や救済を求めていることについて「いつまでも要求ばかり。子どものままで成長がない」とか「冷遇だとか不遇だとかぐちぐち言うな。いい加減大人になれよ」などという批判があがりはじめているからだ。

この批判は、かつて就職氷河期世代を見棄てた上の世代からはもちろん、20代や30代の若い世代からも「いい年をした大人なのに、いつまでも社会や他人から助けてもらおうと、子どものように甘えている」といった厳しい意見が出はじめている。

就職氷河期世代への批判的論調にしばしば共通しているのは、かれらの持つある種の「幼さ」についての指弾である。

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就職氷河期世代の「幼さ」

就職氷河期世代が「幼い」というのはつまり、「年齢相応の社会的責任を負っているように見えない」といった批判である。これ自体は、たしかにまったく妥当性に欠く言いがかりというわけではないように見える。むろん全部が全部そうであるとまでは言わないが、私の個人的観測ともある程度は一致する。

就職氷河期世代の中核は2024年現在ではおよそ40代後半、先頭は50歳に差し掛かっていて、名実ともに「中高年層」であるのだが、たしかにかれらと話していると「いつまでも若々しいな」という印象をしばしば受ける。

もっとも、断っておくがそれは見た目のことではない。見た目だけを切り取ってみれば、だれだって当たり前だが白髪も増えたり体型も崩れたりして「年相応」に見えることがほとんどだ。そうではなくて、言動やメンタリティーがどこか若々しいのである。近頃の20代の若者と話をすると、むしろかれらの方が就職氷河期世代よりもずっと老成していることもあるように感じるくらいには。

40代後半や50歳という、世間的に見れば立派な中高年層のステージに突入してもなお、かれらがまるで高校生や大学生のような感覚で若々しい──あえて悪しざまにいえば年齢不相応な「幼さ」をまとった──独特の雰囲気を持っているのが散見される。これはなぜなのだろうか。