「無実の人でも有罪になるリスクはある」冤罪を研究する弁護士が語る犯罪捜査の危険性とは

2023年10月に書籍『冤罪学 冤罪に学ぶ原因と再発防止』(日本評論社)を出版した西 愛礼(よしゆき)弁護士。1年を過ぎた今年12月6日、同書をより一般向けに書きおろした『冤罪 なぜ人は間違えるのか』(集英社インターナショナル)を発刊する。

弁護士として冤罪を学問と捉え、再発防止を追求し続ける同氏に、一般市民にも身近な内容で、「冤罪」を語ってもらった。

主に法曹人向けに執筆した『冤罪学 冤罪に学ぶ原因と再発防止』(日本評論社)の出版から1年以上が経過しました。
その間、大川原化工機事件の逮捕起訴を違法とする国家賠償請求訴訟の判決、死刑冤罪・袴田事件の再審無罪判決、福井女子中学生殺人事件の再審開始決定、西弁護士も弁護団の一員となっているプレサンス元社長冤罪事件の取調官に対する大阪高裁の付審判決定と取調べ録音録画に関する最高裁の文書提出命令、これも西弁護士が弁護団として提起されている角川人質司法違憲訴訟など、冤罪や刑事司法に関する大きな動きがありました

西弁護士: 1980年代の「死刑四再審」(免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件)と呼ばれる再審無罪事件以来の、数十年に一度の大きな時代のうねりが来ていると思います。「死刑四再審」のときも刑事司法に対してはさまざまな問題提起がなされたものの、その際には再審法改正が実現せず、刑事司法システム上の不備がそのまま残ってしまいました。

ずっと積み残されてきた課題がいま改めて表れてきたのです。今回の流れにおいて、このような不備は必ず是正しなければなりません。「冤罪学」がその一助になればと思っています。

実は一般市民も“無関心”でいられない「冤罪の怖さ」

冤罪をテーマにした2冊目となる著書『冤罪 なぜ人は間違えるのか』は、前著『冤罪学』を一般の方にも見てもらえるよう書きおろした内容とのことです。

西弁護士: 『冤罪学』の出版後、多くの方から反響をいただきました。その中には法曹関係者はもちろんですが、一般の方や学生などの声もあって、本の各所に付箋を貼ったり、アンダーラインを引いたりして、熱心に読み込んでいただいているのを目にし、とてもうれしく思いました。

同時に、冤罪をより広く多くの人々と一緒に学べるようにする必要がある。そう感じたのです。

「冤罪」を一般の方に向けてというのは、具体的にどのような点を意識されたのですか。

西弁護士: 冤罪学では「人は誰でも間違える」ということを軸に、これまでの冤罪の原因、司法の構造的分析と解決、救済を丹念に解析し、心理学のアプローチなども交え、学問として体系的にまとめた一冊です。

そして、今回の新刊は、冤罪というある意味で”究極の失敗”をテーマに、失敗から学ぶ方法をより多くの方に伝えられればという思いで筆をすすめました。

たとえば冤罪の原因とされる「トンネルビジョン」といわれる視野狭窄などによって、ほかの可能性に目を向けられなくなることが判断ミスにつながるといったことも取り上げています。こうしたことに起因する失敗は日常生活やビジネスシーンでも同じように起こり得ます。

なぜそのような状態に陥ってしまうのかということを分析しながら、どうすれば失敗を免れることができるのかということなどを論じています。

もしもあなたが”冤罪”に巻き込まれたら

冤罪をなくすために市民にもできることはあると西弁護士(弁護士JP編集部)

冤罪については、そもそも一般の方がその当事者になり得る可能性も否定できません。もしも、一般市民がいきなり捜査機関からぬれぎぬを着せられ、逮捕されてしまったら、どんな心構えでいることが最善といえるのでしょうか。

西弁護士: まず、捜査機関に疑われた時点ですぐに弁護士に相談してください。法律知識がない状態で取調べを受けた場合、そもそもなにが問題になっているか分からないため、思わぬ誤解を生むおそれがあります。

また、記憶や表現も曖昧な状態で取調べにのぞみ、誤解を招く供述をしてしまうリスクもあります。

たとえば「3日前に何をしていたか」と聞かれても、私たちは何を食べたかすら思い出せないということが往々にしてあると思います。曖昧な記憶で述べたことが実際には別の日のことだった場合、取調官からは「この人は嘘をついている」という目で見られるきっかけになり、より疑いを深めてしまうかもしれません。

自身のアリバイを正しく述べたとしても、捜査機関は主に犯人の検挙を目的として捜査していますし、それを否定する証拠を集めて「アリバイ潰し」がされた冤罪事件もあります。

加えて、「話せばわかってもらえる」と黙秘せずに一生懸命供述して、そこから虚偽自白に転落してしまったという冤罪事件も数多く存在します。

こうした過去の冤罪事件の教訓からは、「そもそも取調べで話したほうがいいのかどうか」といったところから慎重な検討が必要になります。取調べで話したほうがいいかどうかは事案によってさまざまであり、弁護士の専門的な判断が必要になります。そのため、弁護士が「話したほうがいい」と言うまでは、基本的に黙秘することを助言しています。

黙秘権は憲法上の権利であってやましいことではありませんし、真実を守るためにも黙秘することが重要です。

少し具体的に、たとえば痴漢の犯人を疑われた場合、どう対応すればいいのでしょうか。

西弁護士: 満員電車の状況は痴漢冤罪のリスクと隣り合わせといえます。確かに意図せずとも他人の体にあたってしまう可能性はありますが、誤解を招く他人との接触を極力減らすのは一種のエチケットでもあります。

たとえば吊革につかまる、スマホを持つなどして両手をふさいでおくなど、日ごろから疑われる余地をなくしておくことが肝要です。

そのうえで、もしも痴漢冤罪に間違われてしまったら、重要なことは次の2つです。

(1)有罪であるかのような振る舞いをしない
(2)防御のための行動をとる

(1)は面倒なことを避けようと、無理やりその場から逃げるなどです。しばしばあることですが、逃げるためにホームから線路に下りれば、鉄道会社の業務を妨げたとして威力業務妨害罪が成立するおそれがあります。加えて、「やましいから逃げた」と思われてしまうリスクもあるでしょう。

また、罪を犯していないのにいさかいを恐れ、「痴漢をした」と認めて交渉しようとしたり、記憶がないのに「あたったかもしれない」などと発言したりすることも、その後の裁判において有罪の「状況証拠」と扱われる可能性があります。

(2)は先に述べた通り、取調べに対して「黙秘」することのほか、容疑を晴らすための目撃証人を確保することなどが重要です。必ずしも証拠が残るわけではありませんが、疑われた際にできることとして、自身の手に被害者の衣服の繊維片がついてないことなどを捜査機関に調べてもらう必要があります。

無実の証明をする上で最大のネックとは

実際に無罪を勝ち取った経験もある立場から、弁護のプロセスで「無罪」と確証を得たとしても、それを証明し、覆すにあたってなにが一番の障壁となるのでしょうか。

西弁護士: 有罪の物的証拠がなにもない事件でも、被疑者・被告人を有罪視する捜査機関が事件関係者の取調べや事情聴取を行うことによって、どうしても有罪方向の見立てが押し付けられたり、誘導されていったりしてしまいます。そのようにして、物的証拠がなくとも供述証拠によって冤罪が生まれてしまう危険性があります。

聴取手続が可視化されていてどのようなやりとりがあったのかが分かることもありますが、日本の長時間取調べのもとではこうした取調べの分析も容易ではありません。

また、可視化されている取調べは全体の約3%と言われており、身体拘束されていない人の取調べや参考人の事情聴取、そして裁判のための証人テストなどは録音録画がされていないため、捜査機関による見立ての押し付けや誘導がやりたい放題の状況になっているという問題があります。

私がこれまで弁護してきた冤罪事件を振り返ると、捜査機関が証人に見立てを押し付けたり、証人が勘違いをしてしまった結果、証人が客観的事実とは違う内容を証言するようになったりして起訴されてしまったという事件だったなと思います。

人は誰でも間違えてしまいます。捜査機関も証人も例外ではありません。そのような誤りの連鎖によって無実の人でも有罪になるリスクがあるわけです。

冤罪の再発を防ぐために

冤罪など二度と起こらないことが一番ですが、人がかかわる以上限界はあると思います。冤罪を研究する立場から、冤罪をなくすためにどのような取り組み、システムがあれば、“穴”を補完できるとお考えでしょうか。

西弁護士: 過去の冤罪事件の原因検証がなされない結果、同じような原因に基づいて冤罪が再生産されているという大きな問題があります。今回の袴田事件も、このまま証拠の捏造などに関する原因検証が行われなければ、また同じような冤罪事件が生まれてしまうでしょう。

これを解消するためには、きちんと過去の冤罪事件の原因を分析し、その教訓を将来の冤罪防止に役立てることが必要です。冤罪の救済のために再審法改正は必要不可欠ですが、それだけでなく、生じた冤罪事件の原因検証と再発予防のシステムづくりも必要だと思います。

海外で参考になりそうな事例としてはどのようなものがあるのでしょうか。

西弁護士: 台湾で2023年12月に法律が改正され、冤罪事件の賠償が決まった後、司法院は誤判の原因を分析するために必要な調査または研究を行うという条文が新設されました。

冤罪事件について単に補償したり誤りを批判して終わるのではなく、法的な制度のもとで冤罪となってしまった原因を追究することは、まさに「失敗から学ぶ」ことそのものであり、再発を防止するうえでも不可欠なプロセスで、画期的な仕組みといえるのではないでしょうか。

市民に向けても、冤罪をなくすためにできることがあれば、どんなことでもよいので助言いただけますか。

西弁護士: たとえば、逮捕報道がSNSで拡散されてしてしまうケースがあります。これは裁判官・裁判員の予断を形成するものでもあるため、実は一般市民も冤罪事件の発生に関与してしまうおそれは否定できないのです。「推定無罪」をわきまえて、慎重に情報を取り扱う必要があると思います。

また、冤罪学の「冤罪を学び、冤罪に学ぶ」という大きなテーマに、法律家だけでなく一般市民のみなさまも参加するようになってくると、法改正などを通じて冤罪防止につながるのではないかと思います。

新刊は、そうした「冤罪学」の知識を一般市民向けに分かりやすく書きおろした新書で、「なぜ人は間違えるのか」という観点から、生活に役立つ人間の失敗に関する知識が詰まっています。お手に取っていただけますと光栄です。

【西 愛礼(にし よしゆき)】
2014年一橋大学法学部卒業。 2016年裁判官任官、 千葉地方裁判所において刑事裁判に従事。2019年アンダーソン・毛利・友常法律事務所弁護士 (弁護士職務経験)。2021年裁判官を退官、後藤・しんゆう法律事務所弁護士 (大阪弁護士会)。 プレサンス元社長冤罪事件、スナック喧嘩犯人誤認事件、角川五輪汚職事件・角川人質司法違憲訴訟などの弁護人を担当。 日本刑法学会、法と心理学会、イノセンスプロジェクト・ジャ パンに所属。 【著者論文 】 「冤罪の構図―プレサンス元社長冤罪事件 (1)~(4)」 季刊刑事弁護 111~114号 (現代人文社、2022~2023年)ほか。