今から数年前、私は夫の仕事の都合で東南アジアの赤道直下の国に3年半ほど住んでいました。常夏の国に移住して1年ほど過ぎたころ、肌の様子に異変が。現地でも気にしてはいたのですが、しっかり治療しないまま帰国の途へ。それから3年が経過した現在の変化についてお伝えします。
赤道直下の国で起きた肌トラブル
私は冷え性で、寒いのが大の苦手。子どものころは冬になると足にしもやけができていました。小学生のころは瀬戸内海沿岸に住んでいたのですが、温暖な地域と思いきや冬は割と積雪があり寒かったのを覚えています。真冬の時期は、テレビで全国の天気予報を見ると沖縄の最高気温22度がうらやましかったものです。「いつか年中夏の国に住むこと」が私の子どものころの夢でした。
数十年後ついに願いがかなったわけですが、これがまあ暑い。年がら年中33度。紫外線は日本より強く、日中は外で歩いている人はいません。服装もラフになり、ついついスキンケアもいいかげんなものになっていました。物価が高く、化粧品が高額だったこともスキンケアがおろそかになった理由の1つです。
慣れない異国の地に移り住んで1年がたつころ、ふと鏡を見ると、左の頬に直径5mmほどの赤い発疹のようなものができていました。当初ニキビの一種だろうと気にしなかったのですが、痛みやかゆみはないものの一向に治る気配がありません。ちょうどそのころ、子どもの足の裏にイボができて現地の皮膚科に通っていたので、私も一緒に診察してもらいました。
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顔の発疹はイボだった
すると、私の頬にできたものもイボだということでした。除去するにはほくろ除去と同じような手術が必要とのこと。手術後は多少へこみが痕として残るということで、しばらく様子を見て手術をするかどうかを判断することにしました。
しかし異国の地で小学生と幼稚園児だった子どもの送迎や通院、家事など日々の雑事に追われ、なかなか自分のことまで考える余裕はありませんでした。そうして気になりつつも様子見をしていたのですが、1年後、頬の発疹は少し大きくなり、色も色素が沈着したような茶色へと変化。さすがに気になってまた皮膚科で診てもらうことにしました。
するとイボの大きさのせいか、今手術をすると痕が目立つかもしれないと言われ、子どもの足のイボと同じ液体窒素療法(主にウイルス性イボの治療に用いる凍結療法)で何度か治療するに留まりました。そうこうするうちに帰国することになり、現地での治療は終わりました。