ある日突然、見知らぬ誰かから「いっしょに暮らそう」などと言われたら、驚きしかないだろう。そのうえ自分には身に覚えがまったくないのに、相手が自分のことをペラペラと話しはじめたとしたら要注意かもしれない。
◆働く母を助け、家計を支えた
前田衛二さん(仮名・40代後半)は、物心がついたときから母親と2人だけで慎ましく暮らしてきた。母は朝から夜遅くまで働いていたが、衛二さんが熱を出すなど体調を崩すたびに仕事を休まなければいけないことも多く、職を転々とするしかなかったとか。
「保育園や小学校の頃に連日同じ服を着ていたり、お風呂に入れずフケが多くなったりして同級生から笑われるようなことはありました。正直ツライ思いをしたこともありますが、後ろ指を指されるようなことはせず、まっとうに生きてきたつもりです」
そんな衛二さんは、高校生になるとすぐにアルバイトを開始。給料のほぼ全額を母に渡して家計を助けた。そういった事情もあって母はアルバイトのみでやり繰りできるようになり、衛二さんの就職後は3時間ほどの短時間パートに転身。
◆自分の名前を呼ぶ見知らぬ初老の男性
「そして貯金できるほどに落ち着いていました。付き合っていた彼女もいましたが、母のことを考えるとなかなか踏ん切りがつかない。でも彼女は文句ひとつ言わず、『もうすでに婚期は過ぎているから』と笑って待っていてくれました」
そして衛二さんが40代後半になったとき、見知らぬ初老の男性が突然目の前に出現。衛二さんの名前を呼びながら親しげに肩を撫でてきて、「いっしょに暮らそう」と言いはじめたのだ。仕事帰りに、自宅のアパートから出てきた男にそう言われ、たじろいだといいます。
「知らない初老の男性にそんなことを言われ、まずはその人が認知症ではないかと疑いました。けれどその男性は、僕の名前を呼んでいる。しかも、かなり親しげ。記憶を手繰ってみましたが、その男性の顔にも話し方にもまったく覚えがありません」
これほど親しく話しかけてくれているのに覚えていないなんて……と、自己嫌悪に陥りかけたとき、自宅アパートから母が出てきました。そして2人を見るとニコニコしながら歩み寄り、「これ、忘れていたわよ」と競馬新聞をそっと手渡す。
◆「妄想の中で何度殺したかわからない」
「しかもその競馬新聞には赤マルが付いていて、丸められた跡もありました。それを見た瞬間、言い知れぬ不安が広がったのです。そして母の口から、『家族でいっしょに暮らしたい。ヨリを戻したいって数か月前に連絡があってね』という驚きの言葉が飛び出しました」
母は「もう少ししたら、あらためて紹介しようと思っていたんだけど。まさか鉢合わせするとはね」なんて呑気に笑っている。父親がギャンブルにのめり込み、借金まみれで失踪したことは母から何度も聞いていた。けれど、幼かった衛二さんには父の記憶がまったくない。
「それでも、僕が就職するまでは、父の保証人になった母の借金返済に追われてずっと生活は苦しかったです。母は毎日のように早朝から深夜近くまで働いて身体もボロボロになっていましたし、僕は妄想のなかで父を何度殺したかわからないぐらい憎みました」
それなのに、苦労の原因をつくった男が約40年ぶりに現れ、ヘラヘラ。しかも母親が、いままで見せたことがないような表情をし、その男の隣で微笑んでいる。しかも、これまでのことを謝罪もせず、「いっしょに暮らそう」などと言ってきたのだ。
◆貯金を使い果たしていた母とも絶縁
「許せるはずがありません。僕が『家には入れない』と言うと、しばらくは『そんなこと言わずに』などと言っていましたが、そのうち家の外で大騒ぎ。『親に向かってその態度は何だ?』『お前に選択権はない』と叫び散らかしていました」
その騒ぎに近所の人たちが出てくると、「チッ!」と舌打ちをしてどこかへ去っていったというが、それ以上にショックを受けたのが帰宅後。なんと母は、数か月前にヨリを戻した父にせがまれ、これまでに衛二さんとともに貯めてきたお金をほぼ使い込んでいたのだ。
「母の老後を思って貯めてきたお金もほぼ使い果たし、何をやっているんだという感じです。そして、約40年かけて築いてきた信頼関係を母にアッサリと裏切られたこともショックでした。僕は母に絶縁を言い渡し、その後は1人暮らしをしています」
そしていまは、彼女との結婚も視野に入れ、あらたに貯金を開始。今回のことを話した元警察官の友人から「記憶にもない古い家族や友人の訪問は、お金や勧誘などが目的のことも多い」とアドバイスを受け、気を引き締めているという。十分に気をつけたいものだ。
<TEXT/夏川夏実>
【夏川夏実】
ワクワクを求めて全国徘徊中。幽霊と宇宙人の存在に怯えながらも、都市伝説には興味津々。さまざまな分野を取材したいと考え、常にネタを探し続けるフリーライター。Twitter:@natukawanatumi5